尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

長谷川誠也「言語の国際的利用」(一九四〇)

2017-03-18 09:24:45 | 

 前回(3/11)は、フランス文学者・河盛好蔵による英文学者批判を紹介し、その矛先は決して自己には向けられない批評であることを見ました。他人を批判することは容易いけれども自分を棚上げせずに済ますのは難しいものだということでしょう。さて、今回は長谷川誠也「言語の国際的利用」(『文藝春秋』一九四〇・四)読んでみます。長谷川誠也は本名で、おそらく文芸評論家の長谷川天渓(一八七六~一九四〇.八.三〇)だと思われます。この文章を発表しておよそ四ヶ月後に亡くなっています。

 

≪変な題であるが、意味は、言語の効力を利用して帝国の真意を諸外国、殊に支那に向って伝えたいというのである。この真意を伝える方法はさまざまな、効果の多いものがあり、いづれも実施されているが、一つの持薬(ジヤク:平生服用する薬)のような効能をもっている言語の利用ということはとかく忘れがちであるように思われる。もちろん、国語の教授は、満州や、支那において盛んに行われ、そのために種々の読本が編纂されつつある。しかし、良い国語、即ち生命──精神と言ってもよい──の充実した語、もう一度言い換えれば、日本独特の思想や情緒の結晶言語が伝達されているか、どうかと考えると、疑問がないでもない、と言わなければならぬように思う。

 一体、一国の文化を他国に伝達する場合には自国の良い言語を活用するのと、他国の良い言語を利用するのと、二つの方法に拠らなければならぬ。自国の精神を音韻化している言語の妙趣(ミョウシュ:すぐれたおもむき)というものは、他国人によりて容易に感応されない。それを玩味させるためには、相手方の良い言語を利用するに限る。断って置く、利用といっても、必ずしも飜訳だけの意味ではない。

 余り適切な例ではないが、一つ挙げよう。イギリス語を用いる民族の間に、キリスト教が浸潤したのは、この宗教の内容や、宣教師の努力のせいばかりでなく、ジェイムズ一世の時代に飜訳されたバイブルのイギリス語そのものの魅力の故でもあるのだ。この訳本は、アングロ・サクソン語を使用している例は無いそうだ。あの島国の土壌から発生したと言ってもよいくらいの言語を活用した所に、バイブルの強みがあり、かつこの宗教の感化力が涵養されたのである。つまりキリスト教というものがイギリス語中の良い言語を媒介として効果を挙げたのである。

 満州や、支那に、帝国の精神を会得させるためには、まづ良い日本語を学ばなければならぬ。良い日本語を教授するためには、良い教師と良い教科書とを要する。これは分かりきった話であるが、現在実行されている日本語進出の方法は果して適切であろうか。良い日本語を語る先生が、良い教科書を持って教授しつつあるだろうか。これが疑問だ。満州や、支那において用いられている日本語の教科書に関する批評を聞いて見ても感服しがたい点が相当に多いようだ。

 甚だなさけないことを言うようだが、現代のわれわれ国民は、正格な国語の教育を受けて来なかったように思う。現時においても、漢字や、漢文学に関する知識、ヨーロッパの諸国語の学習、これらについては、念入りの教授法があるけれども、国語の教授法は甚だしく疎漏である。ラジオが普及した今日においてこそ、発音やアクセントや、語法や敬語などについて注意する人々が多くなったけれども、その以前には、イギリス語の文法は知っていても、国語の文法は知らない、と平気な顔をしていられる中学教員もあったくらいに、国語に対する関心は微弱であった。従って良い国語を話す人は少数で大多数はゆがんだ言語を使用しているのが現在の有様である。満州や、支那はもちろんのこと、南洋方面にも、欧米にも、国語を進出させようとするならば、まず良い国語を話し、かつ語感の洗練させた人を養成するのが急務であろうと思う。

