「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

百合さんのコメントに関連した話

2010-01-21 | 日記
このブログ、書いている私自身「信じてもらえないだろうなーー!」と思いながら書いているのだが、それでも耐えることが出来たのは、私が精神的にタフだったからではなく、当時は私と状況は違っても「悲惨な生活」をしていた人は珍しくなかったのです。
自分と同じような悲惨な生活をしている人が周りにいることによって「自分だけではない」と言う一種の「安心感?」も有ったのでしょうが、それ以上に救われたのが私の周りにいた人たちだったのです。
父と母の争いも、商売をしている関係で、昼間は言わば「休戦状態」だったのですが、時に険悪な状態の時があったのだが、その時は裏の垣根の隙間から隣のうちに逃げ出したのです。
隣のうちにはおじいさんがいたのですが、このおじいさん、非常に私を可愛がってくれ、このおじいさんといる時は嫌な事も忘れる事が出来たのです。
このおじいさん以外にも私を可愛がってくれる人が何人かいて、良く遊びに行っていたのです。
そして、田舎のおばあさん(父の母)の存在が最も大きかったのです。
春休みと夏休みにはよく田舎に行っていたのだが、私が行くと特別扱いをしてくれ、従兄弟たちからは「お前ばかり特別扱いされてずるいぞ!」と言われた事も有ったのです。
この様に、家にいる時は悲しい思いをしても、一歩外に出てしまえばそこは正に「楽園状態」だったのです。
そして更に、商売をしている関係も有って「家族で何処かに出かける」と言う機会が少なかったのだが、私の場合は、お客さんや商売の関係で店に来る人たちが、釣りに連れて行ってくれたり、「家に遊びに来い」と言ってくれたりもしたのです。
この様な事はその後もよくあり、私の心の中には「心の支え」となってくれた人が大勢いるのですが、「もし今の時代に私が生まれたとしたら」と考えると憂鬱な気分になってしまうのです。
同じ状況でも、周囲の状況が違うと「耐えられるものも耐えられなくなる」と言う事はよくある事で、逆もまたあるのです。
コメント
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