80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

過去の旅日記 自動車 平成15年冬北海道編 (前編)

2011年06月01日 | 旅行
「平成15年11月2日…午前5時12分、国道333号…17km930m地点付近にて、鹿と衝突。フロント大破、走行不能…。」(小型録音装置に収められた事故当時の音声録音より)


平成15年11月02日 晴れ

 11月01日午後11時30分、仲間との廃線調査を無事に終えて西興部で別れた。この年の北海道での廃線調査では、レンタカーが泥濘に埋まったり、土手から墜落したりするといったトラブルに見舞われた事から、仲間から運転注意の厳命を受けていたので、無事に終わってほっとした。
 白滝村で鉄道写真の撮影をすべく、下川町から愛別町経由で白滝村へと向かい、午前02時に白滝村の外れの奥白滝付近で仮眠をとったが、今思えば、愛別町に向かう途中で3回も鹿とニアミスしたのは、事故の前兆だったのかも知れない。

 辺りが明るくなった午前05時、朝に通過する貨物列車を撮影するべく奥白滝を出発した。この辺りは集落もなく、牧草地ばかりが広がっていて、見通しは良かった。
 貨物列車の通過時刻まで1時間以上もあるので、時速65キロ程度に加速してのんびりと移動を始めて間もなく、前触れもなしに私の車との至近距離で鹿が飛び出してきた!
 正確には、道路から1メートルばかり低くなっている場所から、車道にジャンプして仁王立ちになった。
 私にしてみれば、目の前に大きな物体が突如出現したようなもので、飛び出してきたという感覚には程遠いものであった。
 過去の衝突事故の経験から、咄嗟にブレーキペダルとサイドブレーキを同時に操作しつつ、一瞬の間にハンドルを切るべきかどうか迷ったが、路面が凍結していた場合の事を考えてやめた。
 止まれ! という私の意思も、過去の経験もアンチロックブレーキシステムも空しく、鹿にめがけて一直線に突っ込んだ。
 次の瞬間、アルミ缶を立てた状態で踏み潰した時のような鈍い音が伝わり、鹿が前方に飛ばされて横倒しになるのがスローモーションで見えた。

 エンジンが停止した。ハザードをつけて鹿の様子を見に行くと、鹿は立ち上がって、よろめきながらも足をひきずって逃げていった。
 車には少量の血液と体毛が付着し、ヘッドライトは割れてバンパーの樹脂部品の一部が外れており、フロントは大きな拳を振り降ろしたように潰れていた。
 車を車道の脇に移動しなくては、と車に戻った私は、エンジンを再始動しようとしたが、セルモーターがうなるだけで、エンジンは動かない。
 シフトをニュートラルにして、車を押して道路の右肩に寄せた私は、エンジンを再始動しようと何度もキーをひねったが、遂にエンジンは息を吹き返す事はなかった。
 携帯電話で110番通報をした。時間が少々かかるが遠軽から向かうとの返事を受けた私は、改めて車の損害状況を子細に観察し、写真撮影を行った。











 そんなこんなしているうちに、警察が来た。レッカーもやってきた。簡単な事情聴取が済んで、レッカーに車を載せる作業をしている時、私の脇を貨物列車がゆっくりと通過していった。
 丸瀬布町の自動車修理工場へレッカーで移動中に貨物列車に追い付き、しばらく並んで走る事になった。撮影出来ない悔しさがこみ上げてきた。

 自動車修理工場に到着した私は、そこの事務所でレンタカー会社と打合せをした。事故証明の手続きを近くの営業所でとる場合、紋別の営業所でないとだめとの事で、金をおろそうにも、当時はコンビニエンスストアのATMは札幌にもなくて、信用金庫のATMは営業しておらず、遠軽まで行かないと無理であると自動車修理工場の社員に言われた。
 人間は混乱すると変な行動をとるもので、無理を承知で昨日まで一緒に行動した仲間に電話をしまくり、助けを求めたりした。
 結局、事故証明の手続きはレンタカーを借りた札幌の営業所で行う事と、レッカー費用はレンタカー会社に請求してもらって後日レンタカー会社にレッカー費用を支払うという事だけを決めて、荷物をまとめて自動車修理工場を後にした。

 丸瀬布駅に移動した私は頭を冷やして対応を考えたが、3日まで丸瀬布に居残り、鉄道写真を撮影する事に決めた。
 せっかくここまで来たのだから、もう意地でも貨物列車を撮影してやろうと闘志が湧いてきたのであった…。


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