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『昭和十一年中ニ於ケル 社会運動ノ状況』 内務省警保局 (1938.3)

2020年08月14日 | 二・二六事件 1 内務省他

    

 嚴秘    昭和十三年三月三十日刊行
    昭和十一年中ニ於ケル 社會運動ノ状況   内務省警保局

 昭和十一年中に於ける社會運動の状況

   目次(甲)

 一、總説〔下は、その一部〕

    一

 昭和十一年中に於ける社会運動の一般を顧るに、二月二十六日帝都に於て一部陸軍将校を中心とする叛乱事件勃発し、之が我朝野に與へたる衝動極めて深刻にして、各種社会運動亦多かれ少かれ孰れも此の影響を受けたり。〔以下略〕

 国家主義陣営の動向は、反乱事件に影響せられ運動上相当制肘を受くるの余儀なき情勢にありたるも、他面戦線統一、大同団結の気運促進の効果を齎せり。而して非合法的策動依然として其の跡を絶たず、特に叛乱事件に対する措置其の他の重要問題を繞りて軍民急進分子の間には依然として危険なる底流ありて、今後の動向には深甚の注意を要する情勢なり。
 〔以下略〕

 
 一、共産主義運動「附」海外よりの左翼宣傳印刷物の狀況
 一、左翼學生運動
 一、國家(農本)主義運動
 一、無産政黨運動
 一、勞働運動
 一、農民運動
 一、商工運動
 一、借家人運動
 一、水平運動
 一、消費組合運動
 一、無政府主義運動
 一、在留朝鮮人運動「附」上海を中心とする朝鮮人の不穏策動狀況
 一、宗教運動
 一、運動日誌
 一、附表

   目次(乙) 〔下は、その一部〕

 國家(農本)主義運動

 第一、概要
 第二、帝都叛亂事件
  一、事件の大要

 二月二十六日払暁現役将校二十名は所謂「国体の開顕、御維新阻止の奸賊芟除」を念願して一千四百余名の下士官兵を率ひ、重臣顕官の官私邸を一斉に襲撃して之を暗殺し、爾来帝都枢要の地点を前後四日間に亘りて占拠する等未曾有の不祥事件突発したるが、其大要次の如し。

    (一)襲撃又は占拠等の狀況
    (二)蹶起趣意書
    (三)關係者

 叛乱部隊は歩兵第一連隊、同第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊の一部にして、他に豊橋教導学校、砲工学校、所沢航空学校の青年将校が之に参加し其総数は次表の如く一千四百余名に及ぶ。而して事件発生前後より右中心人物と連絡し或は事件発生以後に於て、之等指導人物と相呼応して事件の好転に努めたる者九十余名にして何れも後記審理状況の項に於て詳述する所あるべし。
 
 反乱部隊参加人員表 〔省略〕

  二、事件前の諸情勢

 昭和九年秋の所謂十一月二十日事件事件、客年七月真崎教育総監の更迭問題及粛軍意見書頒布問題等陸軍部内に蟠る暗流は一抹の憂慮すべき空気を孕みつゝありたるが、果然同十年八月十二日永田軍務局長刺殺の不詳事件の発生を見るに至れり。然も敍上の諸事件に端を発して客年以来軍内の諸潮流を暴露せる無数の怪文書は軍内外に撤布さるゝあり殊に永田事件以後は一層激化して宛然党派的泥仕合を髣髴せしめ軍内外の情勢は日を逐ふて険悪化しつゝありたり。
 就中皇道派民間団体の牙城たる直心道場の如きは西田税の指導下に雑誌「核心」「皇魂」及新聞紙「大眼目」等を総動員して相沢中佐公判の好転、維新努力の推進に関する宣伝煽動に努めつゝありたるが、就中「大眼目」は西田税、村中孝次、磯部浅一、渋川善助、杉田省吾、福井幸等を同人として宛然怪文書と異らざる筆致を以て「重臣ブロック政党財閥官僚軍閥等の不当存在の芟除」を力説し「革命の先駆的同志は『異端者』『不逞の徒』のデマ中傷に顧慮する所なく、不退転の意気を以て維新革命に邁進すべきこと」を煽動し之を軍内外に広汎に頒布する等暗流の策源地たるの観を呈しつゝありたり。
 (一)〔以下省略〕

