蔵書目録

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『皇軍一体論』 『怪文書清算論』 『永田事件の反省』 (1935.10-36.1 )

2012年11月14日 | 二・二六事件 2 怪文書

 時局批判資料 皇軍一体論 (以印刷代謄写)

    皇軍一体論 中正観念の修正について 山科敏

 一、要旨
 
 二、偉大なる軍部の偉容 〔下は、その冒頭部分〕

  『最近皇軍軍人に二大潮流があると言ふことが、専ら信じられてゐるが、一体さうした事実はあり得べきはずがないと思ふが如何』
『さう言ふことが盛んに問題になつてゐるようであるが、『皇軍の動揺』とか『二大潮流の対立』などと言ふことは、断じてあり得ないことである。些々たる客観的情勢を捉えて、さも重大な事情が伏在してゐる様に、観察する者もないではないが、それは微々たる一起伏にすぎないのである。建軍の基調は磐石の統制を擁し、炳乎として一貫するその
大精神は、非常時日本の燈台として、ますゝ輝きを増すばかりである。
噫、偉大なる哉、皇軍の威容よーわれらはこの悠久にして不滅の栄光に輝く、皇軍の厳乎たる姿に、涙ぐましい感激を覚えるのである。』
 
 三、革新を阻む三大勢力
 
 四、永田事件とその人形師

  『そこでもう少し細部に就て聞きたいのだが、私兵化の一団があるとか、永田中将が現状維持派と結んで国家改造を阻止してゐたために皇軍の統制が紊 みだ れたのだ。とか言ふことを耳にするが、果してさういふ形勢はあつたのか』。
  『おれが既成勢力や、職業的革命屋や、コミンタンの陥穽 に陥らせて仕舞ふ。そして対立的な先入主であらゆる動きを斜眼視うるやうになると、デマをデマとして批判出来ない様になる。所謂「巷説妄信」と言ふ奴だ。裏で糸を引いてゐる者から見れば『思ふ壺』なのだ。私兵化の一団などと言ふことは代表的な悪質の巷説で、皇軍将校の断じて口にすべからざる言葉である。永田中将の立場にしてもだ、軍務局長の要職にあれば、内閣書記官長と折衝することもしばしばあらうし、いろんな権力者と意見を交換することもあらう。それを一つ一つ捉へて近眼視覚的に批判したり、針小棒大に非難してゐたら際限のないことだ。国事を憂ふるほどのものー国家改造を志すほどのものが、些事に抗泥したり小利や栄達を嫉むなど、およそ児戯に類うる業である。歴史を創造せんと志す大丈夫は、まづ小我を棄てゝ大同に赴くべきである。況や三月事件にしろ、十月事件にしろ、殉国の赤誠の流露だ。それを殊更曲解誹謗して、人心を誤らしめることは、すでに物を観る態度が敵本主義の私情に出発してゐるからなのだ。まことに卑しむべき自己撞着といはねばならぬ。』
  〔以下省略〕
 
 五、皇魂派と国体原理派
 
 六、社会民主主義の忠僕 〔下は、その冒頭部分〕

『皇軍団破壊の禍根が何処にあるかといふことを明らかにすることは急務である。この禍根を認識しない所にすべての禍は生ずるのである。そこで北一輝、西田税両氏に利用せられている青年将校の動向がつねに問題になるのだ。「北一輝先生の日本改造方案に拠るに非ずんば統帥命令と雖も肯せず」と絶叫しつ々ある一群があるといふのだから、この「生き神様」は余程の魅力乃至は功徳があるらしい。
『さうすると日本改造方案とかいふのが、皇魂派や国体原理派の指導原理といふわけなのか』
『さういふ見方が正しからう。ところがおかしなことには天皇機関説を排撃する限り、北、西田一党の革新理論なるものも大いに問題になるのである。この「生き神様」達の思想は社会民主主義といふ機関説を生んだ温床なのだからーこゝに問題の本があるから読んで見給へ。』

