趣味の日記

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激走の始動!清原が末続と合同トレ

2005-01-06 09:22:03 | 清原和博
巨人・清原和博内野手(37)が5日、神奈川・平塚市の東海大キャンパスで自主トレを開始。レギュラー奪回へ向け、下半身の強化を目的に陸上短距離界の第一人者・高野進氏(43=東海大助教授)に指導を受けた。アテネ五輪陸上百メートル代表の末続慎吾(24=ミズノ)との合同練習では「なんば走法」にも意欲的に取り組んだ。引退覚悟で迎えるプロ20年目を“激走”でスタートさせた。

 110キロ近い巨漢が必死の形相ですり足で走る。また走る。末続が03年の世界選手権二百メートルで銅メダルを獲得した「なんば走法」の習得。その末続のような軽やかさはないが、これまでのドタバタした慌ただしい走り方からは一変した。

 「末続選手の走りを生で見させてもらって勉強になりました。アジア一速い男ですから。僕はプロ野球一足が遅い。(一緒に走るのは)かっこ悪いんですけど、今年に懸ける思いは伝わったと思う」

 球団から「構想外」を通告された今オフ。「泥水を飲む覚悟」で残留したが、去就騒動の要因となったのが、ここ数年悩まされた太腿の肉離れなどの下半身の故障だった。特に04年はわずか40試合で打率・228、12本塁打、27打点とプロ入り最低の成績。清原も自分の立場を十分理解している。00年からケビン山崎氏に指導を仰ぎ、パワーアップを目的に肉体改造に着手。2度目の肉体改造は下半身の故障を防止する「なんば走法」の習得だった。

 「パワーは4年かけてある程度自信がついた。今度はここ何年かネックになっている足の部分。走るということに関してコンプレックスがあるので、高野さんにシーズンを通して見てもらって何とか克服したい」

 清原と堀内監督との確執はいまだ解消されていない。その指揮官はV奪回に小久保、高橋由、二岡を中心としたスピード野球を掲げた。清原も走力をアピールして見返したい思いがあるはずだが「もともとスピードのある選手が(本来の)スピードを出さなかっただけで、そういう分野は任せます」と選手個々の役割を強調。「僕はランナーを還す、ホームランを打つ。そのためには試合に出ないといけない。強じんな足をつくらなあかん」と続けた。

 高野道場入門は下半身を強化し故障を防止するため。146試合フル出場が目標だ。今後も高野氏に週に1、2度、シーズン中も不定期で指導を受ける。ただ“五輪走法”を生かさない手はない。昨年セ・リーグ一の盗塁阻止率を誇る中日・谷繁に挑戦状を叩きつけ「谷繁から盗塁の1個や2個やってみたい」と98年以来7年ぶりの盗塁にも色気を見せた。巨人移籍後、最速始動になったのも今年に懸ける意気込みが伝わってくる。背水の陣で臨む05年。清原は「なんば走法」でつくった下半身で厳しい道を走り抜く。

 ≪高野氏の指導≫92年のバルセロナ五輪四百メートルで日本人初のファイナリストになった高野氏は、米アリゾナ大での1年間のコーチ留学を経て、95年に母校・東海大のコーチに就任した。そこで学生に要求した走法は、従来の理論とは正反対のものだった。

 「ひざを高く上げずに走れ」。体の無駄な動きを極力省き、すり足のような走法を求めた。これをまず実践したのが伊東浩司。98年12月バンコクのアジア大会で百メートル10秒00のアジア新、日本新記録を出した。さらに、高野氏自らが勧誘して入学させた末続慎吾が後に続いた。すり足走法に加え、右手と右足を同時に動かす古武術にヒントを得た「なんば走法」を導入。体をひねらず、足を前に押し出す感覚を植えつけた。末続は03年パリ世界選手権二百メートルで銅メダルを獲得した。

 「見た目は根性練習です」と高野氏は説明する。砂浜でのダッシュに始まり、東海大キャンパスにある坂道を駆け上がる。同僚を背負って走る。外国選手に勝つために、高野氏は日本古来のスタイルにこだわり、世界に挑んでいる。

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