80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

過去の旅日記 丸石自転車 道南・道央・道東編

2013年02月01日 | 旅行
 私は以前、旅行に自転車を用いた時期があるが、あくまでも北海道の鉄道廃線跡を調査する際の移動手段として用いただけなので、純粋な自転車旅行ではない。
 だが、この自転車旅行のおかげで色々な経験をしたので、道南方面を回った時の思い出をいくつかかいつまんでみる事にする。
 なお、本文中に登場する愛車は、平成08年09月に、旅行先の北海道雨竜郡幌加内町字幌加内で盗難に遭ってしまいました。
 自転車で日本縦断を果たした兄弟のいる自転車屋で、カタログ価格約10万円の自転車に色々な装備を施した愛車は、購入した平成04年当時としてはまだ珍しかったクリーム色のタイヤを装着していたのだが…。

平成07年08月05日 晴れ

 前日の深夜に、太平洋側にある函館本線の八雲駅に降り立った私は、反対側の日本海に抜けるべく、早朝に雲石峠へと向かった。
 外はまだ暗く、少しばかり霧がかかっており、のどかな風景を眺めながら国道277号に進路を取ると、鉛川に沿う坂道となった。
 実は、本格的な峠越えは、これが始めてで、新潟県の越後湯沢で行われた大学の体育の集中授業で、小さな峠越えを数回と、この旅行での国道228号福島峠越えしか経験が無かった。

 坂が一段ときつくなり、つづら折りになった道を1時間以上登っても、一向に先が見えてこないので、途中のキャンプ場で休憩を取る事にした。
 そこには、スーパーカブで旅行を続けている中年のライダーが1人で朝食をとっており、色々と旅行の話をして、カブのメリットを聞かされた私はこの時、調査旅行の移動手段をカブに切り替えようと思った。
 そろそろ頃合が良いので出発しようと思い、峠のサミットまでの所要時間はどれ位か尋ねたところ、原付の倍以上の所要時間と仮定して、3時間位はかかるのではないかと言われたので、慌てて身支度をして出発する事にした。

 きつくなる一方の坂道をゆっくりと登っていくうちに、辺りが開けてきたが、目の前に大きな山肌が立ちふさがっているのが見えた。
 まだまだ先が長いのかと絶望を感じた時、後ろからクラクションを鳴らされた。何事かと思うと、先程のライダーであった。
 その人はしばらく並走しながら励まし、クラクションを鳴らして走り去っていったが、勇気をくれたおかげで、どこまでも広がる青い空と、眼下に広がる森林の緑の色の美しさに気が付いた。

 やっとの思いで峠を越えた私はすっかり疲れたので、惰性で坂道を下って、風景を愛でながら体を休める事にした。
 タイヤのうなりが一段と激しくなってハンドルが細かい振動を始めたので、手元の速度計を見たところ、時速60kmを遥かに超える速度を出しているではないか!
 風景をこころゆくまで愛でる余裕がない事がわかったが、意を決して、ファインダーを覗かずにカメラで風景を撮影した。









 ふもとに下ってまもなく、左手に日本海が開けて、親子の熊に見える岩とかを眺めつつ、心地よい潮風を浴びながら、ゆっくりと「追分ソーランライン」を北上した。

奥尻島を襲った津波の被災をかろうじて免れた鉄道車両



 さて、道の駅で食事をとってから、瀬棚に向かっている途中の山道で下り坂を下っていた時に、急にキタキツネが飛び出してきた!
 キツネはかわしたものの、強引な回避でバランスを失って派手に横転し、足を捻挫してしまい、何とか北檜山までたどりついたものの、市街地の外れを流れる真駒内川のところで力尽きてしまった。





 北檜山のバスターミナルの辺りで休んだものの痛みは取れず、意を決して、北檜山でヒッチハイクを決行したものの、全くつかまる車がなくて夜になってしまった。
 ヤケクソになって向井鮮魚店で強引にお願いしたところ、半ば呆れられながらも、ご主人は了承して下さった。
 列車には充分間に合うからと、ご主人は近くの町営温泉を案内して下さった。そこでエレキの浴槽に入って絶叫しながら、体を休めた。

