(この小説はフィクションです。)
今年で52歳になった茂男はマンションに一人で暮らしながら後悔に浸っていました。
それはかつて5年間結婚生活をしていたが離婚してしまった智子の事を思い出していたのです。
茂男は子供の頃から頭より体が先に動いてしまう行動派の人間でした。
学校の教室で座って勉強するのは性に合っていませんでした。
高校を卒業すると高等教育に進学する事を勧めた両親に逆らって、作業所で働くようになりました。
とにかく体を動かすのが楽しみな人間でした。
作業所で働いてお金を稼ぐと遊びに費やしました。
車を買って友人達と夜遊びなどをしていました。
茂男はアウトドア派でスポーツは何でもこなしました。
自分で道具を買ってきてはやり方を編み出してしまうのです。
海でも山でもなんでもやりました。
チャレンジ精神が旺盛で何でも自分で試してみたくなる性格でした。
ただスポーツでも同じ事ばかりするのは苦手で興味の対象が次から次へと変わるような性格でした。
車でのナンパもよくしていました。
30歳の頃、車で22歳のかわいい女性をナンパしました。
茂男は若い頃はとても粋な風貌で女性にももてました。
その女性と数年つきあって結婚しました。
その女性は智子という名前でした。
智子は子供の頃からかわいらしい女の子だったので、両親や周囲から甘やかされて育ちました。
その為、見た目はかわいいけど中身は空っぽな女性でした。
高校を卒業後、就職をしましたが数年で辞めてしまい、実家に暮らしてアルバイトなどでのらりくらり生活してました。
そんな時に茂男に車でナンパされたのです。
数年つきあった後に結婚しました。
結婚式はできるだけ安く済ませました。
ところが智子は結婚をしても部屋で下らないテレビ番組を見て喜んでばかりいるような女性でした。
ジャニーズ系のアイドルやつまらないミュージシャンを好んでばかりいました。
茂男はそんな智子の姿にガッカリしました。
茂男はアウトドア派の男性で休みの日には郊外へ遊びに行っていました。
智子は体を無駄に動かす事には興味がありませんでした。
智子は休みには茂男と一緒に過ごしたかったのですが、茂男は体を動かす事が生きがいのような男性で智子はとてもついていけませんでした。
しかも茂男は興味の対象が次から次へと変わるので、智子は茂男が自分以外に興味が移っていく事にむかつく思いをしていました。
何か一つの趣味を長く続けていくのならともかく興味の対象がどんどん変わっていくので、智子の目には茂男はいい加減で無節操な男性に思えてきました。
自分に対しても同じ態度なのかと感じたのです。
智子はついに堪忍袋の緒が切れて「 私よりアウトドアの趣味の方が大事なの? 」と迫りました。
茂男は茂男で智子が部屋で下らないテレビ番組やつまらないアイドルやミュージシャンを追いかけているのを不満に思ってアウトドアのスポーツに行っていたのでした。
そこで行き違い5年で離婚してしまいました。
茂男は風の噂で智子がバツイチのまともな男性と再婚したという話を聞きました。
茂男は智子と離婚した後は女性と知り合う機会が殆どないまま52歳になってしまいました。
茂男はその頃になると智子と生活していた方が良かったのではないかと後悔するようになりました。
アウトドアのスポーツを少し我慢して智子と過ごす時間を大切にしていれば別に分かれる程の必要もなかったのではないかと思うようになったそうです。
―――― 劇終 ――――
(この小説はフィクションです。)
スーパーのデータ処理室の事務員をしていた佳代は現在34歳。
ある時、ネットで検索をしていた時に アレッ と気になるサイトを見つけました。
何かどこかで聞いたような話が載っている。
見覚えのあるようなサイトだ。
佳代は既に結婚をしていましたが子供はいません。
佳代には写真大学に通っていた頃に別の男性とつきあっていた時期がありました。
佳代は中央線沿線の国立で育ちました。
高校時代にある本で東南アジアの写真を見てとても感銘を受けて自分もあんな写真をとってみたいと思い、写真大学に入学しました。
佳代は大学に入ると何の為に勉強するべきか、生きるべきか、何の写真を撮るべきかというアイデンティティーの問題にぶち当たりました。
佳代はサークル活動で写真大学のOB や OG と飲み会などで話し合う機会がありました。
それらの先輩達はマスコミ関係や企業などのカメラマンとして働いていた人達でした。
先輩達は皆、企業や社会の要求と自分が本当に撮りたい写真とのギャップに悩んでいました。
逆に自分が本当に撮りたい写真を撮って個展を開催したりしている先輩はそれだけでは生活していけませんでした。
佳代は世の中や人生の現実に突き当たりました。
