「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

百合さんの質問に答えて

2010-05-09 | 日記
「キレタ理由がわからない」と言うことだが、結論から先に言うと「気になる事が有るので注意した」のを「批判された」と短絡的に受け取られてしまったことで、良好な関係の中では余り起きない問題で、注意をいきなり「批判」と捉えられてはウッカリ話も出来ず、それまで「漠然と感じていた大きな溝」と言うものの存在が現実の物になってしまったのです。
次にその「気になる事」なのだが、私と仲良しになった孫娘がしばしば私に言ったのが「パパとママはラブラブなんだよ!」と言う言葉なのだが、それを話す時の孫娘の表情には「パパとママはラブラブだけど、私は仲間はずれでつまらない」と言う気持ちがハッキリと現れ、「私も一緒に仲間に入いりたい」と言う気持ちが読み取れるのです。
これは私から見ても同じように感じられるので、次の子供が生まれた後、仕方ない話では有るが「生まれた子供に関心が集中する」と言う事で、「お姉ちゃんがやきもちを焼かねば良いが」と思い注意しただけで、義理とは言え「仮にも親子」と言う間では想像も出来なかったのですが、それを聞いた息子までが「批判されてキレた」と言うのですからどうしようもないのです。
これは息子が結婚する何年も前の話だが、「父さんは子育てが上手いので子供が出来ても安心だよ!」と言った事もあり、小・中学生の頃はよく「俺も父さんのようになれるかなーーッ!」と言っていた事からは全く想像も出来ない話で、正直な話「狐につままれた」「裏切られた」と言った気持ちを禁じえなかったのです。
自分で言うのもおかしいのだが「私くらい積極的に子育てをした父親は少ないだろう」と言えるほど育児に参加し、特に「精神的な部分には大きな影響を与えたと思っていたのに・・・・」である。
このように考えてゆくと「離婚後も引き取って育てたのは一体ナンだったのか?」と言う疑問にぶち当たり、「一体俺は何をしてきたのだろうか?」と言うことになってしまうのです。
よく「子供は親の背中を見て育つ」と言うが、息子は私の背中を見ていなかったのか「反面教師」にしたのか大いに悩むところだが、仮の話し「反面教師」にしたのであれば、「何故私が反面教師にされなければいけないのか?」と言う疑問もわいてくるのです。
しかし、これは考えたくないことでは有るが「実は私の子供ではなかった」と言うことになれば全てに説明がつき、「私には全く似ていないが、母親にはそっくり」と言う事もうなずけるのであるが・・・・。
もしそうだったとしたら・・・・。
今更調べてみたとしても「所詮は後の祭り」でしかなく、仮の話「他人」であったとしても、今や「生みの親より育ての親」と言う言葉は「死語」になってしまい、「今は昔」と言うしかないだろうが、なんとも殺伐とした時代になったものである。
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「清々した」と言う言葉の意味

2010-05-07 | 日記
親が子供との縁を切ることで「清々した」と感じるのは非常識もはなはだしい事だろうが、これは私の本意から出た言葉ではなく、結果から考えれば「苦汁の決断から立ち直るために出たやせ我慢」と言えるだろう。
私が妻と別れたのは「息子が中学2年の3学期」で、私が息子を引き取って育てた事はすでに書いているのだが、高校に入った当初まではそれ程気にならなかった息子の性格が、高校に入った後徐々にではあるが母親(別れた妻)に似てくるのである。
それでも高校時代は問題になるレベルではなかったのだが、大学に入って私の元を離れて生活をするようになるとより顕著になり始め、次第に「母親そっくり」と言うレベルにまでなってしまい、今では「一卵性親子」と言ってもよいほどになってしまい、私と似た部分は殆んど見られなくなってしまっているのです。
話をしても「親子と言うより他人と言った方がよいのでは?」と言う状態になってしまい、まともな会話にならないのです。
よく言うところの「子は親の背中を見て育つ」と言う言葉は全く当てはまらず、「本当に私の子供なの?」とさえ考えてしまう程似ていないのです。
このように「私に全く似ないで母親そっくり」と言う事は、我慢に我慢を重ねた末に妻と別れている事を考えれば「いずれ息子とも同じ状態になる」と言う可能性が非常に高く、そうなってからでは重大な問題に発展する可能性もあり、仕方なく「私の方が息子たちの前から姿を消す」と言う苦渋の決断をすることにしたのです。
一部には私のことを「神経質で几帳面で怖い人」と思う人もいるのだが、実際の私はその反対で「冗談を連発する面白い人」だと言われているのだが、一部の「劣等感を持っている人たち」にとっては面白くない存在のようで、私の冗談を悪意で受け止めてしまうのです。
冗談を悪意で受け止められてはたまったものではなく、このような人たちには「何を言っても悪意にしかとられない」と言う事で、「話せば話す程溝が深くなる」と言うことにしかならないのですが、更に困った問題があるのです。
別れた妻は特に顕著なのだが、私に対しては「尊敬している」と言うことを言いながら、一歩家の外に出ると「隣の人とでも平気で私の悪口を言う」と言う状態で、正に「陰日向がある」と言う困った人たちなのです。
このように「常に神経をすり減らすような日々」から開放された事で「清々した」と言う気持ちになったもので、そう考えなくてはこれからの一人暮らしはやって行けないだろうが、お金を無心された挙句に捨てられた人から見れば「未だまし」だと思わなくてはいけないかもしれないが・・・・。
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「八回目の転倒」の顛末

