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ぶぶのいる生活

なんか、変
どこか、変
ちょこっと、変
いつも、変
変人上等 唯我独尊 人生万事塞翁が馬

はごろも

2011年01月24日 17時19分50秒 | 書き物 (;¬_¬)
本日は、
恥ずかしながらワタクシの生まれた日で御座います。 (/・。\)キャッ

嬉しいことに、
有り難いことに、
色々な方から、沢山のお祝いのメッセージやプレゼントを頂きました。

実は、年末から体調を崩し、
この一ヶ月ほど、まともな生活が出来ませんでした。
特に、この一・二週間は外にも出られず、なかば“軟禁”状態だったのに加え、
精神的にも辛いことが続いて、
本当に参ってしまいました。

ブログをアップしたい気持ちはあるのに、
ジムにも行きたいのに、
遣りたいことは山ほどあるのに、
体が全然ついていかなくて、
歯がゆく、情けなく、先が見えず、どうしたらいいのかと、途方に暮れるばかり。


一時は、
『私なんて、世の中の為になんの役にもたたないし、
 もう、いなくていいんじゃないの?』

みたいな気持ちにもなったり・・・・。 (´・ω・`)



そんな中。


誕生日を迎え。


沢山の、暖かい心の贈り物に触れて。


どんどん、パワーが湧いてきて、
モリモリ元気になってきました。




******************************************************************************

今年は体がつらく、
毎年恒例だった春の花を植えられないままで、
それが、とっても心残りでした。

そしたら、
今朝届いたのが、このムスカリとパンジーの寄せ植え。
幼馴染イトーちゃんからのバースデープレゼントです。

嬉しくて。
嬉しくて。
嬉しくて。

      


つぼみを沢山つけたパンジーは、
元気を分けてくれる、太陽色。
これから、どんどん花を咲かせてくれることでしょう。





~人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った~

                               by『ハゴロモ』 よしもとばなな




私は、きっと、
目に見えない、
柔らかな羽衣に、包まれているのですね。

生まれてから、ずっと、今まで、
幾重にも幾重にも。


「こんな皆んなに支えられてる私、
 もうちょっと愛してあげてもいいよな」って、  
誕生日の今日、思いました。






ハッピーバースデー、
自分。


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泣き女

2011年01月15日 11時58分45秒 | 書き物 (;¬_¬)
その昔、
女達は川で着物を洗いながら、静かに泣いた。
家族と離れ、1人になれる唯一の場所だったからだ。

やがて、それは井戸の端へと代わり、
昭和の時代には、
二漕式洗濯機の前が、その役割を果たしたと言う。

旧式のこの洗濯機は、
洗濯槽から脱水槽へ、脱水槽から洗濯槽へと移す作業が幾度か必要で、
その度に家事の手は中断を余儀なくされた。
煩わしい事この上も無く、
全自動式が発売された折には、多くの主婦が万歳したものだ。

しかし。
彼女達は同時に、泣き場所も失った。

泡立つ水の中をクルクル回る洗濯物を目で追いながら、
どれだけの女達が、ひっそりと、家族に内緒で泣いたことか。
水の中にこぼした涙を、洗濯物と共に脱水槽へ放り込み、
つまみをグルリと回すと、
ガタガタ揺れる機械に身をゆだね、女達は嗚咽を隠した。

二槽式洗濯機が、全自動洗濯機に取って代わられた今。
女達はどこで泣いているのだろう?


今の便利な世は、泣き女に、少々辛い。

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4.兄の背中 ~情~

2010年12月29日 11時55分43秒 | 書き物 (;¬_¬)
それが、いつからだろう?
兄が、
私を一人前の人間として認めてくれるようになったのは?

『これが同じ人間かしら?』と戸惑うほど優しくなり、
色々と頼りにしてくれるようになった。


いつから・・・?
何があって、兄は変わったのだろう・・・・?



兄の態度が変わると、私の反発も嘘のように消えた。
どす黒い【嫌い】で一色だったのが、
端の方から徐々に明るい色に変化してきて、
過去の情景が、どんどん浮かび上がってきた。


 ~ そして、思い出すのは、いつも兄の“背中”だったと気付いた ~


よく、
子供は父親の背中を見て育つ、というけれど、
私はきっと、
兄の背中にしがみついて育ったのだと思う。


家族で外出すると、私は帰りの電車でよくタヌキ寝入りをした。
乗り換えの駅で歩きたくなかった小ズルイ私は、
寝たふりをすれば、
兄がおぶって家まで運んでくれるのを知っていたのだ。

「絶対コイツ、タヌキ寝入りだよ」とぶつぶつ言いながら、
それでも兄はヨイショと私を担ぎ上げ、帰り道を歩いた。
駅の階段を下り、
団地の階段を登った。

私は、兄の背中にほっぺたを押し付けた。
それは、あったかく、とても心地良かった。

下手な芝居で寝たふりをしながら、
私は、右に左に揺れる振動を感じていた。

あのリズムをこの体が覚えている限り、
2人の縁は、永遠に切れないのだと思う。



いまだ独身の兄は、
もしかしたら、私が世話するようになるのかもしれない。
その時は、
私をおぶったあの背中を、私が拭いたり洗ったりするのかな?
はるかに小さくなった背中をゆっくりさする、自分を想像したりもする。




愛憎は表裏一体。
関係が濃ければ濃いほど、針の振り幅は大きい。
針の先にある「愛」と「憎しみ」

      この2つを繋ぐもの

それは多分、
一言で言えば、・・・・・・・・・【情】・・・・・・・・・・なのだろうか?


