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モーツァルトの音楽

2016-05-12 11:01:38 | 日記
数年前に母が他界してからというもの、モーツァルトを聴く時間がかなり増えた。それ以前には考えられなかった現象である。モーツァルトは神童とよばれた不世出の天才音楽家。幼少期から父親に情熱的な音楽教育を受けたといわれるが、このあたりは父親から美術教育を受けた天才画家のピカソに育った環境が似ている。両者は生きた時代や聴覚表現と視覚表現という違いこそあれ、天才ならではの完成度の高い作品をひたすら創造し続けた。ここからは、ピカソには丁重にご退場いただいてモーツァルトのみに話を絞りたい。私は母の生前に、モーツァルトの音楽で癒されたことはない。事実である。もちろん感動させられたことは多々あった。メロディーが親しみ易い上に覚え易い。そして日常生活の中で聴くと元気をくれる、端的に健康になれる音楽であった。そこに癒しの効果が全く無かったといえばさすがに嘘になるだろう。しかし、仕事上の挫折や失恋といった過去の癒しを必要とした局面において、私の場合はモーツァルトの出番は無かったわけである。ところが母親の死という私の人生において最大の不幸が訪れた時、モーツァルトの音楽は神仏の如き救済力を発揮してくれた。特にこの曲。

ヴァイオリン協奏曲第5番 第2楽章

なぜ、癒されたことのなかった音楽に癒されるようになったのか、最近になってわかってきた気がする。これはモーツァルトの音楽に内在する癒しの力に私が気づかなかったことが最大の理由だろう。母の死に直面し、私は不幸のどん底に落ちた。そのような最大級の不幸に人が在る時、音楽よりも音そのものに癒されることがある。小鳥の鳴き声、小川のせせらぎ、優しい風、これは聴界だけではなく、空に広がる夕焼けや、海面の光や、木漏れ日といった視界にも存在するものである。そしてそれらは人が創造したものではない。只、モーツァルトの音楽に、人の創造の域を超えた慈悲深い恩寵を感じたのは、母の死がきっかけであった。映画「アマデウス」で、宮廷音楽家のサリエリはモーツァルトの書いた譜面を読んで、神の声が聞こえたと独白する。






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