徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

死刑制度について思うこと

2006-04-25 20:30:23 | 日記・エッセイ・コラム
この間、光市母子殺人事件について書かせて
いただいたところ、思いのほかに読んで下さっ
ている方々がおられるので驚きました。

この問題については、死刑制度をどうみるのか
といった視点を離れては語れないだろうと思いま
す。

死刑制度につきまして、基本的にはないほうが
よいと思います。

理由は、自分が殺されるのがいやだからです。
だから、他人を殺すこともいやです。そうしますと
必然的に国家による殺人である死刑についても
ないほうがよいといった結論になります。

ただし、他人を殺害しておいて、一定期間、刑務所
に入りさえすれば、それで免責とばかりに、なんの
反省もなくのうのうと生きていく人間を見るのはもっ
といやです。そのようなことを許す社会の存在自体、
認めたくありません。

私が重視しているのは、被害者の遺族の思いであり
残忍な犯罪に対する社会的制裁です。

被害者の遺族の方の本当の思いは、私などにはわ
からないだろうと思います。ただ、色々な本を読んだり
していますと、必ずしも死刑のみが遺族の方々の思い
を癒す手段ではないのかなということを思うようになって
きています。

殺してしまえば、それでおしまいです。加害者がなんの
感情も示さずに死刑になった場合にはどうでしょうか。

それこそ、そこらのゴキブリを殺すのとかわりがないの
ではないでしょうか。そのことによって一時的な満足を
味わったとしても、心の傷は生涯消えないと思うのです。

加害者の被害者および被害者の遺族に対する完全な
謝罪。これしかこの問題の解決はないと思います。

ならば「完全な謝罪」とはなにかということですが、これ
は加害者の良心を呼び覚ますことに尽きると思います。

何度も書いていますが、加害者が死ぬまで殺人を犯した
ことに対する良心の呵責に苦しみ続け、贖罪の人生を送
っていくことによって、被害を受けた方々の心の傷が少し
は軽くなるのではないかと思うのです。また、そのことが
社会的には同様の犯罪に対する抑止になるのではない
かと思います。さらに、そのようなことが現実になれば、
加害者にとっては死刑よりも重い罪になるのではないか
と思うのです。そのような刑罰?が制度として確立される
のであれば死刑制度は廃止してもよいと思います。

問題はそこまでの更生プログラムが存在しないことです。
再犯の確率が極めて高い社会に日本がなってしまって
いることです。

このような社会で観念的な「生命の尊厳」を振りかざして
死刑反対を叫んでも、国民の納得と共感はえられないと
思います。

ですから、現在の私の立場は死刑制度廃止に反対です。

犯罪加害者の完全な謝罪が制度的に補償されないので
あれば、死刑制度の存続はやむをえないと思います。








「ウェブ進化論」について

2006-04-24 18:32:35 | 日記・エッセイ・コラム
この間、「ウェブ進化論」について、気づいた点を
書きました。今日はその続きです。

ネットの「あちら側」の世界で起きている出来事が
「こちら側」の世界に大きな影響を与えるための
「仕掛け」としてネット上の検索機能が上げられま
す。

「ウェブ進化論」では、その例として「ロングテール
の法則」を紹介しています。
本という商品を例にして説明します。

縦軸に本の売れた数量をとり、横軸に様々な本の
作品名をとったグラフを考えます。当然のように、
売れている作品はグラフの左側に集中し、グラフの
右側にいくほど、売れていない作品が並ぶこととな
ります。そうしますと、このグラフには極端に右下が
りな曲線が描かれます。すなわち、横軸の左側
(グラフの原点に近い部分)の比較的狭い部分で、
曲線は急激に下降します。そして下降したあとは、
曲線は平坦になって横軸の終わりまで続いていき
ます。

この急激に下降する曲線の部分と下降したあとの
平坦な曲線の部分とが恐竜の頭と尻尾のように見え、
しかも尻尾にあたる部分が長く続いていくために、
この部分が「ロングテール」と呼ばれています。

