蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『宮中重大事件に就て』 盡忠義会同人 (1921.3)

2014年09月14日 | 二・二六事件 3 回顧、北一輝他

 

 宮中重大事件に就て

 拝呈 

  益々御健勝に渡らせられ候趣為国家奉欣賀候、然ば兼御同様心痛罷在候宮廷に係はる不逞権臣等が不届き極まる陰謀は其の第一着手として東宮妃御婚約御破談を企て候儀は御承知の如く、東宮御用係御学問所出仕杉浦重剛氏が平生殿下に御進講申上げたる学問上の見地より真先に反対し一身を賭して力争せられ候も其の効力をなかりしを以て、之を頭山満翁に譲られしかば至忠至誠国士の模範たる翁は之を以て、国家風教の根源を破る容易ならざる事態と為し直ちに噴起して一方山縣公に厳談せらるゝと共に一方同志をして極力陰謀打破に尽くさしめられ、大隈侯は大義名分、人倫の大本を以て大に正論を高調せられ、又国民議会の先輩押川方義、大竹貫一、五百木良三、佃信夫、松平康国、牧野健次郎の諸氏も国体上容易ならざる重大事件と為し決然蹶起して書を山縣公に贈り、極力其の反省をを催すと共に書を御皇族方各宮殿下に奉呈して御婚約御破談然る可らざるを論ぜられ、内田良平氏も浪人会一派の志士佐々木安五郎、伊藤知也、田中舎身、中西正樹氏等の同志数十名を結束して立ち書を各宮殿下各元老い呈して御婚約御破談の不当を鳴らし、東宮御外遊の御延期を極論せられ、又栗原彦三郎氏等義人会一派の青年は尽忠報国の一念を禁じ難しと為し先師田中正造翁の遺教を奉じて立ち以上先輩諸氏の間を奔走すると共に各宮殿下の別当御用係及元老諸公を歴訪して民論の在る所を委曲陳述し、紀元節には国民義会の先輩諸公御指導の下に明治神宮に於て学生及青年団の国民祈願式、浪人会同人の祈願宝刀奉納式等催さるゝ等、正論轟々として民間に起りしを以て、不逞の権臣等も流石に国民の激昂を恐れ十日午後に到り急に東宮御婚約は変更無之趣宮内省より発表せしめ候へ共、権臣閥族の陰謀は其の根底深くまだゝ油断相成難く又東宮殿下の御外遊も世界の人心最も険悪の折柄にて是非御延期御願申上度且つ輔弼の臣は其職を曠うして専ら自己の栄利にのみ没頭する場合に候へば、上皇室の御尊栄と下国民の福利とは一に国民各自の忠勤自衛に拠るの外無之義に候條平生忠君愛国の御志強く知慮分別も万人に優れ候貴下に於ては何卒臣民としての最善の御考慮有之度、今回の事件に関係せる元兇山縣有朋、松方正義、西園寺公望及び之を協賛助成したる原敬等の罪を糺弾し是迄宮中府中に蟠居し常に上は聖上の御聖徳御英明を蔽し奉り、下は国民誠忠の志を仰塞し、専恣横暴を極め、憲法を無視し輿論を冷笑したる不逞の徒を一掃し、以て大正維新の実を挙げて我憲法の光輝を発揚し、内に在りては上天壌無窮の皇運を翼賛ひ奉り、下億兆保全の道を講じ、外に在りては人種平等の大義を徹底せしめて、世界の平和を保障し人類の幸福を増進するの策を御立て被下度、左に本件に関して小生の見聞の事実を摘録して御座右に呈し候間御一読給り候はば幸甚に候
  尚ほ本書は便宜上印刷仕り候へ共本件は性質上最も慎重の態度を要すべきものに付漫りに他人へ披見せしむる等の事無之様篤と御注意申上候
 大正十年二月 日        
           盡忠義会同人拝
  殿
    玉机下

 ◎某志士団より同志に贈りし信書

 大正八年六月十日久邇宮邦彦王殿下の第一王女良子殿下を 皇太子殿下妃に冊立の御治定ありしことは内外の共に知る所なり 皇太子殿下の英明仁厚と王女殿下の温慈婉淑とは謂はゆる乾坤徳を合するものにして七千萬の国民は千載の嘉●一代の好述として頌祝して已まず翹首して大婚の日を待たざるはなし
 然るに昨今に至り俄かに御破談の議あり其事たる上は皇室の尊栄に関し下は国民の休戚に関するが故に之を宮廷の御私事として視るばからざるものあり況んや其此に至りたる経路に就いても奇恠詭異にして皇室の為めに憂ふべく国家の為めに概すべき事実自ら掩ふべからざるをや是れ吾人が極力調査して知り得たる梗概を発表し我が同法諸君と君国に対する義盟を同じくせんことを冀ふ所以なり。
 去年三月の頃或る陸軍々医より突然波多野宮相に上書して久邇宮家の外戚たる島津家に色盲症遺伝性あり、現に良子女王殿下の御同胞に在らせらる朝融殿下には同症の疑あれば王女殿下の東宮妃冊立は御中止ありて然るべしと具申せり、其後中村男継いで宮相となるに及び宮内省の保利侍医は其旨を承けて之を東京帝国大学教授永井博士に諮り具体的に色盲遺伝の恐るべく憂ふべきことを取調の上復命に及び問題は遂に発展して元老間の密議となりしが山縣公は固く主張して曰く、速に冊立の御治定を中止して皇室の御血統に不純分子の混入することを防ぐべしと松方西園寺の両元老も又之に賛同し元老会議に於ては決定の事となれり是に於て山縣公は伏見大宮殿下を経て久邇宮家よりして冊立御辞退の奏請あらんことを諷示したるに久邇宮殿下よりは大要下文の如き意味の答書を呈せられたり。
 〔以下省略〕 

