これは私が32歳になった時の話で、2年前に「家業(酒屋)を継ぐ継がない」で争いになり、半ば私は追い出されるように家を出なくてはならなくなり、家を買う頭金として300万を貰い、残りは自分の貯金と住宅ローンで今の場所に家を建てた1年後の話である。
私は総額850万で家を建てたのだが、それにあてつけるかの様に、弟は2,000万の家を建てて貰ったのである。
表向きは弟が住宅ローンでお金を借りて建てた事になっているのだが、当時は1,000万のローンを組む事さえ難しかった時代に「2,000万」などとても借りられるはずも無いのだが、商売で懇意にしている信用金庫に無理を言って「父の裏保証」で無理にローンを組んだのです。
当然の話だが、2,000万ものローンの返済を弟が出来るはずもなく、父が弟にお金を渡して返済させていたのです。
そして、この年は私にとってかなり厳しい年の始まりでもあったのです。
この1年前(私が家を建てた年であるが)に始まった「第一次石油ショック」により、勤め先の不動産会社が経営不振から倒産した年で、直ぐに新しい仕事は見つかった物の「収入は半減」してしまったのである。
収入が半減してしまえば当然のこと「ローンの返済に困る」のであるが、およそ2年余りだったと思うが、家で食べる食事は「即席ラーメンに卵とモヤシ」で済ませることも多かったのですが、片道2時間近くの通勤時間に限界を感じ、思い切って家の近くの会社に転職をした頃から少しずつ余裕が出てきましたが、どうしても父に援助を頼むことは出来なかったのです。
これ以外にもまだ沢山の話があるのだが、次回はそろそろ「なんでこんな事が起きたのか」と言うことに触れてみたいと思いますが、「ついで」、と言っては申し訳ないのだが、当初の予想に反して多くの方が読んでくださっているようなので、私のもう一つのブログも読んで頂ければと思っているのです。
もう一つのブログは「へそ曲がりおじさんのひとり言」で検索していただければ出てくると思いますが、「へそ曲がりおじさんの花便り」「へそ曲がりおじさんのへそ曲がりナオカヤドカリ飼育法」も私のブログなので、暇が有った折にでも読んでみてください。
「ひとり言」は少々辛口の内容なのだが、このブログと関連した事もかなり書いていますので、ある程度私と言う人間がわかって頂けるのではないかと思います。
私は総額850万で家を建てたのだが、それにあてつけるかの様に、弟は2,000万の家を建てて貰ったのである。
表向きは弟が住宅ローンでお金を借りて建てた事になっているのだが、当時は1,000万のローンを組む事さえ難しかった時代に「2,000万」などとても借りられるはずも無いのだが、商売で懇意にしている信用金庫に無理を言って「父の裏保証」で無理にローンを組んだのです。
当然の話だが、2,000万ものローンの返済を弟が出来るはずもなく、父が弟にお金を渡して返済させていたのです。
そして、この年は私にとってかなり厳しい年の始まりでもあったのです。
この1年前(私が家を建てた年であるが)に始まった「第一次石油ショック」により、勤め先の不動産会社が経営不振から倒産した年で、直ぐに新しい仕事は見つかった物の「収入は半減」してしまったのである。
収入が半減してしまえば当然のこと「ローンの返済に困る」のであるが、およそ2年余りだったと思うが、家で食べる食事は「即席ラーメンに卵とモヤシ」で済ませることも多かったのですが、片道2時間近くの通勤時間に限界を感じ、思い切って家の近くの会社に転職をした頃から少しずつ余裕が出てきましたが、どうしても父に援助を頼むことは出来なかったのです。
これ以外にもまだ沢山の話があるのだが、次回はそろそろ「なんでこんな事が起きたのか」と言うことに触れてみたいと思いますが、「ついで」、と言っては申し訳ないのだが、当初の予想に反して多くの方が読んでくださっているようなので、私のもう一つのブログも読んで頂ければと思っているのです。
もう一つのブログは「へそ曲がりおじさんのひとり言」で検索していただければ出てくると思いますが、「へそ曲がりおじさんの花便り」「へそ曲がりおじさんのへそ曲がりナオカヤドカリ飼育法」も私のブログなので、暇が有った折にでも読んでみてください。
「ひとり言」は少々辛口の内容なのだが、このブログと関連した事もかなり書いていますので、ある程度私と言う人間がわかって頂けるのではないかと思います。