今までのビジネスは、この「ロングテール」の部分は
無視して、恐竜の頭に当たる部分だけを見てきました。
売れている商品は頭の部分に集中しているからです。

ところが、ネットの検索機能の進化によって、今まで
まったく省みられてこなかった尻尾に当たる部分にあ
る商品が売れ始めたのです。

売れない商品であっても、それを欲しいと思う人は少
数ですが存在する可能性があります。しかし、通常は
コストの面からそのようなニーズは無視されてきました。
また、そういった少数の人たちがその商品にアクセス
する手段も限られていたため、結果としてそうした商品
のほとんどが忘れられた状態に置かれていたのです。

しかし、ネットの検索機能がその壁を突破しました。ある
商品を欲しいと思う人は、検索機能を使って、その商品
を探すことが出来ます。なにも足を棒にして街中を探し
回らなくてもよいのです。
さらにネットを使って欲しい商品の情報にアクセスできる
人の数は、何千万という単位になり、しかもその数は日に
日に増大しています。ある特定の少人数ということはあて
はまらなくなりつつあります。「ウェブ進化論」ではこうした
人々のことを「不特定多数無限大」という言葉で説明して
います。

この現象の意味するものは、次のようなものではないか
と思います。

ネットの検索機能と「不特定多数無限大」の人々とが、
マッチングすることによって、いわゆる大企業では、コス
トの点で扱うことのできない商品でも、個人や中小零細
事業者といったレベルでは、ビジネスとして充分に成り立
つことが出来る環境が整ったということです。

面白い時代になってきたと思います。クリアしなければな
らない問題は多いと思いますが、やり方によっては、一個
人が、いわゆる大企業と互角に渡り合うことのできる可能
性がでてきたと思うのです。

「ウェブ進化論」にはこのほかにも、色々と面白い内容が
書かれています。読んでみて損はないと思います。


「ウェブ進化論」読みました

2006-04-21 19:38:35 | 日記・エッセイ・コラム
梅田望夫さんの書かれた「ウェブ進化論」を読みました。

面白かったです。

まず、インターネットという媒体を使うサービスのあり方
を「こちら側」と「あちら側」にわけ、「こちら側」を従来のリ
アルな世界、「あちら側」を目には見えないバーチャルな
世界と定義づけます。

「こちら側」ではパソコンを使うために、様々なソフトを購
入して、それをインストールしなければなりません。
しかし、「あちら側」では、ソフトのインストールは必要あ
りません。ソフトはネットという仮想空間に存在している
ので、必要なときにだけ、それを利用すればよいのです。
ソフトを購入する必要はないのです。

たとえば、私たちはブログという媒体を利用していますが、
それを使うために特別なソフトは使いません。もちろん、
OSは必要ですが、いわゆるブログ立ち上げ用ソフトを
購入することはありません。「あちら側」という世界は、こ
のブログのあり方に似ていると思います。
(この「あちら側」の世界がブログのあり方に似ていると
いうのは、私個人の感想です。本には載っていませんの
でご注意ください。)

「ウェブ進化論」では、この「あちら側」の世界がどんどん
増殖していって、リアルな「こちら側」の世界を根底から
変えてしまうことが書かれています。その代表として、
「リナックス」というOSの話がでてきます。

ご存知のように「リナックス」は、特定のコンピューターソ
フト会社が莫大な資本を投じて作ったソフトではありませ
ん。インターネットというバーチャルな空間で、様々なソフ
トの開発者たちが、知恵を出し合って作られたものです。
しかもただ。

この「リナックス」誕生に象徴されるようなことが、「あちら
側」の世界でどんどん起こってくるというのです。

これは大変なことです。いままでの世の中のあり方が根
底から覆る大変化が起きる可能性がでてきているのです。

時間がなくなってしまいました。この続きは、また日をあら
ためて書きます。


遺言状その14 相続人の特定

2006-04-06 18:05:12 | 遺言状
遺言状の内容とはあまり関係がありませんが、相続人
の特定について少し書いてみたいと思います。

被相続人が亡くなって、相続が開始されますと、遺産
分割の協議を行なう必要があります。遺言状がある場合
にはその内容に従うこととなりますし、無い場合には、法
定相続人全員による遺産分割協議が始まることとなりま
す。