大学の夏休みや春休みに写真を撮るために東南アジアへ旅行に行きました。
そこで東南アジアの上座仏教に興味を持つようになりました。
ところがそんな穏やかで仏教的に見える東南アジアにも資本主義の悪影響が及びつつある事を知りました。
中央線沿線の阿佐ヶ谷の商店街にとある オルタナティヴ・ショップ がありました。
そこはヒッピー・ムーブメントの流れを汲んでいた人々が経営していた店でした。
その店は、現代資本主義社会の弊害を逃れる為の生き方を追求するというテーマの書籍や音楽や映画やグッズが揃えられていました。
資本主義の弊害を批判する左翼やヒッピーイズムや第三世界などの書籍などが揃っていました。
資本主義に反対する右翼や宗教などの書籍も置かれていました。
アジアやアフリカなどの第三世界のグッズやヒッピー風の服装なども並べられていました。
イベント・コーナーもありワークショップなども催されていました。
資本主義の弊害を感じていた佳代は、写真大学の授業の空き時間にこのオルタナティヴ・ショップによく立ち寄って、資本主義以外の生き方を模索したりしていました。
佳代は普段の服装もそのオルタナティヴ・ショップや中央線沿線の古着屋などで買ってきたヒッピー・オルタナティヴ・第三世界系の格好をよくしていました。
ある日、そのショップにセミナーの広告のポスターが貼ってあり、チラシを取りました。
そのセミナーとは異種イデオロギー交流会と称してあり、資本主義にとって代る生き方・ライフスタイルなどを模索している人々が思想主義主張を問わず集まってアイディアを交流しあうという催しでした。
資本主義の弊害を知り、他に生き方はないかと考えていた佳代は少し警戒心が働きましたが興味を持って参加してみる事にしました。
その交流会は一ヶ月間に及び毎週週末に開催されました。
佳代はそこで淳吾という同じ志とヴィジョンを持っていた男性と知り合ったのです。
淳吾は佳代の一年上の世代でした。
他の大学の国文科に通っていました。
淳吾は地方都市の出身で都内の大学に通っていました。
淳吾は中学生の頃は全く普通の生徒でしたが、高校になるにつれて社会への反逆性が芽生え始めました。
家系は左翼がかっていて赤旗新聞などをとっていました。
高校の頃には学校の校風やカリキュラムなどに矛盾や反発を感じ始めました。
ですが淳吾は反逆性はあっても現実的計算がまさる理性的な人間だったので、心の中の反逆性は秘めて見た目は良識的一般市民を装っていました。
反逆性を表に出したら現実的に損をしてしまうと考えていたのです。
大学は色々受験してたまたま受かった国文科へと進学しました。
大学に入って現実社会を垣間見るようになると、今の日本社会は金銭と効率性だけが最重要課題として追求されていると感じるようになり、諸悪の根源は資本主義の行き過ぎにあるという結論にたどり着きました。
社会や家庭の崩壊や人間関係の希薄化も文化の劣化・低劣化も金銭と利便性のみが追及されていて人間性や倫理観が全く省みられない社会がおかしいのだと感じるようになりました。
大学の国文科ではまだ資本主義に毒されていなかった頃の日本の先祖の古来の心や、大正デモクラシーの頃の社会主義色の強い作家達を探求模索するようになりました。
そうこうしている内に阿佐ヶ谷の オルタナティヴ・ショップ を見つけて大学の合間に立ち寄るようになりました。
そこには資本主義社会の行きすぎによる弊害を糾弾批判し、できるだけ資本主義に染まらずに生活する方策を模索するような書籍が並べられていました。
ですがそのオルタナティヴ・ショップでは資本主義の行きすぎを批判していましたが、かといってテロや破壊行為などの手段は否定されていました。
資本主義社会をテロや破壊行為によって否定するのではなく、あくまでどのようにして資本主義に染まらないで生活していけるかをテーマとしていたのです。
淳吾はオルタナティヴ・ショップに通っている内に、現代日本の資本主義社会に対する反逆性が育っていきました。
淳吾は将来はありきたりな職業ではなく、反資本主義をテーマとする社会啓蒙活動家になろうとするヴィジョンを抱くようになっていきました。
反資本主義といってもテロ・破壊によってではなく地道な社会活動や文筆活動などによる反抗であります。
テロ・破壊行為に走った左翼の先達達は皆悲惨な末路をたどっている。
死んだり投獄されたらそれこそ資本家や経営者達にとって益々都合のいい社会をもたらす事となってしまうだけだ。
マイナーでも地味でもいいから長期的に資本主義に反対・異議を表明し続ける事こそまさに資本主義者達にとって目障りな活動となる。
資本主義者達にとって目障りな活動を長期的に続ける方が、テロや破壊行為などより遥かに資本主義に反対する為には有効な活動なのだ!
