グダグダシリーズも最後のメイン。
はまなす最後の乗車タイムです。
この為にこの旅行企画したって感じですしね…。
旅行の集大成感あります。
いやぁ
この列車には…本当にお世話になりました。
そんな訳で、人の山に紛れ、
待つこと数十分。
エスコート役のDE10に引かれて、
灯りをともしたはまなすが入線してきました。
よくお世話になった、青い森の鉄道701の並び。
本当にお世話になった車両同士の並びも、これで見納めです…
B寝台の三つ星に
青いボディー…
駅銘板までも新しくなっている時代にあって、
はまなすだけが取り残されてしまった印象さえ受けます。
よくここまで走ってくれたよなぁってしみじみ。
無き北斗星と比べるとあれですけど、
やっぱり本州で札幌行の表記が見れるってこと自体が
ちょっと不思議な感じがします。
もう最後というだけあって、
青森駅では撮影用サービスとして、
普段は立ち入れない、先頭側も解放されていました。
ここ、いつもだと、黄色い柵みたいなので通れないんですよ…
そんなわけで普段は意外と見れなかった、
はまなすマークを誇らしげに掲げる、ED79の晴れ姿です。
かつて、要らない子扱いをされ
新幹線までの繋ぎとして改造されたこの機関車は、
それから想定を軽く超えた30年近くもの間走り続け、
計画通り新幹線に後を託し、このはまなすともに引退することになりました。
もしかしたら、はまなすの存続で、
一番の功労者だったのは、この小柄な機関車なのかもしれません。
錆でボロボロになった、「函」の区名札は、青函トンネルの専用機として、
高温多湿な環境を走りぬいてきた証です。
青森駅へのホームには、
はまなすとの別れを惜しむ人で溢れていました。
シーズンに偏りがあるとはいえ、乗る人も沢山居たのに、
無くなってしまうのが本当に悲しいですね。
乗っても残せなかったよ…。
もう引退間際ということもあり、
寝台の方は勿論満席。
冬シーズンにも関わらず、
お馴染みの「21号車」も発動していました。
こんなちょっとした、国鉄の時から続いてきたこんな表記も、
思えば、はまなすが最後だったのかもしれません。
結局自分たちが最後に乗ったのは、一番後ろの自由席のスハフ。
なんだかんだで一番お世話になった、思い入れたっぷりの車両でした。
豪華な指定席車、ドリームカーでも、寝台車でもない、
はまなすでは一番、安いグレードの座席ですが、
この時勢を考えると「はまなす」という列車でしか体験できなかった
ある意味、一番贅沢な車両だったような気がします。
いつも通り、相変わらず、ガラガラの車内で
シート端を陣取って、くつろいでいると、
はまなすはゆっくりと走り出しました。
暫くすると聞こえてくるチャイムは、
お馴染み、ハイケンスのセレナーデ。
増結の案内や、自販機の号車案内等、
車掌の長いアナウンスが終わると、
車内は消灯され、再び、静寂に包まれます。
こんな、トイレの小窓ごしに感じる、外の冷気。
デッキの配電盤にぼんやりと燈る、動作ランプ。
こんな、ちょっとした光景一つ一つでさえ、
平成生まれの僕にとっては、新鮮で不思議で、
今の鉄道じゃ到底体験できないような、この独特な車内の雰囲気が、
急行はまなすという列車の一番の魅力だったように思えます。
自分でも、それなりに、
色んな列車には乗ってきたつもりなんですけど、
はまなすに相当する列車って本当にないんですよね…。
ブルートレインでも、特急でもない、
かといって、ムーンライトシリーズみたいな夜行快速の雰囲気でもない…
21世紀にあって「夜行急行」を味わせてくれる貴重な列車でした。
青森駅を出て暫くすると、「ピッ」という警笛の後に、
走行音がゴーっという音に代わりました。
とうとう、青森県を超え、
海底に、青函トンネルへと進入したのです。
スハフの一番後ろからは、こんな風に青函トンネルの
遠く続く入口までを一望できます。
こんな小窓越しに青函トンネルを眺められる列車って、
他にあるのかなぁ…
この区間の走行中の、
トンネルのランプに照らされ、チカチカと点滅する車内は
いつも思うのですが、どこか幻想的です。
車内の一番手前の広告枠には、
新幹線の開通を祝福する、3.26改正のものが刺さっていました。
まぁ、ユーザー的にも順当な広告なんでしょうけど、
入れ替わりで、この日を待たずして消えてしまう、
この列車で宣伝されてるっていうのは、
ちょっと悲しいというか…皮肉ですね。
暫くすると、はまなすは、
トンネルを抜け、
道南の拠点、函館駅へと到着しました。
元々人気だった機関車交換は
もう黒山の人だかり。
実感ないんですけど、
本当に無くなっちゃうんですね…。
DDとかEDのスナップショット…
ホームで編成を見る旅に思い出が頭をよぎります。
停車場所を探してうろうろした時のこととか
ミニラウンジでトランプやったり、
満席で持たれかかって寝たときのこととか…
なんでだろう、こんなボロボロの車両だけど、
本当に楽しくて、確かに思い出が詰まってたんですよね…
管理人の青春が、はまなすにはありました…。
ホームや車内から、名残惜し気に写真を撮り、
車内に戻ると、札幌までの最後の一時を楽しむことにしました。
いつも通り、DDの警笛を尻目に
ウトウトしている内に、ふと目覚めると、もう札幌直前。
忘れ物に気をつけるようにって車掌の放送でしんみりすると、
とうとう、はまなすとお別れの時間がやってきました。
もう、ずっと乗っててもよかったんですけどね。
時の流れは残酷です…。本当に。
はまなすが到着した後の札幌駅はいつもこんな感じ。
旅行客、ビジネス客で溢れているんです。
本当に最後まで、地元の人にも、
観光客の人にも支持され、利用されていた、不思議な列車でした。
こういう列車って、普通は利用者低迷とかで終わるのが常ですもんね…。
折角最後なので、
この後は、小樽方面の電車に飛び乗り、先回りして、
最後の回送を撮影することにしました。
はまなす見るのはこれが本当に最後ですかね…。
んで、例によって、前にいい感じで撮れたから…って
浅慮の上、琴似駅へと到着したはいいんですが、
何か知らない内に、撮影位置に看板ができてまして
やべぇ詰んだとか言ってる間に
走ってきて、横をすーっと通過していきました。
・・・・・・・・・・・。
最後までグダグダな辺りが、俺らクオリティです。
まぁでも…らしいっちゃらしいのかな…。
この日のちょうど一か月後、
急行はまなすは、北海道新幹線の開業に先行して廃止され、
鉄路の彼方へと消えていったのでした。
サヨナラ…はまなす。
実はこのちょうど、一年後、思わぬ形で再開を果たすんですが、
それはまた別のお話です。
つづく
*おまけ*
はまなすの最終列車では、
到着直前に、こんな特別な放送が為されたようで…
あ…
あれ…目からリボリンナポリンが…
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