 ご主人の車に乗って北檜山を出発した私は、廃止となった国鉄瀬棚線の話やらご主人のヒッチハイクの体験談を聞いているうちにすっかり眠ってしまって、気がついた時には長万部のコンビニエンスストアの駐車場にたどりついていた。
 まもなく、コンビニエンスストアからご主人が戻ってきて、買ってきた弁当を私に下さった。信じ難かったが、有難く頂く事にした。

 さて、ご主人と別れた私は、長万部駅で列車に乗り込んで、次の目的地に向かったが、今回の日程が非常に厳しいものである事を、後々、身に染みて思い知らされる事になった…。

平成07年08月07日 雨 時々 曇り

 この日は、本来ならば06時頃に伊達市内を出発して、国道453号沿いに走っていた国鉄胆振線の跡をたどりながら新大滝村を経由して、道道695号・国道276号を走行して京極町に向かう予定であった。
 だが、前日に列車に乗り遅れてしまい、10時過ぎに出発してまもなく発見した胆振線の線路跡をたどっていたら、途中で道を間違えて長流川上流のところまで進入してしまった。
 川の深さが1m未満だったので、道を引き返さずにそのまま自転車を担いで渡り、11時過ぎにはようやく国道453号に出る事が出来たが、川を渡らずにあのまま引き返した方が良かったようだ。

 時間を取り戻すべく急いだが、延々と続く坂道と雨で体力と気力が消耗した上に、調査に時間がかかった為、大滝村の北湯沢を通過したのが16時過ぎだった。
 すっかり嫌になってドライブインで食事をしながら、店のオバチャンに「自転車旅行なんてやってられねーよ」と愚痴をこぼしたところ、「あんたの好きでやっている事でしょ!」と一喝され、この一言に目が覚めた。

 19時を回った頃に国道276号に入った私は、喜茂別町の御園まで移動しようと途中で分岐している道道695号へ進路を取って、坂を下り始めた。
 ところが、舗装が途切れてしまって、カーブがきついつづら折りの砂利道の急坂となってしまった。林道といった趣である。
 道を間違えたのではと不安になり、熊に襲われたらどうしようという恐怖に駆り立てられ、いつしか念仏を唱えながら坂道を下っている自分に気がついた。
 その心がけが通じたのか、左手に民家の明かりを見つけてすぐさま反転し、地獄に仏とはこの事かと思いながら、明かりのある方向へ一直線に向かった。
 今となってはただの笑い話だが、それまでの恐怖から開放されてとても安堵したのを、昨日の事のように思い出す。
 軒下を借りて小休止を取ろうと、そこの民家のご主人に訳を話したところ、家に上がるよう言われて、ご好意で食事を頂き、泊めさせてもらった。

 風呂に入って体の汚れと疲れを落とした私は、布団に潜ると、今日の事を振り返る間もなく、すぐに深遠なる闇の世界に落ちていった…。

平成07年08月08日 雨 のち 曇り

 目を覚ますと、外は土砂降りの雨だった。昨日の時点で大幅に遅れているのに、今日も予定通りに出発出来ない事がわかった。

 朝食を頂いた後、この辺りの鉄道の跡地と、鉄道がなくなる前になくなった駅について尋ねたところ、昔のアルバムを引っ張り出して、色々と説明をして下さった。
 そして、駅が記載されている昔の地形図まで持ち出して、ここからすぐの場所にあった事を説明して下さり、その貴重な地形図を私に下さった。

 外はなおも強い雨が降っていたが、これ以上遅れる訳にはいかなかったので、覚悟を決めて出発する事にした。
 見ず知らずの者を家に入れただけでなく、泊めさせて下さり、しかも、色々ともてなして下さった小前様をもう一度訪ねようと思いながら、小前様宅を後にした。

 さて、強い雨の中を自転車で走行するというのはつらかったが、ふもとに着く頃には、雨も小降りになって、何とか調査も可能だと一安心した。
 御園の集落にたどり着き、御園駅があった場所を尋ねて、駅を撮影して撤収したが、予定より4時間位遅れての出発となった。
 こんなに遅れるとは思わず、自転車旅行の経験がなかったのに、寄り道を前提としたツーリングの計画を立てるなんて無謀であったと痛感した。
 だが、泣き言は言っていられない。何せ、この旅が始まって以来、1週間目にして初めて宿に宿泊する事になっていたので、あまり遅い時間にチェックインも出来ないのだ。

