三五郎の車中泊の旅

車中泊でしか分からない、
 歩かないと見付けられない、 
  今そこにある感動を逃したくない。
       

駒ヶ根・光前寺編

2018年06月01日 | 散策
前回に続いて、駒ケ根高原の散策です。

「光前寺」まで来ました。
仁王門です。

光前寺は天台宗の別格本山の寺院です。

門をくぐると、参拝客の方々は参道脇の石組と睨めっこ。
時々歓声も上がっています。


その訳がコレ。

石組の奥で緑色に光るものが見えるでしようか。

明るい所で見るとこうなります。

「光り苔」と言うそうです。

暗いところで上手くピントが合うとこうなります。

光りを反射してるそうです。

これもそうですが、ほかでは見たことありません。

気が付かないだけかもしれませんけどね。

大きな杉の木立に囲まれた参道なんですけどね、どうしても石垣が気になるようです。


参道脇にある庭園が国の名勝に指定されていますが今回は入りませんでした。

奥に見える建物です。

本堂が見えてきました。

本尊は不動明王で秘仏だそうです。

本堂の前までくると左に三重塔が見えます。


「霊犬・早太郎」の墓です。

昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていました。その頃、遠江の見附村では、毎年田畑が荒らされ、その被害に困った村人は矢奈比売神社の祭りの夜に村の娘を人身御供として神様に差出し、これを鎮めていた。

延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、早速信濃へ行き、光前寺で早太郎を探し出し和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)と戦い、見事退治した。

戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されています。

三重の塔の前には石碑も祀られています。


ここでも油絵を描いている方がおられました。

絵心のまったくない私には絵の上手な人が羨ましいです。



創建時は現在より200メートル木曽山脈寄りのところにあったらしいです。天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡、諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあったという。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた。明治に入り塔頭末寺の多くを廃されてしまいました。




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