 七、十一月事件と粛軍意見書 〔下は、その冒頭部分〕

肅軍に関する意見書ーといふ文書が相当に広く頒布されてゐるやうだが、一体どういふ内容なのだ。』
『あれは十一月事件に関与した某々将校が、十一月事件に対する処分は公正を欠くものだ。最近の皇軍の乱脈は所謂三月事件十月事件を隠蔽したのを動因として、軍内の撹乱はその極に達してゐる。しかもその思想も行動も大逆不逞のものであつた。これを剔抉処断して懲罰の適正を期するのが肅軍の第一の策であるーといふ意味のもので、三月事件と十月事件の傍証として「00少佐の手記」といふものが引用してある。この手記といふものにも奇々怪々な物語が潜んでゐると言ふことだが、兜町辺りでは此の意見書が四五拾円で売買されたと言ふ噂もある。』
 
 八.絵画的実行力の正体
 
 九.中正観念の修正を要す

   昭和十年十月二十九日発行 (非売品) 編輯兼発行人 山科敏 印刷人 伊藤満重 印刷所 帝都印刷株式会社

 

 皇軍一体論補遺 怪文書清算論 以印刷代謄写

         怪文書清算論 山科敏 皇軍一体論補遺

   怪文書清算論

 一、緒言 〔下は、その前半部分〕

 満州事変を契機として、一切の古き機構を清算し、新しき全体主義的改革が、政治、経済、社会の全局面に強く要求せられるに至った。
 この国家の進路に起ちて、従来の守勢より転移し、絶大なる実力的作用を発揮し、国体の線に添ふ国家機構の樹立をめざす老廃機構の改革に躍出し、政治、経済、外交、文化、の諸領域に伸展して、「国家全体の更生」を企図したのは軍部であつた。
かヽる国家の転換期に際し、軍部の歴史的地位、役割が、改革的勢力を形成するものであることは勿論であり、限られた部門を通じて、全国的な改革態度に出ることは、「国権維持」を使命とし、「広義国防観」に立つ軍部の必然的な部外事項への進出過程でもあつた。
 この情勢に呼応して、国民大衆は軍部の改革態度に合流し、その国家改造への発言を支持して、自由主義諸機構に反撃し、惟神の大道に立脚する「天皇政治」の顕現を仰ぎ迎えんとしたのである。
 然るにこの国内情勢を利用し、貪欲飽くなき魔の手を伸ばして、営利をむさぼらんとする職業改的命屋と称せらるる怪物の一群は、赤色ロシヤを背景とする売国的不逞分子と共に、皇軍部内に潜入し、社会民主主義を「尊皇愛国」と偽装し、マルクス主義の実践を、「××××」の美名に蔽ふて××せんと企て、光輝ある皇軍を目して、権謀術数私閥私闘の府の如き疑惑を深からしめるに至つた。
 やがて、これらの怪物の作為によつて縦横に張り繞らされた陥弊の絲に操られて、改革勢力の実行的中心たる皇軍は撹乱せられ、民間改革勢力は各派各層に乱脈を暴露して、収拾すべからざる蓬乱流離の混乱に転落しつつあるのである。
   
