普通の日々の普通のあれこれ

はるさとの成長日記&近況報告などなど

夏休み in 長崎 その10 ~長崎・カステラ

2011-08-23 | travel
ペンギン水族館を出る頃にはどしゃぶりだった雨も、街中に戻ってくるとおさまりました。

お昼ごはんを食べそこなっていたのですが、あと少しで夕食になってしまうので、
カステラでおなかを満たすことに。

ガイドブックにいろいろなお店の味比べチャートがありました。
私は甘さ控えめあっさりが好きなので、長崎堂へ。
なんとまあ、おいしいこと。



でも、お店で食べたら、1切れ300円×4人分=1200円也
一箱買って車で食べても良かったかなぁなんて思ったけれど、後でまたお土産に買ったら
切れ端の詰め合わせを下さいました。なんとまぁ、いいお店だこと。

そこから、グラバー亭の方へ道を上がっていくと、お土産屋さんが並んだ観光通りです。



熊本の蜂蜜やさんのレモン&ハニーやアセロラ&ハニーの試飲にはまり、
長崎じゃないのについついお買い上げ。

角煮まんじゅうやカステラの試食でおなかを満たして坂を上ると、文明堂がありました。
日本全国に文明堂はありますが、のれん分けした別会社なので、同じではないのだそうです。
でも試食がなかったので、目で見て満足。



お店の横にいたネコちゃんがかわいいです。

  

坂のてっぺんにあるのが大浦天主堂。



立派な建築です。
それにしても、キリシタン弾圧って、聞けば聞くほどひどいですね・・・

また雨が降ってきたので、グラバー園はあきらめ、宿へ・・・


8月15日は精霊流しの日なので、十数万人の観光客が訪れるのだそうです。
夕方、車の中から精霊船がちらちら見えました。
これが夜になると、数千隻の精霊船が集まってきて、爆竹の音とともに、すごい迫力に
なるようです。
せっかくなので、見てみたかったのですが、3分おきに土砂降り⇔小降りという雨模様だった
ので諦めました。
夜10時くらいまで、ずっとものすごい爆竹の音だけ聞こえていました。
街を見下ろすと、雨で煙って見えるのか、爆竹の煙なのか、白くもやっとしていました。
この日は雨のためか、例年より人出が少なかったそうですが、それでも14万人だそうです。
すごいですね!

夏休み in 長崎 その9 ~長崎・ペンギン水族館

2011-08-23 | travel
平和祈念公園で雨がひどくなってきたので、市内観光は中断。
ペンギン水族館へ向かいました。

入口でエンペラーペンギン(置物兼募金箱)がお出迎え。
エンペラーペンギンの実物に会って、むぎゅーっとしてみたいです。



ペンギンの水槽でダイバーさんがエサをあげています。
ものすごい速さで泳いで食べに来ます。
陸ではよちよちですが、水中ではブイブイ走るレーシングカーのよう。

 

次の部屋に進み、ペンギンのレプリカ?と思ったら本物でした。
皆でじーっと止まっていて、だるまさんがころんだ、してるみたいです。



ペンギンさんのお散歩がありました。

  

歩かされてめんどくさいけど、仕方ないなぁ、歩いてやるか、やれやれ、
という感じでしょうか。

朝の通勤電車のように、皆で立ったまま寝ているお部屋。

   こんなところにペペ!

うちには海賊船の船長、キャプテン・ペペというのがいますが、それをそのまま
ちっちゃくしたぬいぐるみを2日前に海きららでゲットしたさと。
以来、べびーちゃんとよんでかわいがっていましたが、ペンギンのベビーということで
ペビーと名づけられました。

そんな折にこんなにペンギンだらけのところに来たので、なんだかうひゃうひゃした気分に。

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夏休み in 長崎 その8 ~長崎・平和祈念公園

2011-08-23 | travel
8月15日 雨ときどき曇りといったお天気。

長崎で忘れるわけにいかないのが原爆ですね。
偶然にもこの日は終戦の日。

まずは浦上天主堂へ。

 

爆心地から500mほどしか離れていないそうで、横の方に当時のまま残されている
崩れた石のようなものがありました。

次に、目的その3・原爆資料館へ。
白黒写真を見るだけでも、ぞっとします。
被爆の被害しか頭にありませんでしたが、実際には爆風や熱風の被害もむごいものでした。
爆弾内部の温度は250万度、0.2秒後の火球の表面温度は6000度だそうです(wikiで復習)
太陽の表面温度と同じくらいですね・・・ひどすぎます。


それから平和公園へ行きました。

 

そして、原爆落下中心碑へ。



ここに到着したとき、ちょうど正午のサイレンが鳴りました。

これもなんという不思議な偶然。
そして同時に雨が降り出しました。

しばし黙とう。

その横には浦上天主堂の遺構が移されています。




ふと、長崎も放射能を浴びたのに、どうして人が住んだり、作物を育てたりできるのか
不思議に思いました。

ネット情報によりますと、原爆は空中の高いところで爆発し、核物質は大部分が高熱によって気化し、
上昇気流で成層圏に達して拡散したのだそうです。

・・・ということは、逆に福島の復興は、広島や長崎のようにはいかないということでしょうか。
福島では水素爆発で地上から塵がばらまかれてしまっていて、土壌に落ちてしまっています。
そして、そもそも原子爆弾の核物質の量はキロ単位、原発ではトン単位という桁の違いも
あるようです・・・
やはり数十年立ち入りできないのでしょうか。

もちろん原発事故で、核燃料そのものが爆発してまき散らされたわけではないので、
量だけ比べても意味はないかも知れませんが、やはり、こんなにあちこちにあって
いいものではないんじゃないかという気がします。