そんな中で大学三回生の前期の頃、例のオルタナティヴショップで異種イデオロギー交流会のポスターを見かけたのです。
淳吾はすぐさまに参加の申し込みをしました。
その時に佳代と知り合ったのです。
佳代はその時、大学の二回生でした。
そのセミナーには12人の人が集まりました。
学生は6人でした。
残りは社会人でした。
はじめに主宰者はあいさつをしました。
「 現在全世界を席巻している資本主義は間違っている。
極一部の経営者に富が集中するだけで、大部分を占める庶民は衣食住の確保さえままならない。
かといって革命を起こすという訳にもいかない。
そこで私達は現在の資本主義社会の中で、出来る限り資本主義に染まらない生活を模索していくべきである! 」
参加者達は皆自己紹介をしました。
淳吾と佳代は座談会をしていると、まるで離ればなれで育った双子が再び再会したような気分になりました。
淳吾と佳代は見た目も感性も似ていて、前世は魂が同じだったんじゃないかと思う程でした。
セミナーは結局一ヶ月の4回で終わり、最終日にはカラオケ居酒屋で歌を歌いながらオルタナティブ談義をしました。
最後には参加者全員の連絡先が載った紙が配られました。
カラオケ居酒屋で撮りあった写真を郵送で交換しあいました。
淳吾は佳代が写った写真を佳代に郵送しました。
佳代は淳吾に電話をかけました。
「 この前の写真、送ってくれてありがとう。 」
これがキッカケで二人の交際は始まりました。
二人は喫茶店などでオルタナティヴ談義をしました。
理想的な社会やヴィジョンなどを語り合いました。
淳吾は国文科や左翼的な視点から資本主義の行き過ぎを批判し、理想的な社会像を模索する話をしていました。
佳代は大学の夏休みや冬休みには東南アジアに撮影旅行しに行き、同時に上座仏教の文献や情報を収集しました。
英語やタイ語、カンボジア語、ベトナム語などのパンフレットなどを収集しました。
タイ語、カンボジア語やベトナム語などの文献は解読できませんでした。
ですが辞書をひきながらどんな内容なのかを推測していきました。
それらを淳吾に話したりしていました。
淳吾は日本古来の理想としていた和風社会を佳代に説きました。
淳吾は大学の授業に飽きたらない思いをするようになりました。
淳吾は社会啓蒙家となるつもりだったのでゼミや就職活動をするつもりなど全くありませんでした。
大学の教授達とは考えも合わず、他の学生達が自分の意見を曲げて教授達の意見に合わせているのも、教授達が自分達が信じてもいずに実践してもいない学科の授業にも反逆心がもたげてきました。
淳吾は馬鹿正直な性格で日本社会への反逆心を抑えきれなくなり、良識的な一般市民を装う事に限界を感じるようになりました。
ついには大学に行かなくなってしまいました。
佳代は淳吾に上座仏教の教義を説明しました。
強力な功徳を積めばは強力な果報をもたらす。 病的な功徳は病的な果報をもたらす。
前世 現世 来世 の行いと生まれ変わりの関係について。
功徳を積む作法。 お経を唱える方法。
神社仏閣や仏像を整備すればいい功徳になる。
僧侶にお布施をすればいい果報がある。
お経を読めば知恵がつき賢くなる。
公共土木事業をすればいい功徳となる。
仏像に花を捧げるといい功徳となる。
病的な功徳とは、例えば親を怒鳴ったり罵ったりする事。
貧困者や障害者を邪険に扱うなど・・・
佳代の修行方法はヴィパッサナーと呼ばれる東南アジアで広く普及している瞑想方法でした。
佳代の方は、資本主義社会に反発を感じながらも写真大学の授業は出て、課題やレポートなども真面目に提出していました。
ところが佳代は写真大学4回生になると卒業後を決めなければならなくなりました。
両親に淳吾との交際などを話し、卒業後どうするべきかを相談しました。
佳代の両親は「 理想的な社会なんていってもな、理想だけじゃ飯なんか食っていけないんだよ。 そんなドン・キホーテみたいな男と付き合ったってお金がなかったら生活していけないじゃないか。」と佳代に言いました。
佳代はその事を淳吾に言いました。
淳吾も「 佳代の両親の言う通りだよ。
俺達同じヴィジョンを持っていて愛し合っていたって、俺みたいなコミュ障の社会不適合者と付き合っていたら佳代は幸せになんかなれないよ。
佳代はちゃんとした就職をしてちゃんとした男性と結婚しなよ。
俺は佳代の事本当に好きだからこそ幸せになって欲しいんだよ。 」
佳代は結局は写真とは全く関係のないスーパーに就職しました。
淳吾とは自然消滅みたいになっていって連絡もとらなくなっていきました。
しかもネットやSNSの発達によって 阿佐ヶ谷のオルタナティヴ・ショップも経営していけなくなり閉店してしまいました。
そして佳代は仕事先で知り合った普通の男性と結婚しました。
佳代は結局は資本主義的な生活をするようになり、かつての資本主義以外のライフ・スタイルの探求も上座仏教もできなくなりました。
写真の方は仕事の休みにたまに趣味で楽しむ程度になりました。
結婚した男性には淳吾の事や反資本主義の話などは全くしませんでした。
そんな生活を始めて10年程経った頃、ネット上で淳吾が書いたと思われるサイトを偶然見つけたのです!