 さて、喜茂別町を抜けて京極町に至るまで、余り記憶がない。唯一鮮烈な記憶があるのは、喉が乾いていた時に、自動販売機を見つけた時の事だ。
 辺りには民家もほとんどなく、たしか水田ばかりが広がっており、自動販売機を利用しそうな人間がいない、変な場所に忽然と自動販売機があった。
 火に飛び込む夏の虫の如く、自動販売機に群がり、ビン入りのコーヒー牛乳を選択した。すると、泥水ともコーヒーともつかない色をした、コーヒー牛乳の色とは違う液体が入ったビンが出てきた。
 「これはヤバイ!」という感が働いたが、怖いもの見たさに恐る恐る蓋を開けたところ、泥水の中に白い塊が浮かんでいるではないか。
 明らかに飲んだらまずいという冷静な判断が働いたが、好奇心に負けてしまい、舌をビンに近づけて舐めてみた。

「!!」

 強烈な痺れが舌の先から脳に電流の如く伝わって、その強烈な痺れが体内を駆け巡り、口腔内に広がる、味とは呼べないすさまじい刺激を体外に吐き出したが、とてつもなく長い時間であるように感じた。
 無論、ビンの中の液体はすぐに捨てたが、この飲み物がいつ製造されたか気になって、一度捨てた蓋を拾って消費期限を見たところ、一年前に消費期限が切れている事がわかった。要するに、とんでもない「当たり」を引いた訳だ。

 時間と金を無駄にした私は、駆け足で京極町に向かい、南京極駅があった場所の近くに、今西商店というおあつらえ向きの商店を発見した。
 食料を調達しようと中に入ると、レジのところに鉄道の時刻表が掛かっていた。訳を尋ねると、昔、ここで切符を販売していたと言う事で、ご主人に南京極駅について色々と訪ねた。
 商品のパンや牛乳を適当に購入しては食べながら、1時間位、鉄道があった頃の話や雑談をしたり記念撮影をして店を出ようとしたところ、ご主人は当時の時刻表と切符を私に下さった。
 当時の思い出があるだろうから、受け取る訳にはいかないと言ったのだが、あんたなら大切にしてくれると信頼して下さったので、受け取る事にした。

エピローグ

 平成13年夏に国鉄瀬棚線を探索するべく瀬棚方面へと出かけた後、無理な日程を組んで今西様と小前様を訪ねる事にした。
 今西様宅を訪ねた時にはご主人が不在だったが、今西商店はその年の06月に閉店していた事を奥様が教えてくれたので、元店舗を撮影して撤収した。

 平成14年11月に国鉄胆振線の調査で倶知安方面を訪れる際、今西様と小前様を再度訪ねるべく余裕のある日程を組んだ。
 喜茂別町での用事を済ませ、今西様宅を訪ねたところ、店舗が姿を消しており、近いうちに店をたたんで子供のところで暮らす予定であると話していた事を思い出した。
 不安を覚えながら門戸を叩くと、ご主人がいらっしゃったので、前回撮影した店舗の写真を渡したところ、写真撮影をするのを忘れていたわいと目を細めて懐かしそうに写真を眺めながら、解体の際のエピソードを楽しく語って下さった。
 何でも、平成14年の春先に倉庫として転用していた店舗と車庫を取り壊したそうで、ご主人の趣味である日曜大工の一環と称して、自分一人で解体したそうだ。

 さて、小前様だが、平成13年夏の時にはご主人が不在だったが、奥様が覚えており、平成14年11月の旅でもご主人には会えなかったので、また機会を作って訪ねようと思っている。


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2 コメント

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うむ (かずっさぁ)
2013-02-04 21:26:52
何度も読み返したいほど、面白い内容でござる

拙者も若かりし頃チャリ旅したいと思って、49才になってしまったでござる
なんとも羨ましい旅行をしたでござるね
かずっさぁさん、いらっしゃい (ブログのヌシ)
2013-02-05 02:39:34
かたじけないでござる。
向こう見ずでガンガン攻めていた破天荒な旅行が懐かしく思い出されます。
今の旅行で不足しているのは、他人との出会いだと思うのですが、昔と違って、向かい合わせじゃない座席の列車でスマホぐりぐり、イヤホンを装着して自分の世界に入り浸っている人に、話しかける自信がないです。
昔の鉄道を調べている関係で、お年を召した方と知り合う機会はまだまだあるのですが…。

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