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ぶぶのいる生活

なんか、変
どこか、変
ちょこっと、変
いつも、変
変人上等 唯我独尊 人生万事塞翁が馬

辛坊さんへ

2013年06月22日 14時05分58秒 | 書き物 (;¬_¬)
ヨットで世界一周の夢を断念した辛坊さん。

「こんなに沢山の人に迷惑をかけて、再チャレンジしたいなんて口が裂けても言えない」

もし私が同じ立場なら、やっぱりこう言っていたと思う。


訓練・準備不足だったとか、
装備に不備があったとか、
単に不運に見舞われただけとか、
原因は色々有ったのだろうけど、

起こしたことの重大さに居たたまれなく、
ただただ、頭を下げるしか出来なかったと思う。




『大それた夢だったのか?』
『抱いちゃいけない夢だったのか?』
『自分には資格が無かったのか?』

思えば思うほど、涙が溢れてくるだろう。

数日前までのキラキラしていた自分と、
今の自分とのギャップが有りすぎて、
とても現実のこととは思えず、
今まさに、悪夢の中に居ると思う。





でも。
後悔しないで欲しい。

言うのは簡単だけれど、
本当にそう思う。

貴方の挑戦に、勇気を貰った人がどれだけ居るだろう。
“夢を想う”だけじゃなく、
実際に動いて、実現させることの難しさ。
社会人ならみんな分かっている。

社会的地位も知名度も、
貴方の強い武器になった反面、この夢の最大のネックだったはず。
応援してくれる人も居れば、
無闇に叩かれもしただろう。


それでも、貴方は出航した。
・・・・・・その挑戦は、
残念なことにわずか5日目で、断念せざるを得なかったけれど。






でも、
始める勇気と、
やめる勇気は、
どちらも同等だ。



貴方は本当に勇気ある人だと、私は思います。

今回の苦渋の決断するまでには、
プライドやしがらみや体面に囚われただろう。

それでも、
極限の状態で“最良”の決断が出来たことは、
今回の出来事は、
返って、
貴方の人柄を知らしめることになったのではと、私は思う。





口さがない人はどこにでも居るもの。
これから、
辛い聞くに堪えない批判を浴びせられるかもしれない。

打ちのめされて、
立ち上がれなくなってしまうかもしれない。

心傷つきすぎて、
もしかしたら、キャスターとして再び社会に出ることすら、
拒んでしまうかもしれない。



でも、
どうしても貴方に伝えたくて。


直接貴方に触れていなくても、
沢山の人が今回の貴方の出航を心から祝福していた。
無事を祈っていた。

その人達は、きっと、貴方の挑戦を無謀だったなんて言わない。
無駄だったなんて言わない。

みんな、心のどこかで自分の夢を貴方に託していた。
そんな貴方をどうして責められよう?










ほとんどの人が貴方を擁護するとは思う。
でも、
どうしようもなく貴方を傷つけようとする人も、確かに居る。

その刃物から貴方を守る術を私は持っていないけれど、
こうしてネットで綴る位しか私には出来ないけれど、
私の気持ちを辛坊さんに伝えたかった。



夢を再び追え、とは言わない。
叶えて欲しいけれど、追い詰めることはしたくない。

今はまだ先のことは考えられないと思う。
でも少し休息したら、きっと“最良”の方法が見えてくるはず。

貴方は賢明な人だから。


その選択がどういうものかは今は分からないけれど、

その道を、

陽のもとで、
堂々と顔を上げて、
歩いて行って欲しい。



その資格が、貴方には、有る。



動かない輩に、
彼を嗤い責め立てる資格は、無い。



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歌う、ナニワの人々

2012年09月10日 18時58分30秒 | 書き物 (;¬_¬)
実にこの街は、
不可思議な魅力に満ち溢れている。







歩きながら・・・・。
自転車をこぎながら・・・・。
バイクに乗りながら・・・・。

【歌 う 府 民】 が、よく出没する。


それは、
鼻歌なんて生易しいものではなく、
誰の耳にもハッキリと届く音量での、歌詞付きだ。


昔、一日一善という標語(?)があったが、
この街ではおおげさでなく、
“一日一歌人”な確率で、【歌う府民】と出くわす。
(ちなみに今日は2人とすれ違った)


歌う民は、特定の年齢層に偏ることなく、
性別も関係なく、
実に老若男女が、往来で気持ちよく歌い上げている。
じいちゃんも、お下げの女子高生も、イケメンも、七三分けのサラリーマンも、
すれ違いざま、楽しげに歌声を聞かせる。


ここまで人目を気にすることなく朗々と歌われると、
一瞬、
「・・・・・ここはイタリアか?」と錯覚してしまうほどだ。


その姿は、
大阪以外の人間には、とても奇異に映るかもしれない。
否。
大阪人にだって、充分奇異だ。


何故この街では、
かように歌う人々が多発するのか・・・・・?






