6月25日、朝5時に集合して、昔の大鹿村と伊那谷をつなぐ唯一の道と言われる古道を歩いて見ました。
この唐松峠を越える道は、昔は人々の往来も今では信じがたい位の交通量であったそうです。今では猟師と山師くらいしか知っている人も居なくなり、私達の世代では存在すらも知らない人も居るほどです。
唐松峠へのアクセスは何カ所からも有りますが、堀越からの道が一番遠く、ほとんど歩く人は居ません。忘れ去られる前に「堀越古道を歩こう会」を有志で作り歩いて見る事にしました。まずは下見と言う事で、案内に名猟師の松村さんをお願いして行ってきました。
地図の紫の線はGPSの軌跡です。後で見ると良く歩いたものだと我ながら感心しました。大西山付近で軌跡が彼方此方回っているのは、踏み跡が不鮮明になって彷徨っている所です。
右が案内役の松村さん。3人が着いて行きました。
さ~いよいよ登山口です。ここまでは車に乗り合わせて行き、5時半に出発です。
朝日が眩しい中を頑張って登っていきます。
平らな所有り、急登も有りで中々大変です。
尾根と尾根の合わさったところは、はっきり解るように目印にピンクのテープを巻いていきます。
見通しの効くところにも方向を間違わないように、目印テープを付けながらの登山です。
昔の炭焼き窯の跡も沢山有りました。昔の人が飲んだのだろう一升瓶の欠片や、鍋の破片が見られます。
大乗坊から来た古道との交差点で案内役の松村さんと別れ、一寸不安ながら我々3人だけで唐松峠へと分け入って行きました。そこには諏訪の御柱祭使う柱にしたら良いようなモミの木や、凄い古木のブナ等が現れました。少し神の領域に入ってきたかのような気持ちになります。
しかしそこには野獣の爪痕も・・・いるんですね~~~
そしてとうとう地図上では「唐松峠」の場所に着きました。しかしそれを証明するものが有りません。今となっては知っている人もいるかどうか?色々と話は聞きますが、人によって話が違うし・・・
国が設置したポイントは有りますが、唐松峠の記述は無し。地図からは左へ伸びていく踏み跡が昔の大鹿への道らしいのですが、辿ってみると途中で不鮮明になってしまい、踏み跡がどうしても見つけられません。
どう見ても人工的に建てられた石の構造物が有りました。何か文字は無いかとコケをはがしてみましたが、残念ながら文字は有りません。唐松峠の「か」の字でも有ればと思いましたが残念!!
GPSを見比べてみても、どうもGPSの地図も怪しい感じ。何を信じて良いか解らないので仕方なく、南信森林管理所で付けたであろうピンクリボンを辿り登っていったら、アッサリ登山道に出ました。
そこには大鹿村と豊丘村の境の標や三角点?の標等が賑やかく記されていました。でも唐松峠の文字は全く見当たりません。どうしても気がかりなので、もう一度さっきの地点に戻り、GPSにそって歩きましたがどうしても解らない。しかもどんどん標高が下がっていくので、諦めて尾根に向かって上り返すと、また先ほどの標の所の出てしまいました。
もうこれ以上は体力的にも能力も付いていけないので下山する事に。
でも思い返して
大西山に登ってしましました。またいつ来られるか解らないし、一生来れないかも知れないし。
下山路は油断していました。只下れば良いと思っていましたが、恐ろしい下りでした。
大河原側は凄い角度で切れていて、一度転がれば絶対に止まらない感じです。岩が有るわけでは無いのですが、落ち葉に覆われていて真っ逆さまに滑り落ちそうです。立木に引っかかれば運が良い位です。
下りの一カ所だけ、下に大河原の集落が見える地点が有りました。遥か下に見える家並みは、ヘリコプターから見るような気分です。正に天空からの眺め。真下に見えます。
急な下り坂と延々続く葛籠折れ。約5Kmの下りでした。ここを登っての大西山登山はつらそうですね。下って見て800メートル余の標高差を実感しました。一気の標高の変化を体で感じてみて「辛かった」の一言です。
午後1時半下山。大河原の地からさっきまでいた唐松峠を見上げると、感激です。写真では余り感じられませんが、大鹿村からの唐松峠の眺めはすごい壁の上です。
さ~~、次は・・・もちろん下山後の生ビールの味は格別でした。
今日、南信森林管理所へ確認に行ってきましたが、やはり迷った辺りは道が不明瞭で、昔の本当の道は解らないそうです。考えるに、大河原から登ってわざわざ一度山頂まで出てから下るとは考えられないので、途中に等高線に沿った巻き道が有ると思われます。それが本当の古道だろうと思いますが、誰ももう教えてはもらえそうに有りません。
とにかく疲れましたが、念願だった古道歩きが出来て満足です。今後は会を発足し有志を募って古道歩きを楽しみたいと思います。
但し、この唐松峠越えの古道は、事前審査が必要かも。途中でリタイヤしても引き返せませんから。
投稿者 Apple