合奏に行かなくなって3週間、練習しないだけで練習しなければと思わなくていいだけで、こんなに楽になるとは思わなかった。
この機会にメンテナンスをしようと、楽器店にギターを持って行った。
お店の方にギターを渡すと、ハーモニクスポンポーンと秒で調弦して、スケールなどをサラサラッと弾いて一言、
「問題ありません」
ええ〜、そうなんですか? 呆気にとられた。ギターを置いて帰る気満々だったのに。
買ってから6年半くらいだろうか、何もしてないけど、大丈夫なんだ。
プロの手際が鮮やかすぎて、脳内でひれ伏した。ありがとうございます、とりあえず安心できました。
そして、サイレントギターを買ったので、15年ほど前に買った小平のギターを手放すことにした。これは近所のギターショップに持ち込んだ。6万円をギター教室の先生価格の一割引で買ったもの。まだきれいだけど安いし古いので期待はしてなかった。
買取査定は15,000円、せいぜい数千円だと思っていたので充分です。さようなら、一緒にメキシコに行って帰ってきたギター。
天気の良い休日には、合奏に行く時に楽譜や譜面台を入れるトートバッグを洗濯した。いつも床に直置きだから、きれいになってとても嬉しい。
気になってはいたが、先延ばしにしていたあれこれができるようになった。
ギターを弾くことに関して、今の私にあるのは挫折だけ。それは、始めなければ挫折すらできないのだ、と聞いたような言葉でコーティングすれば、そんなものかと思えるレベル。
音楽って本当に時間かかかる。若い時の貯金がないハンデを乗り越える時間を私は持たないのに、なんであそこにいたのだろう。ギターが好きなのかどうかも今はわからない。
冷静に考えて、あと一年で死ぬなら、このままギターはやめる。でも、もしかしなくてももう30年生きるかもしれない。そしたら15年くらいは頑張れるんじゃね?
年取って、得意なことをする精神的安定は想像にかたくないが、苦手に挑むこともまた別の生きるパワーとなり得るだろうか。
今はしばしの休みを楽しもう。楽しまなきゃ休んだ意味がない。
来週にはまた帰省して、母の病院や初盆の準備をするのだ。