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 心が軽くなる魔法の標語

2020-06-22 | 【 かたりべ 】

 

 

 長渕剛さんのウィキペディア(Wikipedia)を読んでいたら面白い文章があった。

 

永渕剛(ながぶち つよし)」の芸名で、場末のバーでオリジナル曲を歌い続ける。この時はまさに地獄の環境で、毎夜のようにビール瓶や灰皿が飛び、泥酔した客や極道から「演歌やらんかい演歌!!」と罵声や蹴りを浴びつづける日々だった。ここで根性が鍛えられたと本人は述べている。

 

7月26日、愛知県篠島での吉田拓郎のコンサート「吉田拓郎 アイランド・コンサート in 篠島」 に特別出演。「帰れコール」(長渕自身は「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」と言っていた)を浴びながらも(吉田拓郎は「そんなに言われてなかった よ」と言っていた。また、実際に「帰れコール」をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝采を浴びた[2]。長渕自身「あのステージがなかったら今はなかった」と話している[2]

 

 これらの話をお寺の標語風にまとめてみる。

 

 

  苦しい経験をするからこそ根性が鍛えられる。

  過去の苦しい経験がなかったら今の自分はない。

 

 

 昔の思い出したくもないような嫌な経験が自分の根性を鍛え上げたのぢゃ。 

 そういった経験がなかったら今の自分も無かったのぢゃ。

 過去の思い出したくも無いような嫌な思い出でトラウマになっている時に、長渕剛さんの姿を地蔵尊みたいに念じて、この標語を呪文みたいにとなえれば、心がスッと軽くなる。

 

 

 


和学寄席 35 宮大工 千年の知恵

2020-06-12 |  【 お笑い 和学寄席 】

 

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%AE%E5%A4%A7%E5%B7%A5-%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5%E2%80%95%E8%AA%9E%E3%82%8A%E3%81%A4%E3%81%8E%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%A8%E6%8A%80%E3%81%A8%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%95-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E9%BB%84%E9%87%91%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E6%B5%A6-%E6%98%AD%E6%AC%A1/dp/4396313055

 

https://books.rakuten.co.jp/rb/1491734/

 

 

宮大工 千年の知恵      

 

 日本の伝統木造建築は中国とも違う古来からの知恵にあった。

 現在、急速に失われつつある日本古来の先祖の知恵が分かる。

 神社仏閣を見る視点が変わる。

 興味のある方々には是非読んでほしい一冊です。

 軒反りや崩しは日本独自の先祖の知恵。

 


 街中華

2020-06-09 | まんが 【 こえど てらこや講●物語 】

 

 山崎亭●禅無はよく近隣の街中華にラーメンを食べに行っていました。

 ある街中華は、DQNな大人達のたまり場みたいになっていました。

 昔の神社の講みたく地元の柄があまりよくない人達がいかのつまみを食べながらビールを飲んで与太話に興じているような光景です。

 学校で勉強ができず、かといって不良にもなりきれなかった様な風体の中途半端な人々です。

 家族で来ている人も居ました。

  普段の仕事は知的なサラリーマンではなく、中小工務店の職人・作業員みたいな感じでした。

 客層はマスターの人柄を反映している風でした。

 街中華でおいしいお店は柔道や相撲とりみたいな体形のマスターが多いといいます。

 豚骨やチャーシューや豚の背油みたく豚が好きで違いが分らないと街中華では繁盛しないようです。

 

 山崎亭●禅無もそういった世間の主流・出世コースからはぐれたような人々が傷を舐めあっているような雰囲気が好きでよく行っていました。

 背油のとんこつラーメンもさることながら、そこに来る人達もそういった雰囲気に惹きつけられて来ているようでした。

 

 昔は日本各地で見られたけど、最近はめっきり見かけなくなった地域の社交場みたいな場所になっているようでした。

 

 他の街中華は有名チェーン店で、ガールズバーがそばにあって、その若い男女が来ている事が多かったです。

 週末の翌朝に食べに行くと、色気のある遊び人風の若い男女がしゃべっていました。

 山崎亭●禅無が行くとお色気目線で見られました。

 山崎亭●禅無はそういったノリにはとてもついていけませんでした。