そのサイトは淳吾の本名などは出ていませんでしたが、その独特の語り口や主張などは間違いなく淳吾のものだと分かりました。
そのサイトによると淳吾は佳代と連絡をとらなくなった後、作業系の仕事などをしながら社会啓蒙活動家となったようでした。
大学に行かなくなった後、佳代から聞いた東南アジアの上座仏教を独学で研鑽を積み全く独自の上座仏教社会主義という思想を形成したらしいのです。
その上座仏教社会主義とは上座仏教的な功徳と因果関係を頂点とする社会主義の事らしかった。
淳吾は佳代と自然消滅した後は自分で地道に機関紙やパンフレットをパソコンで印刷し発行していたようです。
駅前などで辻説法や機関紙の配布などを地道に活動していたそうです。
ですが淳吾の思想を理解する人も支持する人も殆ど居ませんでした。
それでも淳吾は地道に活動を続けていたらしいです。
そのサイトには連絡先は書かれておらず、コメント欄がありました。
佳代は久しぶりに興奮して居ても立っても居られなくなりましたが、自分は既に結婚している身であり夫にも淳吾にも迷惑をかけたくないのでコメントもひかえる事にしましたそうです。
―――― 劇終 ――――
(この小説はフィクションです。)
バブルの高度成長時代の日本。
ケンジは文学系の大学生。
今日は午前と午後に授業がある。
午前と午後の間の大学の授業の空き時間。
中途半端に3時間開いてしまって時間をつぶさなければならない。
東京郊外の青梅や高田馬場あたりを空き時間中に散歩していたら警察に職務質問された事も何度かある。
学生証を見せて空き時間だから散歩していましたと答えて解放される。
下町の商店街にあるピザ屋に入って時間を潰す。
ピザの食べ放題を頼む。
コーラを飲みながらピザをほうばる。
古本屋で買って来た本を読む。
ただひたすらつまらない。
モヤモヤする気分を持っていく場所もない。
音楽を聴く事がつかの間の気晴らし。
友人達と会話しても話が合わない。
心が晴れるという事もない。
他の学生達はテニスだコンパだと浮かれていた。
恋愛中のカップルは青春を謳歌しているように見えた。
だがケンジはそういった人達を羨ましく思いながらも、虚無的で冷めた目で眺めていた。
そんな楽しみはいつまで続くものなのだろう?
モラトリアムな青春時代とは空しいものだ。
ハッキリとした目的も確信も持てないまま。
青春時代を空費しているという虚しさが青年を襲う。
本来なら青春時代とは学問や真理や科学を研究して充実感にはち切れそうな筈なのに。
どうせなら受験勉強みたくハッキリとした目的の為に全力集中して勉強したい。
だがケンジは大学の授業にも大学生活にもバイトにもそういった充実感を全く感じられなかった。
人生の意義とは何か? 人間この世でどう生きるべきか?
