蔵書目録

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「バイオリン王 鈴木政吉翁発明苦心談 (二)」 (1940.5)

2014年05月26日 | 楽器目録 昭和 日本楽器、楽器製作者

 バイオリン王 鈴木政吉翁発明苦心談 (二)

 

 前述のやうな関係から蓄音器のサウンドボックスにサイイン〔済韻〕することゝとなりました。喧噪な雑音とツンゝ突き射さる様な金属音は、聴取者の誰もが一様に嫌悪する処ですが、これも理論上除去し得るものと考へて、ビクター、ポリドール、コロムビア等五個許りを買ふて研究致しました。先づゼラルミンがカバーの為め押へ付けられると音が妨げられることを発見し、カバーの金属細胞の配列が、ゼラルミンの起す音響に最も適合する様に外側からゼラルミンとカバーの調和を取りゼラルミンが鋭敏に働く様にすれば、初めて雑音なしになるものと考へて、その変化を起させ様と努力した結果、音は分離しピンゝと耳を射る様な音は圓く滑らかになり肉声が現はれる様になりました。
 尺八にサイインを施すことを研究するに、尺八は上部の吸口は竹が軟く下方に行くに従って硬くなってゐますが、低音は波動が大きくなるに従って力は弱くなる訳であります。尺八の根が軟くないと低音にはよくない訳でありますから、呂の音が出し難いことになっています。これは軟くあるべき尺八の根が硬いからで根が軟くなる様なサイインすれば、竹の質に調和がとれるから、音の諧調を得ると同時に半分の力で妙音が出るから大変楽であります。
 サイインの原理は以上の様なものでありますが、その方法は?と云ひますと、先づバイオリンならば糸の振動を多くすることに依って音が出るのでありますから、振動を多くするーこれには経験上振動の硬軟をも識別して調和し得る様にするーこれは経験であって理論でないので完全な表現、説明は至難でありますが、簡単に云へば、凡ての楽器は各々その美音を発する理想的な釣合を有してゐるものであります。然し凡べての新楽器は全部この微妙な釣合が保たれてゐらず、丁度自動車にブレーキをかけて走行するやうなものであります。サイインは各々の楽器の特性に応じてその釣合を取り、以てブレーキを取り除いた理想的な状態に置くのであります。
 これを少しく専門的に申し上げれば、素晴らしく弾込まれた天下の名楽器を、音響的見地から詳細に調べますと、百年二百年弾き込まれたバイオリン等は、それを音波写真を撮って調べれば凡ての音、即ち高周波並に低周波に対してオクターブ倍音を完全に出す事が、その音色を著しく清澄明朗にして、真に美音として何人の肯定する名バイオリンとなります。
 之の実際につき先年航空研究所の小幡博士〔小幡重一〕に依って実験して頂きました。先づ私の自作のバイオリン(サイインの施していない新品)の音波写真を撮りましたが、その波状型は二百年も弾込まれた名器、ストラデイバリー作のバイオリン並にグワルネリユース作の名器とは全く異った型を示しました。
 そこで同一バイオリンにサイインをして再び音波写真を撮りましたところ、前の新らしい時の波状型と全く異って、二百年も弾込まれた天下の名器と殆んど同一の波状型を呈し、計算的に調べましても全くオクターブ倍音が完全になって、私が考へてゐた成果を如実に目で見る事が出来ましたので真に嬉しく感じました。
 結局学理的に一口に云へば、楽器全体の音響に必要、又適合せる細胞組織の状態に、その機体を置き、正確なる倍音の発声を完全にすることが“サイイン”であると云ふことが申されます。又例を尺八にとりますと、尺八は吹く楽器でありますから、空気の圧力を応用して行ふといふ風に、物の性質を変へるのであります。尺八でも五十年、百年と長期に亘り吹込んだものは非常に妙音を発しますが、サイインは短期間にこれと同様の効果を合理的に収めやうといふ処にその特色があり、事実尺八でもサイイン後二三ケ月吹けば、五十年百年吹込んだものより却って優秀なものであります。
 都市衛生の立場から騒音防止の眼目の一つになっている、喧噪極まるラヂオのラッパをサイインに依って除去し、さらでだに苛立つ都会人の神経に安息を與へることを研究してゐます。即ちラッパの中心にあるゼラルミンを調整して騒音強音を除き、恰も放送者が聴取者の側にある如く湯を呑む音迄聞える様に仕度いと思ってをります。なほ駅で汽車の出発や到着を知らせるラッパ放送も同様でありますので、此の方も改良して一般乗客の便宜を計リたい念願であります。(終)