どちらにしましても、相続が開始されたときに行なわなけ
ればならない作業に、相続人の特定があります。

相続人の特定は、通常、戸籍謄本を確認することによって
行ないます。このように書きますと、簡単なことのように
思えますが、実際に戸籍謄本の確認作業を行いますと
これがとんでもなく大変な作業であることがわかります。

相続人を特定する場合には、その人の生まれたときから
現在に至るまでの、すべてを戸籍によってたどらなければ
なりません。

普通に考えますと、その人が現在住んでいる市町村の戸籍
を取ればよいのではないかと思うのですが、そうではないの
です。

戸籍謄本は、市役所などの住民課に行って、取り付けます。
そのさいに、お目当ての人が引越しをしたり、どこかの養子
になっていたりした場合には、その人が行った先の市町村
役場で新たに戸籍謄本を取らなければなりません。

面倒な話ですが、一つの役所で、その人の履歴がすべて
わかるようにはなっていないので仕方がないのです。

私も、遺産分割の絡みで戸籍謄本を取ったときに、同じ役所
を行ったり来たりしたことがあります。追いかけている人が頻
繁に、引越しを繰り返していたために、このようなことが起きた
のです。

私の場合は、仕事でやっていますので、別に苦になりませんが
他に仕事をお持ちに方などは、大変だろうと思います。

宣伝をしてしまいますが、そんなときには、行政書士などの専門
家を利用してください。単に戸籍謄本を取るだけにとどまらず、色々
とお役にたてると思いますよ。




遺産分割と成年後見

2006-04-05 19:15:13 | 成年後見
遺産分割協議の依頼を受けて、仕事に取り掛かりますと
成年後見という言葉にぶつかることが多くなりました。

家庭裁判所における成年後見制度の利用につきましても
相続に絡んだものが一番多いみたいです。

日本人の平均寿命がのびているために、遺産分割協議に
おける相続人の資格を持たれている方々に、高齢の方が
多くなっているのが原因のひとつのようです。(これは、あく
までも私の主観です。決して客観的な資料に基づいて書い
ているわけではありませんので、ご批判はご容赦ください。)

遺産分割協議は、相続人の方々の全員の意思が一致する
ことが必要です。そのため、遺産分割協議に参加される方
にはしっかりとした判断能力が求められます。したがって、
認知症の方は遺産分割協議に参加することができません。
そのような場合には、その方の意思を代弁する後見人が
必要となります。

成年後見人とは、かくのごとき場合に必要とされる後見人の
ことです。

成年後見人になるために、特に資格などは必要ありません。
民法847条に定められた欠格事由に当たらなければ、基本的
には誰でもなることができます。

ただし、成年後見人に誰がなるのかを最終的に決めるのは
家庭裁判所ですので、そこではねられてしまえば、成年後見
人になることはできません。

相続の場合に注意しなければならないのは、その人が本当に
認知症なのかどうかといったことです。

遺産分割協議は、相続人全員の意思の一致によって決められ
ます。そのさいには、遺産分割協議書を作成して、そこに相続人
全員が署名捺印をしなければなりません。このときに、署名捺印
ができない人がいたとしたら、その理由が認知症によるものなのか
それとも身体の不自由なことによるものなのかをしっかりと見極め
ることが必要となります。

高齢になった人の、身体の動きが不自由なことを見て、すぐに
「この人、認知症ではないのか。」などと考えてしまうのは、もしか
したらあることかも知れません。
しかし、ここで問われているのは、単に字が書けたとか書けないと
かいうことではなく、遺産分割の内容について、はっきりとした意思
をもっているのか否かということです。

たとえ、身体が不自由であっても、当人の意思さえはっきりしてい
れば、その人は成年後見の対象とはなりません。たとえ、家庭裁
判所に申立てをしても、その申立ては受け付けられません。

この点、充分な注意が必要だと思います。