そういった疑問ばかりがもたげてきて図書館や本屋に行って本をあさる。
でもそういった本を沢山読んでもやはり人生の意義・どう生きるべきかという解答を得ることはできなかった。
・・・・・
そんなモラトリアム大学生だったケンジも今は40代。
結婚もまともな就職もしないままフラフラノラリクラリ生きてきた。
アパートで一人暮らしをしていた時期もあったが今は実家に母親と暮らしている。
20代、30代は時には学校で勉強、時にはアルバイト、又他の時には夜遊びなどでノラリクラリ過ごして来た。
今は派遣労働でダラダラ生き続けている・・・
青年時代に苦悩していた生きる意義や目的より、生活費の事ばかり考えながらいき続けている自分が居る・・・
ケンジは今日も未来へのあてもないままチンタラ生き続けている。
―――― 劇終 ――――
(この小説はフィクションです。)
レストランで中年男性3人が料理を食べながら雑談をしています。
その中心人物はスキンヘッドで薄い黄色のグラサンをかけています。
名前をハヤトといいます。
ハヤトはヤンキー上がりでした。
中学生の頃、学校の不良グループに入り女遊びや喧嘩をしたりしていました。
高校に入るとバイクの免許を早速取り、バイクの不良仲間と一緒に女子高生に声をかけていました。
バイク仲間と近所の女子高に行って女子高生達に声をかけていました。
女子高生をバイクで送る代わりにガソリン代を払わせたりしていました。
高校を卒業すると車の免許を取り、安い車を購入し駅前の交差点で奇抜な服装をしたセレブ気取りの姉ちゃんに声をかけました。
「 お姉さん! お茶してかない?!」
「 車がダサいから乗らない!」などと言われました。
ハヤトはいい車を買う為に土建不動産業界に入りました。
昼には仕事、夜には遊びという日々を繰り返していました。
お金がなくても遊んでいました。
お金が貯まると高級車を購入しました。
そして駅前交差点でセレブ気取りの女性に声をかけました。
「 お姉さん! お茶してかない?!」
すると今度は「 外車じゃないから乗らない!」と言われました。
その頃は女性は男性の事をメッシー君、アッシー君などと呼んでいました。
メッシー君というのは食事を奢ってくれる男性の事。
アッシー君というのは車で送迎してくれる男性の事でした。
その内、不良男女の仲間のグループができました。
その中の女性と結婚しました。
ところが・・・ ハヤトはその女性が他の男と浮気している現場を目撃してしまったのです。
ハヤトは久しぶりに激怒して二人ともボコボコに殴りました。
二人は結局妥協しきれずに離婚をしてしまいました。
ハヤトはこれにこりてもう結婚はしないと決断しました。
自分は結婚に向いていないと思ったのです。
・・・・・・
そんなハヤトも今は中年のおっさんになりました。
かつてのヤンキーも中年の今はただの金にセコイおっさんになっていました。
スキンヘッドとグラサンと柄の悪そうな話しかたにかつてヤンキーだった頃の面影が残されていました。
ヤンキーみたいな粋がった話し方と態度では社会では通用しないという事を痛感し始めました。
食事の間ではのべつ幕なしに金の話ばかりしていました。
不動産の中古物件はおばさんが清掃しただけじゃ売り物にならないだとか葬式は密葬や家族葬にすれば安くなるけど、食事代も馬鹿にならないだとか・・・
のべつ幕なしにいかに出費を抑え収入を得るかという話ばかりしていましたとさ。
―――― 劇終 ――――
(この小説はフィクションです。)
下町の零細下請け工場にベテランの職工が居ました。
その人は高校も出たか出ないかの頃、地元の工場に入りました。
正規の教育を余り受けておりませんでした。
ですが金属加工の職場に配属されたまま何十年もその仕事に携わってきました。
工場には正規の高等教育を受けた人が入社してきました。
ですがそのベテランの職工は自分の経験則やジンクスで独自の科学理論を編み出して説明しました。
「 見りゃわかんだろ。 この音聴いてもう大丈夫ってわからないとな。 」
新入社員は首を傾げました。 「 分かる訳ないじゃん。 」と内心毒づきました。
ある機械を操作するコツを説明している時も独りよがりの理論を説明していました。
喫茶店のフレンチ・トーストに例えて説明しておりましたが、正規の教育を受けた新入社員にはサッパリ理解できませんでした。
正規の教育を受けた新入社員は「 何言ってんの? このおっさん。 」と内心毒づきました。
ですが新入社員がよく分からずできない事もそのベテラン職工のやり方ならチャントうまくいきました。