 ◎内田良平氏が山縣、大隈、松方、西園寺四元老及原首相に贈りし書簡
 ◎押川、大竹、五百木、佃外二氏より各宮殿下に上りし書 〔下はその最初〕

 誠惶頓首謹みて    殿下に言ず、曩久邇宮良子女王の東宮妃に冊立の御治定あるや帝国臣民は両殿下の乾徳坤儀を想望し奉りて誠に千載の嘉●なりとし嘆欣抃舞せざる者なく翹首して大婚の日を待てり、然るに近来突如として宮廷に御不諧の議ありと
と聞き恐●疑惑殆ど何の謂はれなるを知らず、臣等憂嘆の余り僭妄の罪を顧みるに暇あらず敢て台聴を瀆し奉るものは是れが為めなり。
 聞くが如くならば此の御破約の主張者は公爵山形有明にして其の理由は久邇宮家の御外戚たる島津家には色盲の遺伝症あるが故に皇室の御血統上誠に畏れ多しと云ふに在り、此の言をして御治定の前に発せしは何より審議を要すべしと雖も今日に至りては復た穿鑿を容るべきに非らず、且つ島津家の病系は不明にて良子女王殿下の御体質が健全にましますことは明白なる事実なり、然るに曖昧なる病系により推して女王殿下の将来を妄想し遂に皇室の為めに憂慮すべしとなすは牽強の論のみ、縦令真実 皇帝の御血統を重んずるものとするも大義より之を考ふるときは道に悖り仁を害し 皇室の尊厳を傷くるものなり、何となれば色盲症の如きは遺伝と否とに論なく人身の一微患に過ぎざれども不信不義に至りては人格の大疵に非らずや、小利害の為めに約を破り盟に違ふことは、少しく恥を知る者の為すを屑とせざる所なり況や億兆の君師として道徳の模範を示し給ふ我が皇室に於かせられて豈に此の如き不祥事あるべけんや、冊立の御治定は忝く勅裁を経て天下に公表せられたるものなるに、今忽ち御中止とならば獨り民心を悦服せしむべからざるのみならず遠く海外にまで失體を示す恐れなきか。
 〔以下省略〕

  上山縣老公書

 ◎山縣公が押川氏に與へし返書
 ◎各宮殿下に奉呈し、原首相、中村首相、松方内大臣 山縣、西園寺両公に贈りし書
 ◎浪人会宝刀献納祈願式
  祈願文 〔下は祈願文、日時署名者〕

 大正十年辛酉二月十一日

 頭山満    内田良平  大久保高明 永岡哲三郎 井上武三郎 高村謹一 岩橋鴻堂 知野秀夫  田代順一
 小美田隆義  末永節   寺尾亨   中西正樹  小笠原元榮 宮川一貫 堀通夫  岸本重任  永岡哲三郎
 伊藤知也   小幡虎太郎 田中弘之  今田主税  今村勝太郎 葛生能久 赤羽隆二 大崎正吉  篠塚秀雄
 佐々木安五郎 長崎武   小川運平  酒巻貞一郎 内藤順太郎 高橋秀臣 中島通盛 栗原彦三郎 川合徳三郎

  不詳事一掃  頭山満氏謹話
 ◎御婚約問題と原首相の関係   途中より権兵衛と相談して山縣公を人身御供に上ける奸計に早変した
 ◎東宮殿下御外遊決定の内情 可驚是れ政友会の党略に出づ 〔下は、その最後〕

 中村宮相から東宮御外遊のことを山縣公に話したのは已に御勅許後であったから山縣公は如何ともすることは出来なかったけれども、原首相が東宮の御外遊を自己の功名と党略との具に供せんとして居る一事に付ては山縣公は甚しく憤慨して居る。

〔蔵書目録注〕

 本冊子は、赤字で字の大きさや省略箇所などの校正が書き入れられている。
 なお、本小冊子について、『禁止単行本目録』 内務省警保局 に、次の記載がある。
 
 題号         著者     発行所 発行人住所氏名 処分年月日    訓令通牒番号
 宮中重大事件に就て  盡忠会同人  東京          大正一〇、三、一 警秘 五四四   



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。