でも、
私はこれが好き。

多分、
自分の為だけに、ナニワの民は歌う。
歌いたいから、歌う。
今、歌いたい気分だから、歌う。
気持ちいいから、歌う。


その根底には、
「人目がなんぼのもんじゃい!」
の精神が横たわっているに違いない。

このナニワの自由な精神が、
よそ者の私には、とても眩しい。






そんな私も、
歩きながらの鼻歌が、
この頃は、歌詞付きになりつつある。

まだ口の中でゴニョゴニョ唱える程度だが、
『真のナニワの民』を名乗る資格を、
我が手中にする日は、
そう遠くないような、気が、する。



多分、

あと・・・・・・・・もう少しだ。








(でも、ヒョウ柄シャツのオバチャンまでの道のりは・・・・・まだまだ遠い)




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偉大なる人

2012年06月11日 19時30分32秒 | 書き物 (;¬_¬)
昨日亡くなったNさんは、
もうじき90歳に手が届こうかという、人生の大先輩だった。 
・・・・・と言ったら、
その年齢にビックリされた方もいるかもしれない。
そんなご老人が、会社の人?と。


***************************************

Nさんは名誉職ではない。

頭脳明晰で、その記憶力は舌を巻くほど。
第一線で活躍するバリバリの現役だった。
そう。
けして“お飾り”なんかじゃなく、
みんなから頼られる“居ないと困る人”だったのだ。




美味しいものが大好きで、
お酒も大好きだったけど、
酔っても乱れることなく、本当に気持ちのいいお酒で、
楽しい話で周りを笑わせた。
布袋様みたいな朗らかな笑顔が赤くなって、
ツヤツヤ輝いて、
見てるこちらの方が、幸せな気持ちになった。


いつも仕立てのいい背広をビシッと着こなし、
品のいいシャツと、趣味のいいネクタイ。
お洒落を知ってる本物のジェントルマンだった。


前職は偉い人だったのにちっとも偉ぶらず、
むしろ、
“過去の栄光”にしがみつく輩は無粋と毛嫌いする、
侍みたいな精神の人だった。


倍以上も歳は離れていたけれど、
歳の差を感じたことは全くなかった。
それはもちろんNさんが、
私達のところにまで目線を下げてくれたからこそだったのだけれど。
若い人の輪の中にすんなり入れる柔軟さと、
未熟な者を包み込む懐の深さを持った人だった。




だから、
みんながNさんを好きだった。

孫みたいな、
ひ孫みたいな従業員の女の子も、みんなNさんが好きだった。

尊敬し、
憧れ、
敬っていた。




歳が上の者が先に逝くのは道理とは分かってはいても、
Nさんはこのまま健在で、
ずっとずっと私達を導いてくれるような、気がしていた。
「Nさんだったら、100歳なんて軽く越しちゃうんじゃない?」と、
みんな冗談まじりに、
でも結構本気で話していた。

まさか、
こんな急に、お別れの日がくるとは・・・・・・。

正直、
まだ実感湧かない自分がいる。




Nさんの職場は冬・春が繁忙期で、
それをきっちり終わらせてから逝った。
自分で死ぬ日を選んだ訳じゃないんだろうけど、
職場で誰も困らないようにと、
まるでこの時を選んだかのようなタイミングだった。
ホントにNさんらしいと、思う。


今回は。
昔馴染みの友人達との旅先での、客死だった。
前の日は元気に呑んで、
「じゃ、また明日!」と言って部屋に戻り、
それきり出てこなかったそうだ。

これを不幸と思うか?

