テレビで映画「たそがれ清兵衛」を放送していたので録画して観た、2002年、129分、監督山田洋次、原作は言わずと知れた藤沢周平の小説
明治維新の直前の幕末、庄内・海坂藩の下級武士である井口清兵衛(真田広之)は妻を病気で亡くし、幼い娘2人や年老いた母と貧しくも幸せな日々を送っていた。家族の世話や借金返済の内職に追われる彼は、御蔵役の勤めを夕方に終えると同僚の誘いを断ってすぐに帰宅してしまうため、“たそがれ清兵衛”と陰口を叩かれていた。ある日、清兵衛はかつて思いを寄せていた幼なじみの朋江(宮沢りえ)を酒乱の元の夫の嫌がらせから救ったことから剣の腕が立つと噂になり、上意討ちの討手に選ばれてしまう・・・
藤沢周平は好きな作家である、と言っても熱烈な藤沢ファンのように彼の小説を全部読んだわけではない、「蝉しぐれ」や「三屋清左衛門残日録」、「隠し剣秋風抄」、「用心棒日月抄 」などいくつかの小説を読んだだけである、この程度読んだだけで彼の作品の論評はできないが、読んでさわやかな感動を覚える小説だとの印象がある。今回もそういう感動を与えてくれるだろうと期待して観た、ただ原作は読んでいない
観た感想を少し述べたい
- 期待にたがわず良い映画であった、良い物語であった
- 清兵衛は妻を病気で亡くしたが、結婚中も朋江のことは忘れたことはなかったと朋江に告白する、これは50石取りの下級武士の清兵衛に150石取りの家から嫁に来た先妻が苦しい生活になじめず、夫婦仲は良くなかったことも原因かと想像したがどうだろうか
- 清兵衛は普段は下城してからも内職をやって糊口をしのぐ生活をしていたが、実は剣の達人であったという設定に無理があるような気がする、毎日剣の稽古をしているわけでもないが凄腕は変わっていないところに違和感を覚えた、ただ、そこは小説だから良いのでしょう
- 清兵衛は同僚の武士である朋江の兄から、「いまは時代の転換期だから京都に出てチャンスを掴め」と言われると、「自分は武士が無くなっても百姓をやって暮らす」と言う、この時代にこういう性格の武士も珍しいのだろうが、司馬遼太郎の歴史小説に出てくる主人公とは正反対の日陰の存在に光を当てて描くのが藤沢小説なのでしょう
- 朋江役の宮沢りえ(1973年生れ)の演技が素晴らしかった、美人過ぎて清兵衛と全然釣り合っていないし、武家の娘であるにも関わらず家事をテキパキこなすなど有り得ない設定だが、これも許されるでしょう。ただ、朋江は清兵衛の子供たちを町人の祭りにも連れて行き、兄はいつも武士の給金は百姓たちの働きによって賄われていると、子供たちに説明しているところを見ると、実は武家であってももう昔のような生活はできない家だったのかもしれない、宮沢りえの出演した映画「紙の月」(2014年)を昨年のちょうど今頃観たが、この映画は「たそがれ清兵衛」からだいぶ後の映画だ(その時のブログはこちら)
- 本当は惚れていたけど好きだとは言えずに長い間、別の道を歩んだ二人が再び出会って愛を告白しあう、と言うこの筋は「蝉しぐれ」と同じではないかと思った
良い映画でした
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