わたしのいるところ

ここに来て深呼吸してってくださいな。

父へ。

2009-07-13 13:38:57 | わたし
7月10日(金)午後3時17分
父は旅立ちました。




金曜朝、病院に行きました。
先に父のお友達が来られていて
父の状態を見て
ちょっとびっくりされていました。
父のために祈ってくださいました。
母や弟が来て少し話した後お友達が帰られました。
その後すぐに看護師さんが
「個室に移動します。
会わせたい人がいれば呼んであげてください。」
とのことでした。
(11時半過ぎ)
その時にはまだ状況の把握が出来ていませんでした。
とりあえず
近くの叔父叔母を呼びました。

叔父たちと父のことを話していました。
和やかに話していたら
看護師さんが来られ血圧などを測っています。
先生も来られました。
まだわかっていませんでした。

「お兄さんは?弟さんは?」と聴かれ
気がつけば
父は呼吸をしているの?でした。
兄と弟に電話をしましたが間に合いませんでした。。。
母は
父はこんな状態だけれど
いつも復活する父を信じていたから。


実は
金曜日、次女は頭が痛いと言って
学校をお休みしました。
留守番させるのは、と思って
一緒に車で出掛けようと思いましたが
次女はしんどすぎて行けない!と言うので
私ひとりで出ました。
普段なら末っ子が帰って来る時間に合わせて帰るのですが
(父の亡くなった時間は普通ならもう家に戻っています)
次女のお蔭で父の最期を看取ることが出来ました。
他にも色々な偶然ってあるのだなぁ・・・と
感ずることがありました。


きっと一番心配な私だから
そばにいて
父を看取るようにしてくれたのかな。

父は穏やかな顔をしていてキレイでした。



お葬式では
弔辞をお2人が読んでくださいました。
父がバリバリに活動していた頃のこと
学生時代の頃のこと
お2人はお話ししてくださいました。
若かりし頃の父に会えたような気がして
うれしく思いました。

こんなにも父のことを思ってくださって
心が熱くなりました。。。

式には連絡していなかったのに
私の友達が何人も来てくれていたこともびっくりして・・・
大学時代の友達は
父が穏やかで静かな人だと思ってたよ、と言いました。
(脳梗塞後はあまりしゃべらなくなったので。)
私が結婚前に
両親とその友達グループとフェリーで
長崎に行ったこともありました。

遺影はなんとその長崎旅行のフェリーの上で
父と私が思いっきり笑っているときのもの。
(私はカットされていますよ~)



父は人と付き合うのが好きでした。

日曜日にはいつもどこかに連れて行ってくれました。
(自分が一番楽しんでいたのかも)

運動が好きでPTAの卓球部に母と入って練習をしていました。

PTAの小・中学校の会長を2年間づつ計4年していました。
(弟は会長の息子と言われてイヤだったみたいだけど)


脳梗塞になってからは母と世界中を旅行していました。

人当たりはよく見えて
でも
家族には我が儘で大変だったけど
笑えるくらい母が好きでした。

弔辞の中で「真面目で一生懸命でした。」
と言うところ
改めて気がついたり・・・

テニスクラブを友達と立ち上げて
試合に出たこと
そんなこと全く知らないことでした~!



父が47歳で脳梗塞になってから
私たちに少しづつ覚悟させてくれて
「死」を受け入れさせてくれました。
今回の
長い入院生活は私たちを強く結びつけてくれました。
家族みんなで
たくさん話をしました。

2年前には
母と弟家族とで高野山に行くことが出来て
それが
父との最後の旅行になったけれど
父はとってもうれしそうでした。
無理やりにでも行ってよかった。

子どもたちも
父の死を悲しみながらも
いのちの大切さを父から教えてもらえたかなぁ。。。


父へ

兄弟の中で一番反抗して、一番心配かけて
ごめんね。
きっと一番似ていたんだね。
でも
父の子どもで良かったよ。。。
ありがとう。
今度は天上から私たちを見ていてね。




兄の喪主挨拶も兄らしい言葉でした。
でも
兄が泣いたのを見たのは子どもの時以来かなぁ・・・(笑)
(やっぱり大阪人らしくオチがないとね!)
コメント (22)
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