2010-05-06 | 日記
ことの起こりはかなり前(10年以上?)から始まっていたようで、2年前に息子から結婚相手を紹介された時何となくその予感を現実の物として感じてはいたのですが、結婚相手には小学3年の女の子がおり、子供と仲良くなるのが得意な私なので直ぐに仲良しになれたので「これなら大丈夫かな・・・・」と安心していたのだが・・・・。
私の予想とは裏腹に、現実はそれ程簡単ではなかったのです。
その後も何度か「??」と感じることがあり、何となく「大きな溝」があるように感じていたのですが、昨年の9月にそれが現実の物となってしまったのです。
小学3年(その時は4年になっていたが)の女の子(孫)との仲は非常に良好で、私には何でも話してくれるのだが、その中で少し気になることがあり、そのことを母親(息子の嫁さん)に電話で話したところ突然「キレてしまった」のである。
私にとっては予想も出来ないような些細な事でキレられてしまい、正直な話し「この程度の話しで何でキレルの?」と言った感じなのだが、一度キレてしまえば手のつけようもなく、後で息子から聞いた話では「俺もキレタ」と言うのでビックリであるが、それは私が或る覚悟をしてからの話しで、その話を聞いた事で「ハッキリと覚悟を決められた」のですが、それは今年に入ってからの事で、このブログを立ち上げる原因にもなっているのですが、そこに至るまでの経過を書いてみましょう。
電話の一件の前に息子とある話を電話でしており、10月になってそのことに関して再確認の電話をしたのだが・・・・。
「ただいま電話に出られません・・・・」と言う何時ものアナウンスが聞こえたので電話を切ったのだが、いつもならその後かかってくるはずの電話はなく、その後も一向にかかってくる様子はなかったのです。
私もそれ程重要な話でもないので放置していたのだが、クリスマスイブの日に改めて電話をしたがやはり応答はなく、なんとなく嫌な予感がしたのですが・・・・。
「或る話し」とは、今年の1月8日ごろに新しい孫が生まれる予定で、「嫁さんが入院中は私が手伝いに行ってもいいが」と言う話をしていたのですが、それに対するハッキリとした返事はなく、大晦日の深夜になっても何の連絡もなかったのですが、そのことが伏線になったのでしょう、年明け早々「悪夢にうなされて目が覚める」と言うことになるのですが・・・・。
確認はしていないのですが、今にして思えば、私が悪夢にうなされていた頃は「陣痛が始まった頃」ではなかったかと思っています。
予定では8日頃と言う話しだったが、元旦の深夜に「生まれた」と言う電話があったのだが、非常に残念な事には、「その時はすでに私の覚悟は決まっていた」と言う事で、「生まれたよ!」と言う息子の言葉に素直に喜ぶ気持ちは全くなかったのです。
この「私の覚悟」とは、「元々希薄だった親子関係を絶つ」と言う事で、これは、幼少期の頃と同じ状態に舞い戻るような物で、私にとっては、「寂しいと言うより、残念だ!」と言う方が正しく、ある意味「清々した」と言う気持ちもあるのです。
「清々した?」と思う人もいるだろうが、そのことに関しては改めて書くことにします。
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