「結城紬(重要無形文化財)」で有名な「結城市(人口:5.2万人)」に友人5人と出かけました。この日は生憎の曇天でしたが雨が降らなくてラッキーでした。
今回の目的は主に「見世蔵(店蔵)」巡りです。結城市には国の「登録有形文化財(建造物)」になっている「見世蔵」が沢山残っています。
「見世蔵」は蔵の一種で江戸期からの商店建築様式のひとつで店舗・住居を兼ねるものです。
用途は倉庫ではなく店であるため妻入りではなく、桁方向を前面開口とし、三和土(たたき)と畳座敷で構成されています。
「土蔵造り・蔵造り」と言われる米穀、酒、繭などの倉庫や保管庫として建てられるものとは分化して発展してきました。
日本語における「みせ」の語源は、「見世棚(みせだな)」に由来しています。「見世棚」とは商品を陳列する棚のことであり、鎌倉末期より言葉自体は存在し、台を高くして「見せる」ことから「見世」となり、室町期に至って、「店」の字が当てられるようになったとのことです(Wikipediaより)
結城市には現存する「見世蔵」が30棟、うち「登録有形文化財(建造物)」は12棟です。見世蔵以外も含めると15件、31棟あります。(カウントミスはご容赦を!)
この日、結城市役所で「結城市観光ボランティアガイド」の方と落ち合い、2時間かけて街なかを案内して頂きました。
今はすっかり復旧していますが、瓦屋根の見世蔵などは、3.11の大地震で、瓦がかなり落ちる被害があったそうです。
「鈴木紡績見世蔵」。明治39(1906)年に奥の座敷(住居部分)とともに建設。
「お休み処ふじの蔵」。切妻平入・木造2階建ての見世蔵で、現在は無人休憩処です。
「結真紬」(切妻・平入り、土蔵造・2階建・瓦葺)。外壁全体を黒漆喰仕上げとした典型的な関東の見世蔵。
結真紬看板。もと呉服屋と見世蔵の住居で、昭和26(1951)年に紬問屋となり,同55年から現在の結真紬の店舗になりました
結真紬の壁面に付いている頑丈な太い鉤型の釘を「折れ釘」といい、土蔵の壁の塗り替えや屋根の補修をするとき足場を組みやすいように、また火事のときには火消しが屋根にあがる足掛かりになるように取り付けてあるのだとか。
「赤荻本店見世蔵」(土蔵造2階建、瓦葺)。明治初年以来、この地でお茶の販売を続けてきた老舗。
「小倉商店店舗兼主屋」。店舗は木造2階建、切妻・平入・桟瓦葺,桁行4間・梁間5間。
「結城紬郷土館」。結城紬の歴史、生産工程等に関する資料の展示など。
1階は結城紬資料室。2階で機織りの実演を見学しました。
「秋葉麹味噌醸造見世蔵」。見世蔵の奥に続く工場で味噌の醸造をし、見世蔵でその販売を行っています。
内外装ともに当初の姿とはかなり異なる。現在の正面外観は、昭和9年、結城駅に通じる県道拡張の際に、前面1間半を切り取ったため出来上がったもの。
蔵の中には大きな木の味噌樽。竹の箍(タガ)で締めた木の樽ですが、現在ではこんなに大きな箍(タガ)を作れる人がいないそうです。
味噌汁、漬物をサービスで頂き、お土産に、なめみそ(辛口)「繁盛ナス」を購入。ご主人商売うまいよ!
