徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

ムスカリの花

2009-03-28 16:00:34 | 身辺雑記
我が家のベランダで、ムスカリの花がたくさん咲いています。

5年前に球根を買ってきて植えたのが始まりで、その後、毎年
紫色のかわいい花を咲かせてくれます。

特に手入れなどしていないのですが、毎年、花の数が増えて
います。見ていると、なんだかとても幸せな気分になります。

ありがたいことです。

と言いつつ、今年もまたなんの手入れもしないと思いますが。




「草枕」を読む

2009-03-24 12:00:19 | 日本文学散歩
旅先で主人公の「余」は、温泉宿の美しい女主人那美さんと出会う。画家で
ある「余」は那美さんを描こうとするが、どうしても画にすることが出来ない。
那美さんの表情に欠けているものがあるため、画としてまとめることが出来
ないのだ。しかし、小説の最後で、出征する従弟を見送る汽車に、偶然、元
夫が乗っていることを見かけた那美さんは茫然としてしまう。そのときに、そ
れまで那美さんの表情に欠けていた「憐れ」が浮かび、「余が胸中の画面
はこのとっさの際に成就」するのである。

このように書きますと、「草枕」は、主人公が那美さんを描くことが主題の小
説のように思えますが、そうではありません。この小説の主題は、漱石が自
分自身の芸術論、文明論を凝った美文調の文体にのせて披瀝しているとこ
ろにあります。

その意味で、この小説は、ストーリーを追いかけて読むものではないので
しょう。読者は、作品中にちりばめられた春の風景や、芸術や文明に対する
考え方を「ふむふむ、なるほど」と思いながら読んでいけば良いのであって、
登場人物の心理にはあまり気を使うことはないと思います。

「生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠
たそうにあおる。身を斜にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡
のうちに落ちていく。」

このいかにも春そのものといったような描写が、全編にちりばめられてい
て、読んでいて非常に心地いいですね。「草枕」の鑑賞には、難しい理屈
などいらないと思います。ただ、この心地よさを味わえれば良いのだと思
います。


けれども一点。小説の最後で語られる文明論は、なかなか考えさせるも
のがありますので、ご紹介しておきたいと思います。

二十世紀の「文明はあらゆるかぎりの手段をつくして、個性を発達せし
める後、あらゆるかぎりの方法によってこの個性を踏みつけようとする。」

このように個人の個性を主張することは認めるが、ある一定以上の個
性の主張は認めないのが二十世紀の文明であると漱石は言います。

しかし、個性主張に目覚めた「文明の国民」は個性の主張を遮られるこ
とに我慢が出来なくなってくるとも言います。そして、この矛盾する状態
がなにかの拍子に崩れてしまったら、「世の中はめちゃめちゃにな」って
しまうと漱石は言うのです。

ここで言っている「個人の個性」とは、現代では、「個人の権利」と読み
替えてもいいのではないかと思います。

現代社会において、個人が権利の主張をすることは当然です。しかし、
その一方で「モンスター~」と呼ばれる人たちの問題が起きてしまうの
はなぜでしょうか。個人の権利の主張と他人の人格の尊重とのバラン
スが崩れてしまっていることが、問題の根底にあるのではないでしょう
か。

その意味で、「草枕」は、個人の権利の野放図な拡大に対する警鐘
を鳴らしている作品と呼ぶことも出来るのではないかと思います。






ポカポカ陽気

2009-03-18 18:31:25 | 日記・エッセイ・コラム
ポカポカと暖かい日が続いています。

先週の土曜日に、突如として風邪をひいてしまい、下痢に
苦しんだ私にとりましては、とてもありがたい陽気となりま
した。

春本番ですね。

外出する際にも、コートを着ないで済むようになりました。
先週までの、寒さを考えると、うそのようです。

桜の開花も始まったようですし、このまま暖かい日が続い
て行くのでしょう。

ただ、桜の開花があまりにも早すぎるのは、少し不安です。
温暖化の影響が、いよいよ目に見えて顕れてきたのでしょ
うか?


