美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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自分で気づいたこと、実感できたことが身についている。

2018年04月29日 11時53分22秒 | 日記
自分で気づいたこと、実感できたことが身についている。

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」 アインシュタイン

誰かの出した答えを目指す必要はない。 答えはいつも自分で創造していくもの。
ピカソの凄さを改めて感じている。
作品性といったところよりも芸術活動の視点を変えたところに興味をそそられる。戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』 ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは 「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。

美術だけではなく学校教育での評価の問題は本当に難しいですね。現在、文部科学省が未曽有の教育大改革(高大接続など含み)に取り組んでいますけど、”評価”の問題が大きなカギを握っていると考えています。
企業研修でもプログラム内容よりも成果・成績をどういった視点で判断するかなど社会においても人材育成の評価について見直しが必要とされています。

アインシュタインが残した言葉
「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった」

人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・想像力・創造力を 近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代社会に影響している。


教育者のコピーでは枠に閉じ込めてしまうかもしれないので、どんな場面でも教育者ではなく、共育者でありたいと思う。社会でも教育より、共育が求められていると感じている。その方が相互に成長する喜びがあると思う。

なぜアートなのか

2018年04月29日 11時51分42秒 | 日記
なぜアートなのか

目で見ているのではない。脳で観ている。
視覚情報を処理するときに脳の25%、神経経路の65%以上が使用され、
これは他のどの感覚よりも使用率が高い。
絵を観るだけで脳が活性化され、神経が磨かれる。
絵を鑑賞(読み解く)することは、観察力を磨く。
すべてに関わる。

普段、目にしている物事を絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。
絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、
書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。

アートに触れることで日常を非日常に変えるのではなく
あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに視点を向けたり
気づいたりすることで考え方や意識が変わる。
アートに触れることで五感が機能して、結果的に今までの日常が変わる。

プレゼンテーション

2018年04月29日 11時47分08秒 | 日記
よどみないスピーチのような授業に学生はついてこない。
学生と一緒に模索しながら、たまに本当にそれでいいのか確認しフリーズし、感情が揺らぎながらも、「相手のために」といった気持ちが入っている授業の方が一体感が生まれる。
相手が入り込める隙を与えない授業やプレゼンテ―ションは伝わらない。

プレゼンテーションに苦手意識を持つ人が多い。
相手に喜んでもらえるために心を込めたプレゼントを贈る気持ちになればいい。
思いが伝われば下手でも相手は喜ぶ。
プレゼンテーションは、プレゼントを送るようなもの。
そう考えれば楽しくてワクワクする。
ワクワクすればプレゼンは上手くいく。

評価のための学びは、本質を失っている

2018年04月28日 10時38分49秒 | 日記

「評価のための学びは、本質を失っている」


『何の志も無きところに
ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり』
坂本龍馬

理解する喜びを知って追及する欲求が生まれる。
能動的な学びが、あらゆる思い込みや決めつけられた枠から
人を開放してくれる最も楽しいこと。
絵を描くことは楽しみながら思考力、感覚が磨かれていく。 絵を描くことで、それまで見えなかったことが見えるようになってくるから 楽しくて、ものごとへの理解や実感が速い。
受動的にすり込まれるのではなく、能動的に気づくことで自信、実力になる。

『最も高貴な喜びとは、理解する喜びである』
レオナルド・ダ・ヴィンチ

自然と心が躍る、心を動かす美意識を身につけるために好きなことをみつける、気づいていける時間が貴重。
古代ギリシャにおいて美の基本は、心身の動揺を伴うような強い感動(emotion)をどれほど人に与えられるかにあった。その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類にemotionを与えることだったといえる。
人の心を動かす本質を真剣に考えていた人たちが古代から近代までいたからこそ、今がある。
「絵や歌が好き」「人が喜ぶことをやりたい」「散歩を楽しめる」
何時間でも続けてできることが、その人にとって“秀でた芸“。

『人の世に道は一つということはない。

道は百も千も万もある。』 坂本龍馬

                                   

芸を志すものは、まず基本を学ぶ。

『型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。
 型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?』   立川談志

そもそも“基本”とは専門的な知識でもスキルでもなく、使い慣れていない新しい感覚を呼び覚ますこと。

「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」
とレオナルド・ダ・ヴィンチは嘆き「あらゆる“楽しみ”で、感覚的知性を磨くことができる」と提唱していた。

『直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった。人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・想像力・創造力を近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響している。』 アインシュタイン

『日本を今一度 せんたくいたし申候』  坂本龍馬

「絵はモチーフを写真の様に描くわけではない」

2018年04月19日 16時10分34秒 | 日記
モチーフを写そうとすると絵は上達しない。
”「現象」に合わせるのではなく「らしさ」を捉える”

絵はモチーフを写真の様に描くわけではない。。
西洋画は宗教や文化の拡散手段。習慣、権力、教えなどの情報を
最先端の視覚効果で実在感をもって伝えようとした広告ポスター。
日本で「リアリズム」を間違った認識で「写実」と訳してしまったから
「絵は写真の様に写し描くものだ」と思い込んでいる。
だから、写真の様に描き写した絵が上手くて、そうでないと
「ヘタ、才能がない」と思い込み、
絵を描くことが苦手だと勝手に決めつけてしまっている人が多い。

大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。
才能が埋もれている。
絵を描くことに苦手意識があったり、美術が嫌いになったりするのは
日本の美術教育の影響。
世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。
日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。

世界の中で、日本人は絵が上手い民族。
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。
生け花も茶道もビジュアル的な文化。
日本の文化は映像文化。
日本人はビジュアル人間。 ビジュアルを巧みに操る民族。
だから日本アニメや漫画は世界から支持される。
そのDNAをもっと教育や仕事に活かすべき。