「称名寺二条門」。寛永3(1626)年に建造された総欅造りの平屋根瓦葺の門(市指定文化財:建造物)
地震前は常時開門していましたが、地震で傾いたため裏側に支柱をし、常時閉門状態。
「武勇見世蔵」。銘酒「武勇」で知られる(株)武勇。(土蔵造2階建,瓦葺)建設時期:幕末。
武勇脇蔵、旧釜蔵
「結城酒造」。安政6(1859)年の酒造鑑札を持つ、老舗の酒蔵。高さ10メートルの煉瓦煙突は、安政蔵の北側にあり,、治36(1903)年の建設と伝わります。
「弘経寺(ぐぎょうじ)」三門(山門)。浄土宗の学問所 関東18壇林の1つ。
本堂。1595年、秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建された寺院で創建以来一度も焼失していない。
結城家18代秀康(徳川家康の次男)の長女松姫の墓。
境内にある江戸時代の俳人、与謝無村の句碑。
「奥庄店舗兼主屋」。奥庄の創業は1831年と伝えられ、以後、澤屋庄兵衛商店の名で代々紬問屋を営んでいました。「奥庄」と改称したのは昭和38年。
「奥順」店舗(木造2階一部平屋建、瓦葺)大正初期建造。
奥順壱ノ蔵。建物の造りから明治期に建設されたものと考えられています。現在はギャラリー喫茶として利用。お茶をする予定でしたが時間が足りずパス。(弁当も予約できます)
奥順見世蔵(土蔵造2階建,瓦葺)。結城澤屋、結城紬の専門店「弐ノ蔵」を改装
「キヌヤ薬舗」。見づらいですが薬の看板(お宝?)。店舗は2階建の切妻・平入り・桟瓦葺で,前面に半間の下屋庇。
奥順離れ(室内)。見世蔵と同じ明治19(1886)年の建てられる。
「古民家陳列館」。常時200点以上の結城紬を展示。150年にわたり風雪に耐えてきた重厚な古民家を、結城紬の陳列場として移築。
本場結城紬 染織資料館「手緒里」
結城紬ミュージアム「つむぎの館」。奥順(株)が、創業100周年を記念して、より多くの方に結城紬を知ってもらいたいという想いから作られた施設。
「結城蔵美館」。本蔵,袖蔵の2棟から構成される観光スポット。
小屋組み。
「旧黒川米穀店」。明治45(1912)年に建設。現在はパン屋として利用されている。
「市立結城小学校」。茨城県内で創立が2番目に古い小学校。
ここは、「結城行在所(あんざいしょ)跡」で、明治40年に大本営が設けられ、7日間、明治天皇、総理大臣など政府高官が滞在し、執務したところです。
今回は中をじっくり見学できる建物も少なく、時間も足りず、駆け足で巡ったので、今度またゆっくり来たいと思います。
この後、市役所に戻り、昼食を予約したgallery&café「あかり家(下妻市)」へ。続きは別ページで。
今回の目的は主に「見世蔵(店蔵)」巡りです。結城市には国の「登録有形文化財(建造物)」になっている「見世蔵」が沢山残っています。
「見世蔵」は蔵の一種で江戸期からの商店建築様式のひとつで店舗・住居を兼ねるものです。
用途は倉庫ではなく店であるため妻入りではなく、桁方向を前面開口とし、三和土(たたき)と畳座敷で構成されています。
「土蔵造り・蔵造り」と言われる米穀、酒、繭などの倉庫や保管庫として建てられるものとは分化して発展してきました。
日本語における「みせ」の語源は、「見世棚(みせだな)」に由来しています。「見世棚」とは商品を陳列する棚のことであり、鎌倉末期より言葉自体は存在し、台を高くして「見せる」ことから「見世」となり、室町期に至って、「店」の字が当てられるようになったとのことです(Wikipediaより)
結城市には現存する「見世蔵」が30棟、うち「登録有形文化財(建造物)」は12棟です。見世蔵以外も含めると15件、31棟あります。(カウントミスはご容赦を!)