そんな気もする。





                                                                             fin

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3.兄の背中 ~世界で一番~

2010年12月28日 10時51分04秒 | 書き物 (;¬_¬)
とにかく、私は世界で一番兄を恐れていた。


恐怖の権化。
絶対的支配者。
恐怖政治。
独裁者。
ヒットラー。
金○日。
チャウシェスク。
etc etc・・・・。

これはある意味、刷り込み・洗脳の一種かもしれない。
逆らうなんて事はまったく考えられなかった。
が、
歳が増すにつれ、押さえつけられることに反感も生まれてきた。
ムクムクと。
猛烈に。


兄は、
世界で一番恐れると存在であると同時に、
世界で一番憎む存在だった。

この感情は、
とても一言では説明できない。

・・・・【血の繋がった】兄妹なんだから仲良くしなさい・・・・
それがなんだ?と思っていた。
血の繋がった兄妹で、近しい存在だからこそ、
お互い反発し、お互いが許せなかったのだと思う。


兄の支配は、かなり長い間続いていた。

ある時など、
バイト先で「仕事も終わったし、じゃぁ、これからみんなで遊びに行こうか!」
となり、
家に遅くなるからと電話を入れると、
「今すぐ帰って来い」と怒られた。
堪りかね、バイトの年長者が電話を替わり、
「責任持って連れて行きますから」と説得してくれても、
「いいから、今すぐ、帰らせて下さい」ときたもんだ。

当然の如く、私は怒った。
・・・・が、反発する術を知らない。

結局、
私一人がすごすごと帰路につき、情けなさで一杯だった。

一事が万事、こんな風だった。
毎日、兄の顔色を伺いビクビクしていた。

どれほど、
この呪縛から逃れたいと願った事か・・・・。

とにかく、
かなり長い間、兄は私を支配していたし、
私は兄を心から憎んでいた。







                                        (続く)





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2.兄の背中 ~仁王立ち~

2010年12月27日 09時33分39秒 | 書き物 (;¬_¬)
小学生だったアホな妹は、
ある日、自動車に轢かれた。


スイミングスクールに向かう途中だった。
事故といっても大したもんじゃなく、
ゆっくり止まろうとしていた車の前に飛び出した私が、
ビックリしてコケた、というのが真相だ。

しかし、車の人は真っ青な顔で降りてきて、
私を病院に連れて行くという。
運転していたのは若い男性で、助手席は若い女性だった。

車の前に飛び出した自分が悪いと分かっていた私は、
その事実が兄にバレるのが、  
な  に  よ  り  も  、 恐  ろ  し  か  っ  た  の  で
この事故をもみ消そうと、病院行きを固辞した。

が、相手は「そんな訳にはいかない」と納得しない。
仕方が無いので、
名前と住所だけ教え、そそくさ、その場を逃げるように去った。

スイミングスクールについた私は、
(アホなので)事故のことはすぐに忘れ、
何事も無かったかのように、スイスイと泳いでいた。 へ( -_-)_



しかし、しかし・・・・。


「プハァ~」

水から顔を上げると、
なんと!
プールサイドに、鬼の形相の兄が仁王立ちしているではないか。
心臓が口から飛び出そうになった。

兄はをオデコに貼り付け、
こう怒鳴った。

    「バカか、お前はーーーーーーーーーっっっっっっっっ!!」凸(゜Д゜#)

・・・・嗚呼。
今でも、
あのプールサイドの【仁王立ち】は、
脳裏にありありと焼き付いている、恐怖のシーンだ。 (/||| ̄▽)/


くだんの運転手さんは、
その足で我が家へ飛んで行き、、
「実は、先程、娘さんを轢いてしまいました! 申し訳御座いませんーーっ!!」
と懺悔したもんだから、
家中が大騒ぎになったらしい。


とにかく、
そのままジャブッと水からあげられた私は、
兄が漕ぐ自転車の荷台に乗せられ、二人乗りで、家へ強制連行された。
怒りに震える兄の無言の背中をよく覚えている。
縮こまった私も、また、
ずっと、震えていた。(・・・・兄が怖くって) (((( ;゜Д゜)))ブルブル



【追伸】

   車の人は獣医さんだか小児科の先生だかで、
  婚約したばかりの若いカップルだったそうな。
  その後も幾度か2人で謝りに来てくれた。
  今思っても、心優しい良心的な人達だったなぁ~と感心する。
  それにしても、オメデタイ日々にケチをつけてしまって、悪いことをしました。
  スミマセン・・・・。 ┏○




  (続く)

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