徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

凶悪犯罪頻発

2006-06-27 19:33:51 | 社会・経済
陰惨な事件が毎日のように起きています。

いやな時代だなと思います。もう少し穏やかな心持で
生きられないものだろうかと考えてしまいます。

確かに、いやなこと腹の立つことが多い世の中ですが、
だからといって犯罪に走るのはどんなものなのか。

世の中一般に(私も含めて)物事を短絡的に考えてしま
う傾向があるのでしょう。自分の行動を抑制するというこ
とを考えない人が増えているのかもしれません。


人間同士の関係を支配と被支配の関係でしかとらえて
いないような小説や漫画、ゲームなどが横行しているこ
とも原因の一つなのかもしれません。

もちろん、そのようなものが絶対に悪いといっているので
はありません。善悪の判断がきちんとできる人にとっては
どのような内容の作品であれ、それを見る(もしくは読む)
人にとってはエンターテインメントのひとつなのですから、
なんら非難されるいわれはありません。

問題はそういった作品を鑑賞するうえでの前提となるもの
(社会生活を送っていくための人間としての基準)が、崩れ
てしまっている点にあると思います。

簡単に言えば、社会的にモラルというものが崩壊してしまっ
ているような気がしてならないのです。

すべての物事が相対化されてしまって、善悪のけじめがなく
なってしまっている社会。

それが今の日本の実情ではないのかなと、悲観的な考え方
をしてしまう今日このごろです。



やっぱり、善いものは善い、悪いものは悪いと明確に言い切
れる社会が一番健全なのだと思います。



光市母子殺人事件

2006-06-17 18:00:34 | 社会・経済
光市の母子殺害、20日に最高裁判決…「命で償って」


 最愛の妻と娘を守れなかった。その後悔が、今も胸を締め付ける。山口県光市で1999年、本村洋(もとむら・ひろし)さん(30)の妻、弥生さん(当時23歳)と長女、夕夏(ゆうか)ちゃん(生後11か月)が、元会社員(25)(犯行時18歳)の被告に殺害されて7年2か月余り。
 本村さんは悩み、苦しみながら被告に極刑を求め続けてきた。
 1、2審で無期懲役の判決を受けた被告に、最高裁は20日、どんな判断を下すのか――。
 今年4月、本村さんあてに、被告から初めて手紙が届いた。本村さんがまだ開封すらしていない、その手紙のコピーが5月18日、マスコミに配られた。弁護側が被告の「反省の表れ」として、最高裁に提出した書面の一部だ。本村さんは「被害者がまた利用されている」と感じた。




[読売新聞社:2006年06月17日14時33分]


6月20日に判決が言い渡される光市の母子殺人事件について、
このようなニュースが入ってきました。

なんと言いますか、弁護側のとんでもない悪意を感じます。

被告の少年が本村さんに送ってきた手紙を、本村さんは開封
していません。内容が判決前に公になることによって、被告を
利することになる可能性を危惧されたものだと思います。

また、手紙を開封しないという行動をとることで、本村さんの被
告の少年に対する怒りや事件に対する悲しみがどれほど大き
なものかを示すことも考えられたものと思います。

それを弁護側は勝手に公開してしまいました。弁護の戦術とし
て有効だから行ったことだと思いますが、どうにも嫌な感じです。

結局、弁護側にとっては、被害者などどうでもよいのでしょう。

ただ、被告の死刑が回避されればそれでよいのでしょう。

被告の少年が、死刑を免れ、無期懲役の服役を終わって社会
に出てきたときに、同じような犯罪を繰り返したとしても、それは
別の話。被害者には気の毒ですがあきらめてください。というの
ですな。

いわゆる死刑廃止論をみますと、死刑は残酷であって、世界的
にみても、死刑制度廃止は大きな流れなのだから、日本におい
ても死刑は廃止されるべきだというのが多いと思います。