この日、結城市役所で「結城市観光ボランティアガイド」の方と落ち合い、2時間かけて街なかを案内して頂きました。
今はすっかり復旧していますが、瓦屋根の見世蔵などは、3.11の大地震で、瓦がかなり落ちる被害があったそうです。
「鈴木紡績見世蔵」。明治39(1906)年に奥の座敷(住居部分)とともに建設。
「お休み処ふじの蔵」。切妻平入・木造2階建ての見世蔵で、現在は無人休憩処です。
「結真紬」(切妻・平入り、土蔵造・2階建・瓦葺)。外壁全体を黒漆喰仕上げとした典型的な関東の見世蔵。
結真紬看板。もと呉服屋と見世蔵の住居で、昭和26(1951)年に紬問屋となり,同55年から現在の結真紬の店舗になりました
結真紬の壁面に付いている頑丈な太い鉤型の釘を「折れ釘」といい、土蔵の壁の塗り替えや屋根の補修をするとき足場を組みやすいように、また火事のときには火消しが屋根にあがる足掛かりになるように取り付けてあるのだとか。
「赤荻本店見世蔵」(土蔵造2階建、瓦葺)。明治初年以来、この地でお茶の販売を続けてきた老舗。
「小倉商店店舗兼主屋」。店舗は木造2階建、切妻・平入・桟瓦葺,桁行4間・梁間5間。
「結城紬郷土館」。結城紬の歴史、生産工程等に関する資料の展示など。
1階は結城紬資料室。2階で機織りの実演を見学しました。
「秋葉麹味噌醸造見世蔵」。見世蔵の奥に続く工場で味噌の醸造をし、見世蔵でその販売を行っています。
内外装ともに当初の姿とはかなり異なる。現在の正面外観は、昭和9年、結城駅に通じる県道拡張の際に、前面1間半を切り取ったため出来上がったもの。
蔵の中には大きな木の味噌樽。竹の箍(タガ)で締めた木の樽ですが、現在ではこんなに大きな箍(タガ)を作れる人がいないそうです。
味噌汁、漬物をサービスで頂き、お土産に、なめみそ(辛口)「繁盛ナス」を購入。ご主人商売うまいよ!
「称名寺二条門」。寛永3(1626)年に建造された総欅造りの平屋根瓦葺の門(市指定文化財:建造物)
地震前は常時開門していましたが、地震で傾いたため裏側に支柱をし、常時閉門状態。
「武勇見世蔵」。銘酒「武勇」で知られる(株)武勇。(土蔵造2階建,瓦葺)建設時期:幕末。
武勇脇蔵、旧釜蔵
「結城酒造」。安政6(1859)年の酒造鑑札を持つ、老舗の酒蔵。高さ10メートルの煉瓦煙突は、安政蔵の北側にあり,、治36(1903)年の建設と伝わります。
「弘経寺(ぐぎょうじ)」三門(山門)。浄土宗の学問所 関東18壇林の1つ。
本堂。1595年、秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建された寺院で創建以来一度も焼失していない。
結城家18代秀康(徳川家康の次男)の長女松姫の墓。
境内にある江戸時代の俳人、与謝無村の句碑。
「奥庄店舗兼主屋」。奥庄の創業は1831年と伝えられ、以後、澤屋庄兵衛商店の名で代々紬問屋を営んでいました。「奥庄」と改称したのは昭和38年。
「奥順」店舗(木造2階一部平屋建、瓦葺)大正初期建造。
奥順壱ノ蔵。建物の造りから明治期に建設されたものと考えられています。現在はギャラリー喫茶として利用。お茶をする予定でしたが時間が足りずパス。(弁当も予約できます)
奥順見世蔵(土蔵造2階建,瓦葺)。結城澤屋、結城紬の専門店「弐ノ蔵」を改装
「キヌヤ薬舗」。見づらいですが薬の看板(お宝?)。店舗は2階建の切妻・平入り・桟瓦葺で,前面に半間の下屋庇。
奥順離れ(室内)。見世蔵と同じ明治19(1886)年の建てられる。
「古民家陳列館」。常時200点以上の結城紬を展示。150年にわたり風雪に耐えてきた重厚な古民家を、結城紬の陳列場として移築。
本場結城紬 染織資料館「手緒里」
結城紬ミュージアム「つむぎの館」。奥順(株)が、創業100周年を記念して、より多くの方に結城紬を知ってもらいたいという想いから作られた施設。
「結城蔵美館」。本蔵,袖蔵の2棟から構成される観光スポット。
小屋組み。
「旧黒川米穀店」。明治45(1912)年に建設。現在はパン屋として利用されている。
「市立結城小学校」。茨城県内で創立が2番目に古い小学校。
ここは、「結城行在所(あんざいしょ)跡」で、明治40年に大本営が設けられ、7日間、明治天皇、総理大臣など政府高官が滞在し、執務したところです。
今回は中をじっくり見学できる建物も少なく、時間も足りず、駆け足で巡ったので、今度またゆっくり来たいと思います。
この後、市役所に戻り、昼食を予約したgallery&café「あかり家(下妻市)」へ。続きは別ページで。
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