その工場ではチョットした失敗で怒られたり凹んで辞めていってしまう人も沢山いました。
ベテラン職工ももちろん失敗する時は失敗します。
ですが、ベテラン職工と辞めてしまう人の違いは、ベテラン職工は失敗・ミスして怒られても原因を突き止め改善していこうという喰らいつく気力があるか、チョットした事で挫けて諦めてしまうかという差にあるようでした。
―――― 劇終 ――――
(この小説はフィクションです。)
時代はバブリー世代 超巨大ディスコ、ジュリアナズ・トキオや小室の音楽が街角に流れていた。
「 誰もが一夜の夢を見ている 教科書は何も教えてくれない 」
その頃のサラリーマンは今で言うエグザイルスの様な風体・風貌をしていた。
OL(オフィス・レディー)達はワンレン・ボディコンというファッションをしていた。
今の若い人がみたらヤクザや芸能界の人と見間違えるような格好をしていたが、その頃はそれが普通だった。
喫茶店では精力的なサラリーマンがモーニングセットを頼んで、週刊BIGという雑誌の「 東京に自分の城を持つ 」特集を読んでいた。
普通の庶民の中高年が証券会社の女性と株価の話を毎日のように電話していた。
マスゴミでは竹村健一が「 今、投資しない奴は人間じゃない。」、 コマーシャルでは竹村健一が手帳を持ちながら「 私なんてこれだけですよ。これだけ 」などとほざいていました。
智樹はそういった風潮を見ると、戦前の日本の風潮とそっくりダブって見えました。
戦争に反対する人は非国民の烙印を押され、大本営発表で連戦連勝と報道されていたのと全くダブって見えたのでした。
数年後には普通の庶民が500万・1000万・1500万損したという話が巷でゴロゴロ転がるようになった。
そんな時代風潮の中で智樹は全く自分の精神的居場所が無かった。
智樹はいわゆるバブルの資本主義社会という風潮にまるでなじめなかった。
智樹は日本の伝統的価値観を重んじる保守的な青年だった。
バブリーな会社員とは全くそりが合わず、かといってチャラチャラした若者達とも合わなかった。
大学の友人達は大学でいい成績いい単位を取って給料のいい会社に就職したい、というような大学生ばかりでまるでそりが合わなかった。
憧れるような人物像や将来のイメージが全く思い浮かばなかった。
何を見ても何を聞いても気に食わなかった。
テレビを見ても愚劣な番組の垂れ流しばかりでスイッチを切った。
上野公園ではイラン人達がテレフォン・カードを売っていた。
智樹の耳にはその当時既に日本国家がガラガラと崩壊しはじめる音が聞こえているかのようだった・・・
―――― 劇終 ――――
刑務所女子 ノリカ (この小説はフィクションです。)
将人は車の免許停止を食らっていた頃、無免許で車を運転していた時警察の尋問を受けた。
そして無免許運転がばれてその罪で刑務所に3か月入れられた。
その時にある女性受刑者の噂話を聞いた。
その女性は以前の恋人を殺害した罪で懲役19年の刑を食らったといい現在刑務所生活4年目だという。
刑務所では生き地獄の様な生活を強いられていた。
周りの受刑者達からも「 恋人殺し 」などといつも罵られていました。
その女性は名前はノリカという名前だったそうな。
その女性の案件に興味を持った将人は休憩している時にその女性に話を詳しく聞きに行った。
ノリカは屈託も無く将人の聞き取りに答えた。
ノリカは以前、イラストやウェッブデザインの会社に経理として働いていたという。
美術系の仕事に憧れていたが、マネジメント学部を卒業したノリカにはこれといった美術の才能はなかった。
会社のコンピューターにお金の計算などの入力をしたり電話の受付や接客をする仕事をしていただけだった。
ところがその会社にはイラストやウェッブデザインを担当していた男性が居た。
その男性は美大中退の特異な感性とセンスと才能を持つ魅力のある男性だった。
俊哉という名前の男性だった。
イラストやデザインを学びに美大に入学したが、その美大では自分が学ぶモノは無いし、教授達にも全く尊敬の念を感じる事ができず美大に出席しなくなり独学でイラストやデザインのスキルを身に付けたという。
俊哉は学歴は美大中退だったが、イラストやデザインを沢山描いていて会社の面接で沢山のサンプルを面接官に見せて特異な才能を買われて特別枠での採用となった。
会社の忘年会などの飲み会でノリカと俊哉はイラストやデザインの話で盛り上がって意気投合していった。
ノリカは俊哉の独特の美術の感性やセンスに惚れていた。
