80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

東京電力我孫子線No.38鉄塔(その昔、根戸の森に送電鉄塔があった事を知っているか?)

2014年02月07日 | 送電線・発電所・変電所
 我孫子市根戸から根戸小学校に通学していた方で、昭和60年頃まで、我孫子市根戸の森を横断して、国道6号線つくし野歩道橋(旧)付近,現在ショッピングセンターのエスパが建っている場所を経て我孫子駅脇のJR東日本我孫子変電所に至っていた送電線があった事をご存知だろうか?



 私の記憶にある当時建っていたものと同型と思われるJRの送電鉄塔として、新松戸―北小金線9号鉄塔の写真を掲載する。



 以前、旧国立柏病院職員宿舎(仮称)の記事で、通りかかった老婆と雑談した際に、近くに見える東京電力我孫子線の鉄塔は、以前は背が低い鉄塔で、昭和20年代に常磐線の近距離電車が取手まで延伸された時に建てられたのではないかと質問した事があるが、根拠として、柏市立富勢小学校の南側にある富勢運動場付近の送電鉄塔からショッピングプラザのエスパ付近にあったと記憶している送電鉄塔の場所を結ぶと、東京電力我孫子線の送電鉄塔がライン上に大体並んでいるという強引なものだったが、老婆からは、元々背が低い鉄塔を建て替えたという回答を引き出す事ができた。
(鉄塔が建てられた時期についての回答があったかどうかは失念)
 東京電力我孫子線が、元々国鉄送電線だったのではないかという仮説については、まだ聞き取りを重ねて検討する必要があるが、それはさておき、国鉄送電線が分岐していたと推測される東京電力我孫子線No.38鉄塔をご覧いただきたい。








 この形状の鉄塔は、送電線が分岐する時に建てられる鉄塔で、我孫子線から分岐する伊藤ハム線や、かつて分岐していた紀長伸銅線でもそうだった。

右:No.38鉄塔,左:No.39鉄塔



右奥:No.38鉄塔,左手前:No.39鉄塔(紀長伸銅線撤去後)



参考:No.39鉄塔から手前に分岐する紀長伸銅線(左右方向の送電線が我孫子線)
 →紀長伸銅線の記事 その1 その2



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