「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

幼少期の私・・・・、私は貰われっ子?

2010-01-11 | 日記
私はかなり長い間(成人した後まで)貰われっ子だと思っていた。
ここで兄弟構成を書いてみると、長女・次女・長男(私)・次男・三女・三男の6人兄弟で、下の弟が生まれた時、長女は16歳、次女は11歳で、私は7歳、次男は5歳、三女は3歳であったが、この年齢構成と、私に対する父の態度を考えると「私は貰われっ子なんだ!」と言う気持ちになってしまうのである。
「姉二人とは少し年がはなれ、私が生まれてまもなく弟が生まれる」と言う状況と、「私には怒鳴るが弟には怒鳴らない」と言う父の態度。
これらの事により私が想像したのは「跡取りが生まれないので他所から男の子を養子に貰ったが、その後直ぐに男の子が生まれたので私が邪魔になった」と言うことである。
この事以外にも、弟や妹たちがした悪戯なども「お兄ちゃんがやったんだ!」と言う一言で済まされ、毎日のように、見に覚えの無い事で怒られてばかりだったのである。
これ以外にも多くの差別をされてきたのだが、その事はまた個別に書くことにする。
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幼少期の私

2010-01-11 | 日記
私は6人兄弟の3番目で、一応長男では有るが、少し年のはなれた姉2人の影響が強かったのだろう、遊ぶ相手は姉たちの同級生が殆どで、小学校に上がるまで自分のことを「あたし」と言っており、入学式の日に周りから哂われて恥ずかしい思いをしたことも覚えいる。
当時の私は非常に弱虫で、5歳くらいの頃だったと思うが、歩いて5分くらいのところに出来た教会の中の幼稚園に入れられたのだが、神父さんが怖くて5日後には泣き叫んで行く事を拒んだのである。
この頃の事は結構覚えているのだが、私の人生を狂わせる事になる「大事件が起きた小学3年生」の頃の記憶は殆ど残っていないのである。
今でも1年生の時の担任の先生の顔も、2年生の時の担任の先生の顔も思い出せるのに、なぜか3年生の時の記憶だけが希薄で、アルバムで確認しても「こんな先生だったんだ・・・・」と言う程度でしかなく、余程思い出したくないことが起きていたのだろう。
そして、父の姿も、記憶に無い3年生の頃を境に激変していたのであるが、この事に気が付いたのは、未だずっと後のことなのである。
それでは2年生の頃までの父はどうだったかと言うと、後になって思い返してみると「子煩悩な優しいお父さん」であり、私が少しくらい悪戯をしても全く怒らなかったことを思い出すのであるが・・・・、記憶が残りだした4年生の頃には激変していて、夜になってお酒を飲むと毎日のように母と口論になり、、そのとばっちりで、毎日と言ってよいくらい殴る蹴るの暴行を受け、一度は、雪の降る夜の庭に寝巻き姿で放り出された事も有るのだが、何故か母は助けてはくれなかったのであるが、その原因が「私のうまれた日」にあることはずっと後にならなければわからなかったのである。


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プロローグ(呪われた?誕生日)

2010-01-11 | 日記
私が生まれたのは、昭和17年(1942年)6月のことで、予定日を3週間も遅れて生まれてきたのだが、この誕生日が数年後に災いの種になることなど未だ誰も知らないのである。
この予定日を3週間経った日は「母方のおじいさんの一周忌の命日」であり、後にこの事が私の人生を狂わせる事になるのであるが、ある事件が起きるまでは「おじいさんの生まれ変わり」として可愛がられていた事を覚えている。

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