いや、私は思わない。

家族の誰の手を煩わせることない、見事な最期だったと思う。
まさに理想の“ぴんぴんコロリ”。
天晴れとしか言いようが無い。



・・・・・ただ願わくば、
Nさんの最期が、穏やかなものであったと思いたい。
「ああ、今日も楽しかったなぁ、美味しい酒だったなぁ」と、
心地よい酔いに身をまかせ、
そのまま永遠の眠りついたのだと、祈りたい。
痛みや苦しみとは、無縁の終焉だったと思いたい。

あれほど品格ある人生だったのだから、
Nさんに似つかわしい、粋な幕切れが用意されてていい筈だ。
うん。
きっとそうだったに違いない。


・・・・・・ただ、
生前“医学に貢献したい”と献体を希望されていて、
私達もたびたびその話を聞いていたけれど、
今回は最期が最後だったので、
かの地で荼毘に付され、お骨となって大阪に帰ってくることになった。
それだけは、きっとご本人は残念がっているだろうな。




お骨が帰ってきたら、
近日中に、御通夜・葬儀がある。


もう、あの布袋様みたいな福々したお姿を見ることは出来ないけれど、
お礼を言いに、
お別れを言いに行く。

そうして、
みんなで見送ろう。




Nさん。

今まで、
沢山の愛をありがとうございました。

あなたの生き方が、
そのまま、人生の教科書でした。

私達、
Nさんに出逢えて本当に幸せでした。









**************************************



・・・・・ここまで読んで下さった方の中には、
『そんな完璧な人間なんているの?』
と思ったかもしれないけれど。

でも、
確かに居たんです。


偉大なる人が。


ここに。






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ワン・ツー・スリーで、飛びやがれ!

2012年03月22日 18時23分55秒 | 書き物 (;¬_¬)
今日はちょっと、春っぽい陽気でしたね。

春といえば、
新しいことの始まりの季節です。


環境が変わるのに合わせて、
心機一転、
4月から何かに挑戦しようかと、
思案中の方も多いかと思います。


でも、

思ってはいるけれど、なかなか前に進めないの・・・・。
勇気が出ないの・・・・・。


という方も、
いらっしゃるでしょう。


そんな貴方へ。

今日は、
一歩を踏み出せる原動力になるような、お話を。



***************************************

私には今、憧れの人が居ます。

ジムでヨガやダンスを担当している、女性インストラクターさんなんですが、
木村カエラちゃんにとてもよく似ているので、
ここでは“カエラ先生”と呼びますね。

カエラ先生は、
見た目もとってもとってもキュートで、本当に素敵な先生ですが、
それよりも私は、
この先生の生き方や考え方に、ものすごい刺激を受けています。


カエラ先生のレッスン中の言葉には、
いつもハッとさせられ、
そのたびに、自分の意識が新しく生まれ変わる気がします。

カエラ語録の数々は、
私の一生モノの“座右の銘”となっていますが、
今日はその中から幾つかをご紹介。



   
    ~【まず“想い”があって、“知識”を得て、“行動”する】~


「それの繰り返しなんだよねぇ」と、
カエラ先生は、キラキラの瞳で言っていましたが、
これを、
私はこんな風に解釈しました。



人がナニか新しい事に挑戦したいって思う時って・・・・

例えば私だったら
『健康になりたい!』という“想い”が心に湧いてきて、
次に、
『それを学べるのはどこか?』を調べることで“知識”を得て、
今度は実際に、
『ジムに入会する』という“行動”に移るわけです。


その次は、
『ヨガをやってみたい!』という“想い”が心に湧いてきて、
『レッスン内容を調べたり、周りに評判を訊く』ことで、新しい“知識”を得て、
実際に、
『レッスンに参加』し、“行動”する。


すると今度は、
『もっとヨガが上手くなりたい!』という、また新しい“想い”が湧いてきて・・・・・・・・。



【まず“想い”があって、“知識”を得て、“行動”する】
この繰り返し。



これって、
すごく当たり前のことなんだけど、

文字にしてしまえば、なんということも無いんだけど、

実際は私達って、
“想う”ことで止めてしまうことが、すごく多い訳で。



でも、

アクションはたったの【ワン・ツー・スリー】だと思えば、
もっと身軽に、
色々挑戦できるような気がしませんか?(^o^)



たったの【ワン・ツー・スリー】!!

なんだ、簡単じゃ~ん!!






カエラ先生は、
こんな事も言ってました。



  ~【新しいことを始めるというのは、新しい自分に出会うということ】~

  ~【新しいことを始めるというのは、新しい自分を知るということ】~


そして、
   ~【始めたのは、今がその時だったから・・・・ ということ】~
 





中でも、
私が一番影響を受けた言葉は、

         ~【 自 分 に 限 界 を 作 る な ! 】~

です。


ちょうど、
心身ともに弱っていた時分に聞いたこの言葉には、
頭がへし折れそうな程の衝撃を受けました。

すべてを諦めかけていたその時の私が、
もう一度立ち上がれたのは、
再生出来たのは、
この言葉のおかげと言っても過言ではありません。






そう。
ほんのちょっとの勇気と想いで、

いつだって、
誰だって、

飛べるんです。



迷った時は、「ワン・ツー・スリー」を思い出して。





この春、
ぜひ、新しい貴方に出会って下さいね。






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お別れをしましょう

2011年07月30日 10時23分39秒 | 書き物 (;¬_¬)
無事、祖母の葬儀を終え、
私もおとついの夜、大阪へ帰って来ました。



祖母の容態が思わしくない、という連絡を受けたのは、
3週間前でした。

食事を全く受け付けなくなり、
そして、水すら飲めない状態になった時、
入院させるか否かを、母のきょうだい間でずいぶん話し合ったようですが、
出した結論は、
「このまま、ここで死なせて下さい」