 ◇鈴木政吉翁壽像建立

 鈴木政吉翁は先年七十七歳の壽齢を迎へられ尚矍鑠として身心共に壮者を凌ぐ意気を以て楽器の研究に終始せられてゐるが、翁が楽器製造を志してより苦闘五十余年、遂に楽器王として普く世界に覇を唱へられてゐるその偉大なる功績を永遠に顕彰すべく、侯爵徳川義親氏、子爵近衛秀麿氏、子爵鍋島直和氏、男爵大倉喜七郎氏、大岩勇夫氏、下出義雄氏初め朝野の貴紳、音楽関係者発起となり、“壽像建立会”を組織された。壽像は元帝展審査員長谷川義起氏の手にて、翁の半身二倍大のものを製作、知多郡大府町字横根山鈴木バイオリン大府工場内に、割栗石及混凝土を基礎に、淡路産花崗岩を以て台座として建立されるもので、竣工は今年十月の予定である。

 上の文と写真は、『勧業』 五月号 名古屋市役所内 名古屋勧業協会 昭和十五年 〔一九四〇年〕 五月一日発行 第廿七巻第五号 掲載のものである。
 
 ※〔 〕内は、蔵書目録による補足。

 下は、『音楽グラフ』 七月号 第四巻 第七号 大正十五年七月一日発行 の 楽界彙報 にある記事とその写真である。

 ○鈴木政吉翁新作提琴披露会

 翁は明治二十年以来提琴の製作に刻苦し勵精よく内外の需要を充たして国産の伸張に努められた功労に依り曩に緑綬褒章を下賜されたのは世間周知の事実である、然るに大正十年の暮独逸に留学した令息鎭一氏が不思議の因縁から彼の地で手に入れたクレモナ派の名匠ガルネリウスの作品を携て昨年五月帰朝した、翁は是を手にして深くも其技巧に驚嘆し妙音に感服すると共に自分も何とかして斯る名品を作り後世に遺したいものだと茲に堅く志を決して爾来寝食を忘れ只管其研究に没頭して遂に大に発明する所があつた、乃ち最近の作数個を携へて上京されたので徳川義親侯と小山作之助氏とが肝煎で六月三日夕六時から華族会館で其披露を兼ね諸先生の批評を乞ふことになつた当日出席の人々は幸田延子、安藤幸子、頼母木駒子近衛秀麿、ケーニヒ、多久寅、ス末吉雄二、杉山長谷夫、多忠壳、田中英太郎、村上直次郎、鈴木米次郎、山田源一郎、田邊尚雄、平野主水、佐藤清吉諸氏外新進の提琴家を合せて四十名、七時食堂を開き席上徳川侯爵の挨拶あり晩餐後別室に鈴木翁は創業以来四十年間の歴史と製作上の辛苦に就て事細に説話された、終つて鎭一氏は四個(中に古銘器一個を交ぜて)の提琴を一二三四と列べた順に弾奏個々に就ての忌憚なき批評を来賓に求められたが四個殆ど同一の特級品で中に多少の差違があつてもその差違は寧ろそれゞの特色とも見るべきもので優劣の語を以て区別することは出来ない但強ひて云へば新品は古器に比して幾分か若い音色を持つて居るやうにも思はれる位るのことで一同感嘆し翁の成功を賞讃して止まなかつた、それから尚暫くの間来賓は思ひゝに新古を弾き較べて頻に鑑賞に耽つて居られたが十時前後に何れも大満足の体で退散された。
 挿図は鈴木鎭一氏が珍蔵さるゝガルネリウスの特製提琴(特価壹萬圓以上)を寫したものである。

 



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