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徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

現代日本の開化

2011-01-03 14:54:25 | 日本文学散歩
「現代日本の開化」は夏目漱石が、明治44年8月15日に和歌山県で行なった講演をもとにまとめたものです。
漱石は、講演のなかで開化というものが積極的と消極的とのふたつから成り立っているとのべています。電信、電話、自動車など人間が生きていくうえで必要に迫られて発達していく開化を消極的、「文学にもなり科学にもなりまた哲学にもなる」もののようにとりあえず、生活していくうえでなくては困るものではないけれど、自分の趣味嗜好を満足させるために発達していく開化を積極的と呼び、このふたつが合わさって様々に変化していく社会の様相が「開化」と名づけられるというのです。
そして、漱石はこのような「開化」が進むに連れて、人間社会が「一種妙なパラドックス」に陥ると言います。本来、科学技術の進歩とそれによって得られる時間を活用することで、人間はそれまでよりも良い生活を手に入れることができるはずです。しかしながら、現実にはそうはなってはいない。


「うち明けて申せばお互いの生活ははなはだ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだという自覚がお互いにある。否開化が進めば進むほど競争がますますはげしくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上ニ種の活力の猛烈な奮闘で開化はかち得たに相違ない。しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔らげられたというわけではありません。」

それはなぜか?
「開化」とは競争を前提にして成り立っているからです。次から次へと新しいものやサービスを生み出していかなければ前に進むことができないのです。ですから、そのようななかで暮らす人間が生き辛くなるのは当然でしょう。

さて、ここまで一般的な「開化」についてのべてきた漱石はいよいよ「日本の開化」について語り始めます。同じ「開化」であっても、日本と外国では異なると漱石は言います。

「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。」

内発的な開化とは、科学技術の進歩とそれに対応するための精神の発達をある程度の時間をかけて無理なく行なってきたことをいいます。それに対して外発的な開化とは、外部からの強制的な圧力によって無理やりもたらされたものです。無理ではあってもそれを行なわなければ国自体が立ち行かなくなってしまうからやらざるをえない。普通であれば一歩一歩足元を確かめながら前に進むところを、とにかく前に進むためにピョンピョン跳んでいくようなものです。いちいち足元を確認している暇などありません。日本の開化とはそれだと言うのですね。

明治日本は「不羈独立」の達成のために、例えて言うならば外国が100年かけて行なうことをわずか10年で行ないました。しかし、それはほとんどが外国からの借り物でした。その中身について時間をかけて吟味している時間などなかったからです。とにかく形を整えることが最優先されました。結果として、憲法を作り、議会制度を持ち、日清、日露の戦役に勝利して世界の一等国の仲間入りをすることが出来ました。そのこと自体はすごいことでアジアの奇跡と呼ばれたのも当然といえるでしょう。
しかし、日本人の内実はどうであったのか?


「自分はまだ煙草を喫ってもろくに味さえわからない子供のくせに、煙草を喫ってさもうまそうなふうをしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲惨な国民と言わなければならない。」

「西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。~中略~強いものと交際すれば、どうしても己れを棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。われわれがあの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとかなんとか言って、他を批評して得意なのは、つまりはなんでもない、ただ、西洋人がわれわれより強いからである。われわれのほうが強ければあっちにこっちのまねをさせて主客の位置をかえるのは容易のことである。がそういかないからこっちで先方のまねをする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変えるわけにいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかにしかたがない。自然と内に発酵してかもされた礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。」

漱石は、日本人が、西洋文明による近代化の持つ意味さえわからないくせに形だけまねをして良しとしていることに対して痛切な批判を展開しています。

結論として

「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」

と言う漱石は、日本の開化はこのまま上滑りの状態で進んでいくよりほかにしかたがないとも言います。
ならば、外発的開化をやめて内発的開化を目指せばよいではないかという考え方に対しては、出来ないこともないがそれをすれば「神経衰弱」に陥ると述べています。西洋諸国が100年かけて技術革新とそれに対応した精神を発達させてきたことに対して、日本がわずか10年で同じことを行なうとするならば、どうしても無理が生じるというのです。100年かけて覚える知識を10年で覚えなければならないとしたら、それを行なう人はどうなってしまうでしょうか。少なくとも私には無理ですし、やったとしても頭のねじが何本か跳んでしまうのではないかと思います。ならば100年かければいいではないかという声も出そうですが、明治日本にはそのような時間はなかったですし、これからもないでしょう。あらゆるものが日進月歩で進んでいきますから、ナンバー1でなければ生き残れないという状況は明治日本よりもひどくなっていると思います。

「すでに開化というものがいかに進歩しても、案外その開化の賜としてわれわれの受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうであ」り、
「日本が置かれたる特殊の状況によってわれわれの開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思ってふんばるために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、まことに言語道断の窮状に陥ったものであります。」

このように結論付ける漱石には日本の近代化がはらんでいた危険がよく見えていたのでしょう。

日本の近代化は西洋の文明を、咀嚼してから身に着けるという時間的余裕のない状況下で行なわれました。結果として、世界の一等国の仲間入りを果たすことはできましたが、あまりにも短期間で西欧文明の受け入れを行なわざるをえなかったために、内実は西欧の単なる模倣にすぎず、それを無理に日本の状況に当てはめようとして返って息苦しいものとなってしまいました。そして、その息苦しさは漱石が生きた時代よりも現代の方がより鮮明になってきているのではないでしょうか。精神を病む人、果たすべき義務を置き去りにして権利のみを主張する人、このような人たちがどんどん増えていくことで世の中はめちゃくちゃになってしまうといった「我輩は猫である」や「草枕」などで漱石が展開している文明論は、そっくりそのまま現在の日本社会に当てはまると思うのです。


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