堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

アーサー=ホーランド牧師

2010-08-09 19:45:12 | 日記
八月七日の事。

一年振りに旭川の〈よろこびの教会〉で、アーサー牧師のトークライブを聞いて来た。

『おやじ、魂を語る』と言うタイトルだ。

富良野は大雨に見舞われた外出気分ではなかったが、俺は「だからこそ行かねばならんのだ。」と気合いを入れたのであった。

これは、かつて東京に住んでいた時、知人のバンドが千葉であろうと八王子であろうと埼玉であろうとやるとなったら、どんな天候であろうとも駆け付けた時と同じだ。電車で何時間かかろうと行ったもんだ。(二時間前後と言えば北海道では、札幌⇔富良野間だが、これは関東では通勤時間ではある。それほど苦になる時間ではない。)

アーサー牧師のトークライブに顔を出すのは今年で三回目か確か。

元々、東京に居た頃
から、自伝『不良牧師』は知っていた。

JR高円寺駅北口の本屋か中野ブロードウェイにある本屋で知ったんじゃなかろうか。

当時の俺と言えば、イラストを描いたり、詩集や幻想文学やSFを読み、肉体労働をしたり、道場に通ったり、ライブハウスに行ったり、芝居を観たりしていた。
その頃は特にアーサー牧師に興味を示さなかった。

アーサー牧師のトークライブが北海道で行われている事を知ったのは、たまに顔を出していた江別の〈ドラマシアターども〉でフライヤーを見たからだ。

で、俺は『ほぉー、北海道に来るんだ!しかも教会でやるんだ!これは、尚更の事、行ってみるか!』となったのだ。
これは俺が僧侶になったからこそ、そんな気持ちになったと言える。

『どんな話をするのかな?』てえのが本音であった。

何故、僧侶が教会に?と、思われる方々もいると思うが。特に僧侶になる前から俺を知っている方々は、俺が諸教諸宗諸派の寺・神社・教会に顔を出し参拝し、寺や神社の縁起の話を聞いたり、御本尊さんを拝見させて頂いているのを知ってるので不思議に思わないだろう。
『伴は、そういう奴である!』と。

午後六時半オープンに間に合うとアーサー牧師のバイクは今年も相変わらず目立ってた。教会の入口で威風堂々と陣取っていた。

アーサー牧師の話は、テンポ良く、国内外の古典の言葉を引用したり、育った街や出会った人々を語りながら、自然や聖書、ジーザスの生き方を説く。

新宿アルタ前での辻説法、武道館、鈴鹿サーキットに教会に僧侶の前でと場所を選ばない。

しかも格闘技経験有りだ。(関東関西では、昔から役者にミュージシャンと格闘技を習う者は多いが、アーサー牧師は青春を格闘技に明け暮れていた。最近は北海道のミュージシャンも格闘技を習う者が増えて来たようだが。)

先月のギリヤーク尼ケ崎さんの大道芸といい、アーサー牧師とトークライブと良い体験をした。

気付いた事は二人共、語彙が豊富である事だ。自分のジャンルのみの会話にならない事である。

手塚治虫さんも、ときわ荘の連中に『漫画を読んで漫画を描くな!色々な事に触れろ!』と言ったとか。

インターネットの時代になってから、知識では深く詳しい者はかなり増えたが。

体で背負ってやる奴はますます減るばかりだ。

生々しい個性に溢れてる人間と出会うってえのはいいもんだ。

南無

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