 どこの国にも、その国民を特に感動させる言語があるものだ。言うまでもなく、そういう言語の効力にも盛衰はあろうし、また或言語は、十数世紀に亙(ワタ)って威力を維持しているだろう。支那について言えば、民国になってから、言語の効力に、目立った盛衰があろうし、また或言語は、革命の影響を受けず、昔ながらに人心を動かす異常な魅力をもっているだろう。そこで、支那人をして、われを正しく理解させるためには、現代の彼等を感激させる言語を研究し、かつ利用しなければならぬと思う。そんな事は問題ではない、われには漢学者があるから、その先生方の援助を請えば、あすが日からも、この計画を実行に移すことができると主張する人もあろう。私は、敢えて漢学者達を無能と見なすのではないが、この計画のためには、彼等よりも、現代の支那語に熟達した人々の援助も需(モト)める方が遙かに有効であろう。現代の支那人には、新しい、強い刺激力をもっている言語があるに相違ない。それらを利用することは、古典的の言語を羅列するよりも、彼等の心理の根幹に触れるだろう。要は、われの生命充実の言語を活用すると共に、彼の同様の言語を利用すると言う方法の研究が、相互の理解の最上策であると思う。≫(川澄哲夫編『英語教育論争史』五四一~二頁)

 

 表題の「言語の国際的利用」の定義を素直に受けとめると、言語のプロパガンダ的使用の話題に他なりませんが、著者が取り上げたいのは、平生服用する薬のような効果をもたらすプロパガンダのことです。対象は自国民(日本人)向けではなく、諸外国や特に泥沼化した戦争の敵である中国人に対してです。彼らに「帝国の真意」を伝える日本語はどのようなものか。これが一篇の主題です。しかし、著者は日本語と記すべきところを「言語」と書いています。おそらくここでの主張に普遍性をもたせたい動機があるのでしょう。

 それはどんな言葉かといえば、「日本独特の思想や情緒の結晶」した日本語表現のことだといいます。これが著者のいう「良い言葉」で、これを持薬のように与えろというわけです。ところが現状はどうだろうか。──「良い日本語を語る先生が、良い教科書を持って教授しつつあるだろうか。これが疑問だ」、そもそも「現代のわれわれ国民は、正格な国語の教育を受けて来なかったように思う」。だとすれば、「満州や、支那はもちろんのこと、南洋方面にも、欧米にも、国語を進出させようとするならば、まず良い国語を話し、かつ語感の洗練させた人を養成するのが急務」である。どうしたら、日本語を「良い言葉」として相手に伝えることができるだろうか。その要点は、「支那人をして、われを正しく理解させるためには、現代の彼等を感激させる言語を研究し、かつ利用しなければならぬ」ことにあります。

 「現代の彼等(中国人)を感激させる言語」と書いてあるように、著者はプロパガンダの本質が相手を「感激させる」ことにあることを見抜いています。さすがに「楽しいプロパガンダ」とは書けなかったのでしょうが、当時の日本人の中国観は居丈高なものであったことを思うと、相手を「楽しませる」ためには、自分の目線を下げる(柔軟な見方する)ことは必至です。当時不可能だった柔軟な見方を実現すべきことを、この一篇において著者なりに言い換えたと言えるかもしれません。

 末尾に「要は、われの生命充実の言語を活用すると共に、彼の同様の言語を利用すると言う方法の研究が、相互の理解の最上策であると思う」と書いていますが、「相互の理解の最上策」という言葉は、当時も空しく聞えたのではないかと想像します。「言葉は心のつかい」という昔ながらの日本語観からいえば、言葉の前には「心」が存在するはずです。この心の段階で、敵国の人民に対してわが「帝国の真意」を伝える試みが成立するはずだ、と考えることじたいが大きな思い上がりだということに著者は気づいていない。これに限らず、先に読んできた河盛好蔵もそうですが、当時の知識人・将校の中には、家族や仲間を殺された人々つまり敵国人民に対して、自分たちの「思いやり」が通じるはずだ、と本気で考えている者が少なくなかったのではないでしょうか。