「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

十で神童十五で才子、二十歳過ぎればタダの人

2010-01-20 | 日記
この言葉は私のためにあるようなもので、小学校5年6年の時は、今思い出しても「あの時は何で勉強が良く出来たのだろう・・・・?」と言うほどよく出来たのですが、中学に入ってからは右肩下がりで成績が下がってしまったのです。
5年の2学期に「俺は早稲田に行く」と宣言する前の私は、それ程目立つ存在ではなかったのだが、宣言してからは猛烈に勉強したわけでもないのに成績が上昇し、6年になった頃には「非常に目立つ存在」になっていたのです。
特に得意だったのが「理科」で、担任の先生が余り理科が得意でなかった事も有って、実験の時などは良く先生の助手をしたものです。
そして一番良く覚えているのはモーターを組み立てた時の事で、先生も一緒に組み立てたのだが上手く動かず、唯一私のモーターだけが動き、隣の組では全く動くモーターがなかったため、私のモーターを持っていって「このように動くのだ」と見せた物です。
これ以外にも、飛行機、竹とんぼなども一番良く出来、得意絶頂の時期でも有ったのです。
さて、私を含めて7人が私立の中学を目指す事になったのだが、当時は塾などなかったため、週に3日(夜)、7人の生徒が一軒の家に集まり先生が得別授業をしてくれることになったのですが、理科は私が半分以上教え、算数も結構教えた物でした。
自慢話の続きになってしまうのだが、1万数千人が参加した「模擬試験」で唯一満点を取った事も有り、更に、当時は「標準テスト」と言うものが広範囲に実施されており、採点だけでなく「順位」まで書かれていたのですが、私の場合は、「95点以上で5円、100点だと10円」ご褒美が母からもらえるのが楽しみで頑張った事も覚えています。
この頃が私にとって唯一幸せな時期で、中学に入ってからはまた大きな波風に襲われるのです。
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