私の家では、毎年正月になると親戚が集まり新年会が行われるのだが、私たち兄弟は皆同じように親戚の人からお年玉を貰い、その金額は合わせて千円余り(当時は1円でお菓子が買え、「50銭硬貨」も使えた時代であるから、千円は今のウン万円?)になるのだが、新年会が終わったあとは私にとって「魔の時間」になるのです。
「魔の時間」、毎年の事だが、親戚が帰った後父は何時も「貰ったお金を出せ!」と言い、私が貰ったお年玉の全ては父に取り上げられ、その中から「五百円」だけがお年玉としてもらえるのであるが、弟や妹はこのようなことは無く、親戚から貰ったお年玉のほかに父からのお年玉さえ貰えたのです。
長男である私は「五百円」で、弟や妹は「二千円近く」であったが、当時の私は、このような理不尽なことも「貰われっ子だから仕方ない」と諦めていたのであるが・・・・・。
その上更なる災難が待ち受けていたのです。
その災難の元凶は4歳年下の妹で、金使いの荒い妹は、二千円近くのお年玉をたちまちのうちに使い果たし、ひそかに私のお年玉を狙ってくるのです。
正に油断も隙もあったものでわなく、窮余の策として「使う分以外は郵便局に預ける」と言う方法で対応したのだが、一度は通帳と印鑑を見つけ出し、私の代わりに引き出そうとしたらしいのだが、「郵便局の窓口の人にとがめられ諦めた」と、後で局の人から聞いた事もあるのです。
しかし、この「貯金をする」と言う習慣が後の私の支えになるのだから、何とも皮肉なこと言えるでしょう。
「災い転じて福となる」とはこのことを言うのだろうか・・・・。
「魔の時間」、毎年の事だが、親戚が帰った後父は何時も「貰ったお金を出せ!」と言い、私が貰ったお年玉の全ては父に取り上げられ、その中から「五百円」だけがお年玉としてもらえるのであるが、弟や妹はこのようなことは無く、親戚から貰ったお年玉のほかに父からのお年玉さえ貰えたのです。
長男である私は「五百円」で、弟や妹は「二千円近く」であったが、当時の私は、このような理不尽なことも「貰われっ子だから仕方ない」と諦めていたのであるが・・・・・。
その上更なる災難が待ち受けていたのです。
その災難の元凶は4歳年下の妹で、金使いの荒い妹は、二千円近くのお年玉をたちまちのうちに使い果たし、ひそかに私のお年玉を狙ってくるのです。
正に油断も隙もあったものでわなく、窮余の策として「使う分以外は郵便局に預ける」と言う方法で対応したのだが、一度は通帳と印鑑を見つけ出し、私の代わりに引き出そうとしたらしいのだが、「郵便局の窓口の人にとがめられ諦めた」と、後で局の人から聞いた事もあるのです。
しかし、この「貯金をする」と言う習慣が後の私の支えになるのだから、何とも皮肉なこと言えるでしょう。
「災い転じて福となる」とはこのことを言うのだろうか・・・・。