そこには、死刑を求刑せざるをえないような残虐な犯罪をどのよ
にしたらなくすことが出来るのかといった視点はありません。
(少なくとも、私が調べた限りではありませんでした。)

それとこれとは話が違うだろうが。

そのようなことを考えられる方もおられるかと思いますが、私は
そうは思いません。

死刑制度を廃止しなければならないのは、生命というものが大切
だからです。世界の潮流がどうだとか、死刑が残酷だからとかいう
ような上っ面だけの理由からではないと思います。

現在の死刑廃止論には、人の心が感じられません。

とにかく、国家による殺人さえなくなれば、後はどうなろうがかまわ
ない。そのために必要ならばなんでもやるよ。被害者の思いなど
知ったことか。加えて言えば、加害者の更生もね。

私が感じている死刑制度廃止論の中身です。犯罪被害者の支援
ですら、死刑制度廃止のための手段とみなしているのですからな
んとも言いようがありません。

光市母子殺人事件の弁護側は、このような考え方の権化のように
思われます。このような考えの延長上に死刑が回避されるのだと
したら、ものすごく嫌な感じがします。




成年後見制度について

2006-06-07 18:54:30 | 成年後見
相続にからんで、成年後見人についてのご相談
を受けることが多くなっています。

相続人のうちのひとりが認知症になってしまった
ために、成年後見人を立てるように銀行から言わ
れた。というのが相談の主なものです。

問題は、認知症になってしまった人が、相談者と
は別の相続に関わっている場合の対応です。

わかりやすく言いますと、認知症になってしまった
人の配偶者に関わる相続と、それとは別に実の兄
弟姉妹に関わる場合の相続とが同時に発生してし
まった場合の対応のことです。

このような場合には、どちらかで成年後見人をたてて
相続手続きを進めていく以外に方法はありません。

しかし、成年後見人をたてなかった側の相続手続きに
関して、もう一方の側の申立てによって任命された成
年後見人が、どのような形で関わってくるのかが問題
となることがあります。

問題というよりは、見ず知らずの人間が、成年後見人
という立場を利用してなにをしてくるのかがわからない
のが不安だというのです。

自分たちで選んだ、もしくは選ぶ作業に関わったので
あれば、選ばれた成年後見人の人となりもある程度
わかるので、さほど心配ではないのでしょうが、まったく
あずかり知らないところで、選ばれた後見人に対して
不安を持つのは普通であると思います。


この問題について、結論を申し上げますと、そのような
不安を持たれる必要はないということになります。

成年後見人は家庭裁判所の管理下でものごとを進め
ていくこととなっています。もしも、家庭裁判所の監督が
十分に行われないような状況があれば、成年後見監督人
という成年後見人の行動を監督する人が成年後見人とは
別に選ばれます。ですから、成年後見人が単独で勝手な
行動をとることはできない仕組みとなっているのです。

遺産分割協議について申しますと、遺言状がある場合
にはそれに従うこととなりますし、遺言状がない場合に
は法定相続分による分割が行なわれることとなります。

そうならない場合、家庭裁判所がその内容を認めるの
であればよいのですが、認めない場合には、その遺産
分割協議は成立しません。

このような理由から、自分たちの知らない人が成年後見
人として登場した場合でも、不安に思われる必要はない
ということができます。


メディアに紹介されました!

2006-06-05 19:11:57 | 日記・エッセイ・コラム
今日、私の事務所がNTTコミュニケーションズのBiz It
というサイトで紹介されました。

わ~い、パチパチ!

正確には、Biz It のなかに「ITパワー」というページが
ありまして、そのなかの「ビジネス三種の神器」というコ
ーナーで、インタビュー形式で紹介がされています。

なんと申しますか、うれしいような恥ずかしいようなへん
てこりんな気持ちです。これまで以上にしっかりと仕事
をしていかなければならないといった気持ちになります。


常在戦場 日々是決戦


以前にも同じ文句を書きましたが、今一度自分の決意
としてここに書かせていただきます。

これからもがんばります!