蔵書目録

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「諏訪根自子 帰朝特別演奏会」 名古屋宝塚劇場 (1946.11)

2012年10月20日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 諏訪根自子 (東宝株式会社専属) 
 帰朝特別演奏会 
    ピアノ伴奏 マンフレツド・グルリット

    昭和21年 〔一九四六年〕 11月6日 ★ 午後六時開場  
        料金 20圓(税共)

    名古屋宝塚劇場

  諏訪根自子独奏会

  

 (1)悪魔のトリル                   … タルテイーニーークライスラー
 (2)ヴアイオリン協奏曲 第2番 ニ短調 (作品22番) … ウイニアフスキー
 (3)(イ)メロデイ    … グレツクークライスラー
    (ロ)ハバネラ形式による小品  … ラヴエル
    (ハ)熊蜂の飛行   … リムスキ・コルサコフ
    (ニ)ザパテアード  … サラサーテ

  諏訪根自子・紹介 

 平和のヨーロッパより動乱のヨーロッパにかけて、厳しい勉学と凡ゆる苦難の滞欧生活十年間を送った諏訪根自子は、昨年末再び平和に戻つた故国日本に帰り、其の後約十ヶ月の沈黙を破って、秋の楽壇の最大のトピックスとして久し振りに登場した。
 彼女は大正九年一月二十三日東京に生れ、五歳の時始めてヴァイオリスの教へを受け、後に小野アンナ女史に就いて学んだが、その天賦は小野女史に認められ、昭和二年九歳にしてデビュウした。十一歳よりモギレフスキー氏に就いて、学ぶに到つて当時日本最初の天才少女ヴァイオリニストとして我が楽壇を驚かせ、その名は一躍全国に拡まった。
 一九三六故年国の声援に贈られて十六歳の一少女は先づベルギーの首都ブラツセルに赴き、ショーモン教授に就いて提琴を学んだ。次いで一九三八年には巴里へ移り、ロシア人の教授でありティボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就て最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滞在し、一九三九年巴里ショパン楽堂に初めてリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にはジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムルウと競演して絶賛された。その間独逸、墺太利、瑞西等各地に数回のリサイタルを開き、何れも大好評を博してゐる。
 一九四五年五月、欧州大戦の終結に際して未だ対日戦線継続当時の為米軍によって南独に於て抑留されたが、フランスより米国を経由して一九四五年十二月初旬無事祖国へ帰還することが出来た。
 なお、帰国後去る三日東京帝国劇場の舞台に立ち地方公演は今度最初であるが、たづさへてる名器は来る十七世紀イタリヤの名ヱストラデイヴァリによって作られ、エルマン秘蔵の名器と同年代の物で、薄命のポーランド貴族の手からナチスドイツのゲッペルス宣伝相が彼女の天才を賞して贈つたものであり、ウインやベルリンのはなやかな舞台で幾度か華麗な妙音を奏したもので戦乱の欧州から「私のいのち」としてはるばる持つて来たが、この名器をめぐつてとかく楽壇の一部に悪意の中傷を抱くものがあるが、根自子さんはポーランドから返還要求があつた場合これを返へすこととしその前に「故国の人たちに〔最〕後の演奏をしてから…」と芸術的良心をうつたへてゐる。

  諏訪根自子にたいする海外批評「抜粋」

   -ラスイス紙より- (一九四四年十一月六日)
   -ジユルナル・ド・ジユーヴ紙より- 

 土曜日の夜、コンセルヴアトアールのホールで東京生れの女性提琴家諏訪根自子が出演したが、彼女は器楽家の天才と女流音楽家としての天性が確定的であり、しかも発展的である。
 長く柔軟な弓、確実である左手、アンサンブルに於ける輝かしく、軽妙にして熱情ある技倆が、この芸術家の卓れたところである。ブラームスの「ソナタ」第一番(ト長調)では彼女の解釈の落付いた性格、この音楽的で貴品ある演奏の「アレグロ」は特に注目すべきである。 (一九四四年十一月六日)

 -ガゼツト・ド・ローザンヌ紙より- (一九四四年十一月七日)



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