どうやら俊哉は独学で色彩設計のやり方を見出したようだった。
俊哉はノリカを自分の部屋に招いて美術のコレクションを見せたりした。
美術の世界に憧れがあっても自分にはこれといった才能の無いノリカは俊哉に惚れるのは時間の問題であった。
ノリカは自ら積極的に俊哉に食事やコーヒーに誘い出し美術の話で盛り上がっていった。
そうこうしている内に二人は付き合うようになっていったという・・・
ノリカが俊哉の部屋に押し掛けるような形で同棲生活が始まった。
俊哉は純粋で誠実な芸術家タイプの男性で、特異な美術の才能はあっても他人に売り込んだり交渉したりするといった商売っ気が丸でありませんでした。
本来ただ自分の愛好する芸術に浸りきった生活を送る事が最高の幸せと感じるような男性でした。
現実的な生活力に欠けていました。
ノリカとつきあうようになったのも、家賃や生活の面でノリカが居た方が楽になるといった生活上のメリットの問題からでもありました。
だが、ノリカは元来男性的で開放的な女性で、女性的で内向的な俊哉とはまるで性格が違っていました。
ノリカは情念が深く支配欲が強い嫉妬深いタイプの女性で、俊哉の私生活に干渉するようになっていった。
天才肌の俊哉は元来美術創作ばかりに興味があって、他の事柄には無頓着な男性であり、次第にノリカの干渉をうざったく感じるようになっていった・・・
中でもノリカの俗っぽい話題と凡庸な発想に次第に退屈を覚えるようになっていきました。
ノリカは俊哉の金遣いにも口をはさみはじめました。
女性的な俊哉にとっては男性的なノリカの生活様式をガサツに感じられました。
以前は美術系の雑誌やイヴェントなどに自由にお金と時間を使っていましたが、ノリカと付き合うようになるとお金と時間の自由がめっきり減っていきました。
数か月もすると俊哉は以前の貧乏だったが自由な生活を懐かしく感じるようになりました。
俊哉は女性にモテモテというタイプではありませんでしたが、俊哉の特異な思想や美的嗜好を理解する数少ない女性にはとても好かれました。
一旦、俊哉に興味を持って好意を抱いた女性は俊哉の特異な魅力が癖になって病みつきになっていつまでも俊哉にしがみつこうとしました。
長期間に亘ってストーカーみたいになっていきました・・・
数か月経つと俊哉はやはり一人暮らしの方が自由でいいと思い始め、ノリカに同棲生活を止めて別れようと切り出しました。
俊哉の美術の才能は紛い物ではなく、ノリカはその真価を理解する数少ない女性でした。
ノリカの俊哉に対する愛情や執着は本物であった事が後々の悲劇を招く要因となっていくのでした・・・
もし単に年収や学歴などの現実的な打算的な愛情だったらこれ程の悲劇的な結末とはなっていなかった筈でした。
ですが俊哉にとってノリカとはこれといった特別な魅力や愛着は無く、家賃や生活面の便宜やメリットの問題で一緒になったという感じでした。
その事をノリカに話すとノリカは次第に俊哉に対する愛情が憎悪に変わっていきました・・・
ノリカはプライドの高い女性で俊哉が自分以外で楽しみや幸せを感じる事を許す事ができませんでした。
ノリカは一体俊哉の美的才能や嗜好に惚れているのか、人格や思想に惚れているのかもわかりませんでした。
ですが自分の元以外で俊哉が自由に楽しみや幸せを感じて暮らしていくという事はノリカの気が済みませんでした。
ノリカは色々考えた末に自分が俊哉を殺害する以外に自分の気が済む選択肢は無いとの結論に至りました。
ノリカは俊哉を最後のデートと相談だと称して車でドライブに誘い出しました。
ノリカは高速道路で俊哉と共に秩父の人が居ない地方へと向かいました。
そして俊哉が油断して背を見せている時に出刃包丁で俊哉をメッタ刺しにしてしまい殺害してしまいました。
ノリカは最寄の警察に出頭し、恋人を殺害したと自白しました。
裁判では弁護士も立てず、国選弁護士の元で俊哉の殺害をすんなり認めました。
本来なら極刑で無期懲役となってもおかしくはありませんでしたが、自ら警察に出頭し殺害を素直に認めて裁判官からの印象が良くなり温情で19年の刑期で済んだそうです。
これらの話をしている時のノリカの態度は全く淡々としていて、反省や後悔の表情は微塵も感じられませんでした。
―――― 劇終 ――――
猫かぶり女子 香奈枝
(この小説はフィクションです。)
香奈枝は短大でこども学科を専攻し、卒業後新卒で就職をしました。
そこで同僚の男性と知り合いつきあうようになりました。
男性は理工系を出たシステム・エンジニアでした。