 二、桜会と革新勢力の登場
 
 三、満州事変の発生とその表裏
 
 四、昭和維新への口火を切る
 
 五、巷説に現れた重大非違 〔下は、最初の部分〕

 以上の記述を以て、維新を阻止しつゝある者が何人であるかを知ることが出来たと思ふ。
 蓋しわれらが「怪文書清算論」などといふ一見奇異なる表題の下にこの小論をものした所以は、実に世上に流布さるゝ「怪文書」なるものによつて、革新の実行的勢力の主体が、深く蔽ひ隠され、或は誤り伝へられ、甚しきは大逆不逞の徒の如く曲歪して印象せられつゝあるを見て、痛憤を禁じ得ないからである。即ち正統なる革新勢力の実体を明示し、維新の天業を亜流の附焼匁者流に求むることの愚を反省して、まづ皇軍一体化の実践に協力し、捏造せられたる怪聞、醜聞によつて汚毒蹂躙せられつゝある軍部並に革新陣営を浄化せんと欲するからである。
 而して殊更に論旨を、満州事変を中心とする当時の説明に置いたのは、いまや三月事件並に十月事件に関する歪められたる流説が盛んに横行し、これが皇軍一体化を妨げつゝあるからに外ならぬ。怪聞流布の目的が皇軍の攪乱にあることは言ふまでもないが、これらの怪文書により『大逆不逞』と喧伝せられつゝある三月事件乃至十月事件が如何に敵本主義のデマであるかを指摘して置きたい。

 六、人事を正統化し国民に応えよ
 
 七、国民は強く昭和維新の正統を把握せよ

   昭和拾年拾壱月拾八日 発行 非売品 編輯兼発行人 山科敏 印刷所 帝都印刷株式会社 印刷人 伊藤満重

 

 皇軍一体論続編 (以印刷代謄写) 永田事件の反省

      永田事件の反省 不祥事件移禍転福の献策

 一、緒言 〔下は、その最初の部分〕

 満州事変を楔機とせる皇軍の維新的躍進は、今や逆転的兆候を露呈し来れり。この現象を以て国民思潮の反動と称し、或は現状維持諸勢力の再編成と看る者あり。これらの観察は敢て不当なる批判にあらざるも、いづれも盾の反面に過ぎずして、遂に盾の両面に非ざるべし。
 蓋し現下の革新諸陣営の行詰りは、それ自体の反省に依るにあらざれば、その真相を把握し得ざるべしと信ず。而してその代表的現象は皇軍人事の変局を基調とする上層部の弱体化を以て一切の禍根となすべくこの情弊の実態を認識し、その変態的動向を清算せざる限り、皇軍は国民信倚の中枢的位置より転落を余儀なくせしめらるべしと断言して憚らざるなり。
 
 二、永田中将論 〔下は、その一部〕

 吾人は永田中将を目して軍の至宝の一人、一世の英材たるの定説に相違なかるべきものなりしを信ぜむとす。特に或る意味に於て近代国防の組織者として決定的なる功績と権威とに輝きその英邁の才器と高風大度の人格とは期せずして部内人望の中枢に座し、何人も将来を刮目せざるものなし。
 而して中将に対する非常時国軍の輿望こそは、中将が国家革新に対し、必至緊要の認識と之が指導経綸とに関し極めて真剣且つ責任ある意識と努力と能力とに欠くる処なかりし證左なりとす。蓋し今日国軍要路に於て其度の深浅、認識の如何は別とするも、一応昭和維新断行を願はず、意識的に反対するが如き要路将校のあり得べき理なかるべしと信ずればなり。

 三、相沢三郎
 
 四、国家革新の過程と軍内維新派の主流情勢 〔下は、その一部〕

 北、西田一派は皇軍青年将校をその影響下に置き、職業的革命屋の膨大を衒はんとして、その金看板として巧みに真崎将軍らに接近し、いわゆるそのかつぎ上げに成功し、
  
 五、大御心と維新工作 〔下は、その一部〕

 蓋し北一輝氏は明白なる社会民主主義革命の御本尊にして最も徹底せる天皇機関説主義者なり、何ぞ身の程を知らず国体明徴を口にするを許さむや。而して西田税氏はその主義の免許皆伝のみ。
 
 六、八月人事問題と統帥権不安時代の到来
 
 七、事件の総合的観察

   昭和十一年一月二十日 (非売品) 責任者 山科敏 印刷人 深井誠治 印刷所 開文社印刷所

 なお、この『永田事件の反省』の一部は、後に『右翼思想犯罪事件の総合的研究』(1939)に附録として掲載された。。



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