「私の個人主義」

2009-03-10 19:09:31 | 日本文学散歩
私の個人主義」は、夏目漱石が、「こころ」を書き終わった後に、
学習院で行った講演です。

初めに、「自己本位」と呼ばれる漱石自身の思想的立場につい
て述べています。
英文学の研究のためにイギリスに留学を命ぜられた漱石は、
その地で、多くの日本人が陥っていた中身のない西洋追随の状
況に気が付きます。西洋人の言うことならばなんでもかんでも良
しとして省みない状況に疑問を覚えたのです。そこで、漱石は、
西洋人の物真似ではなく、自分の視点で物事を考えることが大切
であると気がつきます。あらゆることを自分を中心にして考えてい
くことで、環境に左右されない独立した一個の人格を築くことが出
来ると考えたのです。

簡単に言ってしまえば、自分というものが確立していなければ、い
くら知識があっても実生活には生かせない、と言ったところでしょうか。

ちょっと考えると、自分が中心で、他者は二の次といった「自己本位」
という立場は、エゴイズム礼賛のような気がしますが、そうではありま
せん。

漱石は、自分のエゴを満足させるためなら、他人を踏みつけにしたっ
てかまわない、などとは言っていません。むしろ、その逆で、「自己本
位」を標榜するのであれば、自分を大切にするのと同じように他人をも
大切にしなければならないと言っています。

この立場から、漱石は、日本の権力を握ることとなる学習院の学生た
ちに、「権力」と「金力」の濫用を戒めます。


「われわれはひとが自己の幸福のために、己れの個性をかってに発展
するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。私は
なぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたはまさしく妨害しう
る地位に将来立つひとが多いからです。あなたがたのうちには権力を用
い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。」


そして、「権力」や「金力」を用いる人は、人間的に優れていなければなら
ないとするのです。人間として高い倫理観を持ち、「ある程度の修養」を積
んだ人でなければ「権力」や「金力」を用い、さらには自己本位を標榜する
価値はないとまで言い切っています。

自分の思うところを権力や金にあかせて押し通し、他者の痛みを省みない
人間にはなんの価値もないといったところでしょうか。権力や、金力を握り、
自分というものを主張することにはその対価として厳しい責任が伴うのは当
然だというのです。


厳しい見方です。人間というのは弱い生き物ですから、社会的な地位や財
産などが出来ると、ついいい気になってしまうことが多々あります。しかし、
それではいけない。そのような立場に立ったときこそ厳しく自身を律すること
が求められるのでしょう。サブプライム問題に端を発した強欲資本主義の破
綻による現代社会の混乱を漱石が見たらなんと言うでしょうか。





早春賦

2009-03-02 18:44:11 | 読書
先週はずっと雨が降ったり止んだりで寒い日が続きました。
今日になって、ようやく、天気になったとはいえ、まだまだ寒
い一日でした。

「早春賦」という唱歌が、今の季節をよく表していると思います。
特に2番の

氷解け去り葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも雪の空

という歌詞がとてもいいです。

もう暖かくなってきて、ようやく春になったかなと思ったところに
無情の寒波襲来。先週は、東京でも雪が降りました。

そして3番。

春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

立春、雨水と過ぎて、暦の上では春になったのに、そして、春
一番さえも吹いたというのに、再び冬に逆戻り。

せめて、春になったことを知らなければまだ、気分的に違いま
すが、春を迎えた証拠がいくつも出てきたところへ、今回の寒さ
です。

やっと手にいれたご馳走が、お預けを食ったような。

春はすぐそばまでやって来ていることが分かっていればこそ、
もっと早く暖かくなって欲しい。

今の季節に、誰もが思うであろうことを見事にうたった「早春賦」
は、唱歌の名作だと思います。