真面目でコツコツ働くタイプの男性でした。
二人はアパートを借りて同棲を始めました。
最初はとてもロマンティックで理想的なカップルでした。
休日には一緒にデートをしてとてもうまくいっていました。
ところが付き合い始めて一年近く経つと、香奈枝の男性に対する言葉使いや態度はどんどんゾンザイになっていきました。
その内にエゴ丸出しになって不平不満ばかり言うようになっていきました。
男性は以前と同じように香奈枝に対してやさしく思いやりのある態度で接していました。
遂に香奈枝は他の男性と比較するようになりました。
香奈枝の友人はもっと家賃の高い豪華な部屋で生活をしているだとか他の男性の条件の方がいいだとか言い始めるようになりました。
システムエンジニアの男性は、その内に他の女性と付き合うようになり、香奈枝に別れ話を切り出し始めました。
香奈枝は驚いて「 何で? 」と尋ねました。
「 君が僕を他の男性と比較して他の男性の条件の方がいいと言うから、僕も君より条件のいい女性を選んだんだ・・・ 君は僕より条件のいい男性と付き合えばいいじゃない。 」
香奈枝はその時になって必死にエンジニアの男性にしがみつきました。
「 私が全部悪かった。 行かないで・・・ 」
だが、システムエンジニアは香奈枝から既に心が離れていき、他の女性の方に気が移って仲良くなっていきましたとさ。
―――― 劇終 ――――
タカビー美人 優梨香
(この小説はフィクションです。)
優梨香は綺麗なタイプの美人で、若い頃から男性にモテモテでした。
周りの男性から声をかけられてばかりいました。
その為、優梨香はプライドが高くなり高飛車な性格になっていきました。
優梨香に声をかける男性は皆自分の魅力と能力に自信のある男性ばかりでした。
そして優梨香は男性に完璧を求めるようになっていきました。
魅力と能力に自信のあるタイプの男性は次々に優梨香にアタックしてつきあうようになりましたが、この人は見た目が気に食わない、学歴が低い、背が低い、マナーが悪い、話が面白くないなどと不満をもつようになりしばらくすると別れて行きました。
ある男性はイケメンでしたが収入がいまひとつでした。 ある男性は学歴は高かったけどスポーツが苦手でした。
その内に優梨香は益々高飛車になって完璧な男性を望むようになっていきました。
だが33歳位になると優梨香の外見は急に劣化していき、声をかけてくる男性も激減していきましたがまだ白馬の王子様が迎えに来てくれるという幻想を抱いていました。
だが35位になると遂には声をかけてくれる男性もいなくなりました。
その為、優梨香は自分から男性に積極的にアプローチするようになりましたが、その頃になると平均的一般的男性からも相手にされなくなっていきました。
丁度その頃、地元の小学校の同窓会が開かれる事になり優梨香も出席する事にしました。
子供の頃、知っていた沢山の友人と再会しました。
ある女性は地味だが気品のある女性で結婚相手には安定性を求めて平凡な男性と結婚して子供も二人産みました。
収入も平均的でしたが普通に幸せを感じていました。
ある女性は瞑想のサークルを通じて知り合った男性と結婚をしていました。
そのカップルは二人で相談して子供や贅沢な生活は最初から諦めて精神修行を目的とする事にして生活していました。
豊かな暮らしなど望めませんでしたがその女性は相手の男性と運命的なつながりを感じていたので他の男性と結婚する事など想像もつかず他の選択肢など考えられずに、結婚生活に満足していました。
あるギャルみたいな女性はイケメンの男性と結婚したいと考えていて色男と結婚しました。
そのイケメンの男性は社会的にはダメな男性でしたが、女性はその男性の魅力に惚れていました。
高飛車な美人の優梨香とは全く異なる境遇の人ばかりでしたが、優梨香は彼女達の平凡だけど幸せそうな生活が羨ましくなりました。
だがその頃の優梨香は理想が高い割に自分の相対的価値は下がる一方で、自分の若い頃の態度に後悔を感じるようになりました。
今まで付き合ってきた男性は完璧主義だった若い頃には不足を感じていましたが、魅力の無くなってしまった今から考えてみれば十分以上にいい条件の男性ばかりでした。
あの時、あの人と結婚していれば今頃は・・・ などと過去を悔い悩むようになっていきました。
余りに相手に完璧な条件ばかり求めていて遂には普通の男性からも相手にされなくなってしまったのです。
優梨香は若い頃の自分の高飛車な態度を恨めしく思い始めましたとさ。
―――― 劇終 ――――