老衰は、治療すれば治る種のものではありません。
寿命が尽きれば、自然に枯れるのは、植物も人も一緒。
徒に延命をしても、
ただ苦しませるだけなら、
慣れ親しんだホームの自室で、慣れ親しんだ人達に囲まれたまま、

    “ 人 間 ら し く  枯 ら せ て あ げ た い ”

それが、家族の意思だったのです。


異変の連絡を受け、急いで駆けつけた母は、
残念ながら間に合わず、
看取ることは出来ませんでしたが、
でも、
いつもお世話になっているスタッフの方に見守られての、
安らかな最期だったようです。






ごくごく身内だけの式は、
天寿をまっとうした祖母を褒め称える言葉で一杯で、
とても暖かい雰囲気の中、見送ることが出来ました。



私は、
この式では、泣かないって決めていました。
だって、もう随分前から心構えは出来ていましたから。
お別れというよりは、
“新たな旅立ちを祝ってあげなきゃ”・・・・くらいのつもりでした。

でも、ね。

棺の中の祖母が、ね。
あまりにも、幸せそうに微笑んでいたんです。

その顔はすっかりやせ衰えてはいましたが、
でも、ピンクの口紅の口元が、ニッコリ笑っていたんです。

普通は白装束なのでしょうが、
母が選び着せた、紺色の撫子柄の浴衣がよく似合い、
まるで、
これから「夏祭りに行くのだ」と言ってはしゃぐ、幼女の様に見えました。
その無垢な微笑みが目に飛び込んだ瞬間、
・・・・・・・・涙が溢れて、とめどなく溢れて、
どうしても、私には、止めることが出来ませんでした。

そっと、祖母の額に触れてみました。
冷たかったけれど、
それはゾッとするような冷たさではなく、
なにか透き通った宝玉にでも触れたような、そんな感触でした。

ああ、本当に逝ってしまったのだな、と、
その時、思いました。

祖母のお骨は、触れた途端にポロポロと崩れてしまうほど脆く、
そして、どんなにかき集めても、
両の手の平に収まってしまうくらいの、
僅かな量しか残りませんでした。
台の上の小さな白い山は、
祖母が生きた、長い長い本当に長い年月の、その“証”でありました。



式の中、故人の生い立ちの紹介で、
「当時の女性にしては、大変に珍しい運転免許を取得し・・・・」とあり、
あのエピソードは本当だったのか!!
とビックリ。
ですが、いえいえ、それだけでは御座いません。
「・・・・・・また、飛行機操縦の夢も、
 かなり本気で抱いていらっしゃったようです」と続き、
またまたビックリ。
そう!
確かに、「おばあちゃんは飛行機の操縦士になりたかったんだよ」と、
昔、私にそう言っていたんです。
その時は、
『また、どうせ適当なことを言ってらぁ~』と、 ( ´_ゝ`) 「フーン」
聞き流してしまったのだけれど 、
なんと、まあ、
ホントのホント、本気の夢だったとは・・・・・。
やっぱり“飛んでるオンナ”だったのね、おばあちゃん!!
(その有り余るほどの好奇心が、
母へ、そして、この私へと受け継がれたのでしょうね、きっと) (笑)

私は転生って信じてないのですけれど、
もしも、祖母が生まれ変わって、
この時代に、新しい肉体を持って誕生したなら、
今度は、
「月旅行の、宇宙船操縦士になりたい!!」とか、
本気で言い出しそうな気が・・・・・・するのです・・・・・・・。





葬儀で飾られた遺影は5年前のもので、
額縁の中の顔は、すっかり“年老いた姿”でしたが、
私個人は、
~20年程の前に撮ったものでしょうか?~
この写真の祖母が、凛としていて、一番好きでした。

全姿を見て頂く訳にはいきませんが・・・・、
最後に、一番綺麗な、カッコイイ姿でお別れをしましょう。

ね、高田馬場のおばあちゃん。




               







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