上垣外会所の裏側に、私達が子供の頃から立っている石仏群があります。
それが何なのか、よく知らないままに暮して来ましたが、この頃周りが荒れ果てて来て、まん竹が繁茂し気が付いたら石仏が倒れたままの状態でした。
余りに可哀想で、昔の人達が大切にして来たのでしょうから、この際誰も見向きもされない会所の裏からもう少し皆に見てもらえる位置に移動して、綺麗に設置しようという事になりました。
この石仏群は、一体どう言う物なのか良く分からない物なのですが、少し調べてみました。
一番大きな塔は、昭和46年に豊丘村教育委員会が発行した「村の石神と石佛」によりますと、天命八年十一月に昼神金蔵氏が、両親の墓堤を弔うために関東から近畿四国迄の寺々をお詣りしてお経を上げながら巡礼した、そのしるしに立てた供養塔であるらしい。
左右にある石仏はお庚申さまであったり道端に有った観音様であるのかも知れない。
まん竹薮に埋まって倒れている石仏群
余りにも可哀想な格好です。
相手が石なので大変重い!バックホーを持ってきて吊り上げて移動しました。
動かして見て分かったのですが、座石の土に接している部分が凸凹なのです。
素人考えでコンクリートをキチッとうって元通りに並べれば良いと簡単に考えていましたが、甘かった!
台座を水平を出しながらコンクリートが柔らかいうちに設置して、上に乗る石仏を乗せていかなければならないので、素人が簡単な訳には行かなくなりました。
で、日を改めて石屋の宮下さんをお願いして設置する事に。
3月16日、朝から設置です。
まず、床掘をし捨てコンをシッカリ打って台座を置いて行きます。
台座が並びました。
ここまでが素人では中々出来ないところです。
バックホーでつる下げて運びます。
一番大きい供養塔が人間だけの力ではどうにもなりませんが、機械は楽々運んでくれます。
一通り設置して、後々グラついて転けたりしないようにメチを塗っておきました。
そして午後3時に完成。
ようやく少し広い所で誰からも見てもらえる場所に鎮座することが出来ました。
昔の建てられた場所は分かりませんが、多分道も変わって来たでしょうし、バス停も動いた事もあるし、多分彼方此方に有った石仏が集められた様にも感じられる石仏群です。
その当時の様子は想像するしかありませんが、こんな機会が無ければ考える事も無かったのかなあと思えた1日でした。
素晴らしい思い付きの石仏群の引越しが完了して安心したので、最後はやっぱり反省会です。
これが無ければ1日は終わらない。
投稿者 Apple