6年の3学期、ついに早稲田中学の入学試験の日を迎える。
試験はかなり自信が有ったのだが、合格発表の日にちょっとしたアクシデントが有り、最終的には合格していたのだが、それ程嬉しいとは感じなかったのです。
「チョッとしたアクシデント」、それは合格発表の日に、結果を確認に行った人からの報告で「私の番号はなく、不合格だった」と言うことを先生から言われたのであるが、正直な話、それほどガッカリしたわけでもなく「これでみんなと同じ学校に行くんだ」と言うくらいにしか感じなかったのです。
しかし、それから1時間くらい過ぎた頃だと記憶しているのだが、別の人から「合格している」と言う連絡が有ったそうで、始めに確認をした人が受験番号を間違えていたのです。
諦めていたところに合格の話を聞いたのだから、普通であれば「狂喜」するのが当然なのだろうが、その時の私は何故か「嬉しい」と思う気にならなかったのです。
ついでと言っては語弊があるのだが、当時の慶応中学の入学試験について書いてみたい。
私は早稲田中学以外考えていなかったのだが、何を血迷ったのか「慶応中学を滑り止めに」と言う事で願書を出してくれていたのですが・・・・。
通常「滑り止め」と言うのは、「万一に備えて確実の受かる学校を選ぶ」のが常識?だろうと思うが、今はどうか知らないのだが、当時の慶応中学は「種類選考で残った中から抽選で選ぶ」と言うことになっており、滑り止めにはならなかったのです。
当時、慶応中学の試験は「ガラガラ、ポン!で決まる」と私たちは聞いていたのです。
「ガラガラ、ポン!」とは、福引の抽選などでよく使われる六角形の箱を回して出てきた玉で合格が決まっていたのです。
私の他に二人が受けていたのですが、結局一人だけが合格し、私は不合格だったのです。
それでは「何故私が早稲田中学を選んだのか」と言うことだが、当時の早稲田大学は野球が強く、野球が好きだった私が「野球が強い」と言う単純な理由で選んだだけの事だったのだが、後になって考えると「選ぶべきして選んだ」と言うことが出来るのです。
「選ぶべくして選んだ」、慶応は「お坊ちゃま」で、早稲田は「バンカラ」と言うのが通り相場なのだが、「早稲田には個性の強い人が多い」と言うこともあり、私にピッタリだったのですが・・・・。
試験はかなり自信が有ったのだが、合格発表の日にちょっとしたアクシデントが有り、最終的には合格していたのだが、それ程嬉しいとは感じなかったのです。
「チョッとしたアクシデント」、それは合格発表の日に、結果を確認に行った人からの報告で「私の番号はなく、不合格だった」と言うことを先生から言われたのであるが、正直な話、それほどガッカリしたわけでもなく「これでみんなと同じ学校に行くんだ」と言うくらいにしか感じなかったのです。
しかし、それから1時間くらい過ぎた頃だと記憶しているのだが、別の人から「合格している」と言う連絡が有ったそうで、始めに確認をした人が受験番号を間違えていたのです。
諦めていたところに合格の話を聞いたのだから、普通であれば「狂喜」するのが当然なのだろうが、その時の私は何故か「嬉しい」と思う気にならなかったのです。
ついでと言っては語弊があるのだが、当時の慶応中学の入学試験について書いてみたい。
私は早稲田中学以外考えていなかったのだが、何を血迷ったのか「慶応中学を滑り止めに」と言う事で願書を出してくれていたのですが・・・・。
通常「滑り止め」と言うのは、「万一に備えて確実の受かる学校を選ぶ」のが常識?だろうと思うが、今はどうか知らないのだが、当時の慶応中学は「種類選考で残った中から抽選で選ぶ」と言うことになっており、滑り止めにはならなかったのです。
当時、慶応中学の試験は「ガラガラ、ポン!で決まる」と私たちは聞いていたのです。
「ガラガラ、ポン!」とは、福引の抽選などでよく使われる六角形の箱を回して出てきた玉で合格が決まっていたのです。
私の他に二人が受けていたのですが、結局一人だけが合格し、私は不合格だったのです。
それでは「何故私が早稲田中学を選んだのか」と言うことだが、当時の早稲田大学は野球が強く、野球が好きだった私が「野球が強い」と言う単純な理由で選んだだけの事だったのだが、後になって考えると「選ぶべきして選んだ」と言うことが出来るのです。
「選ぶべくして選んだ」、慶応は「お坊ちゃま」で、早稲田は「バンカラ」と言うのが通り相場なのだが、「早稲田には個性の強い人が多い」と言うこともあり、私にピッタリだったのですが・・・・。