  三、行動の概要
    (一)叛亂部隊關係者の行動
      (1)ー(23)(七月五日の判決による)
    (二)部隊以外の關係者の行動
      (1)山口一太郎 
      (2)豊橋組の行動 
      (3)北輝次郎、西田税

 (イ) 二十六日午前四時三十分前後渋川善助よりの電話報告に依り前記村中孝次、磯部浅一、香田清貞、安藤輝三、栗原安秀其の他在京同志青年将校等が予定の計画に基き遂に出動したることを知るや西田税は渋川善助を招致し同人に対し蹶起部隊内外の情報蒐集に努むると共に民間側同志竝に右翼団体等に連絡して外廓運動を指導統制し以て専ら外部工作に任すべき旨を指示し北輝次郎は官憲の弾圧に依り西田税が捕縛せられむことを慮り同人の協議の結果当時東京市豊島区西巣鴨木村病院に入院中なる同志岩田富美夫を招致し同人に前記の情を告げ其の同伴により同日午前八時前後頃前記病院に逃避せしむるに至り西田税は同日午前十時頃同病院より電話を以て海軍中将小笠原長生に対し蹶起将校等の精神を是認し事態収拾に付助力あり度旨懇請し次で栗原安秀が首相官邸を占拠しあるを知り之と電話連絡を為したる結果同人等は総て予定の如く襲撃目標を斃したる上警視庁、陸軍大臣官邸其の他を占拠し意気軒昂として寧ろ前途好望なるものあるを知るや直に北輝次郎に対し其の旨電話報告を為すと共に同日午後三時前後頃同人宅に帰還し爾来同人と共に蹶起の目的達成の為画策努力する所ありしが北輝次郎は同日「革命軍、正義軍の文字現はれ革命軍の上に二本棒現はれて消され正義軍と示さる」との霊告ありたりと称し蹶起将校等を目し方に正義軍なりと断じ西田税と共に其の旨電話を以て磯部浅一に伝達し以て同人等の行動を激励し更に同日午後九時頃同志杉田省吾に対し其の旨電話連絡を為し民間側同志に宣伝せしめ、同月二十七日北、西田の両名は前日来の情報に依り蹶起部隊の幹部等は事前に於て陸軍の中堅層等に対し諒解連絡なかりしこと及陸軍大臣官邸に於て香田清貞が陸軍首脳部に対し当時台湾軍司令官柳川中将を以て後継内閣首班に要望せること等を知るや斯の如きは徒に時局の収拾を遷延せしむべく一日一刻を争ふ此の際寧ろ彼等の為に採らざる所となし專ら之が前後処置に付苦慮しありたるが
 (ロ) 北輝次郎は同日午前十時頃「人無し、勇将真崎あり、国家正義軍の為号令し、正義軍速に一任せよ」との霊告ありたりとて西田税と共に村中孝次、磯部浅一等に対し其の旨電話連絡を為し且此の際蹶起将校等は右霊告の趣旨に従ひ全員一致の意見として無条件にて時局の収拾を真崎大将に一任すると共に軍事参議官も亦意見一致して同大将に時局収拾を一任せらるる様懇請し斯くして軍事参議官と蹶起将校との上下一致の意見として上奏実現を期すべきなりとの趣旨を諄々教示し同日蹶起将校等をして右趣旨の如く行動するに至らしめ同日午後五時前後頃村中孝次、磯部淺一等より蹶起將校等は陸軍大臣官邸に於て軍事參議官阿部、西各大將と會見し前記趣旨の如く懇請したる旨の電話報告に接し一方豫て招致し置たる同志薩摩雄次をして電話を以て海軍大將加藤寛治に對し蹶起將校等は一致して時局収拾を眞崎大將に一任することに決したるを以て海軍側よりも推進善處せられ度旨懇請せしめ更に西田税は前掲小笠原中將に對し電話を以て蹶起部隊は昭和維新の目的を貫徹するまで現在の占據位置より撤退せずと主張しあり且時局収拾に付眞崎大將の推戴を希望しあるに付此の主旨に基き善處せられ度尚海軍陸戰隊と蹶起部隊と對立し兩者の間は漸次險惡化しつゝあるを以て海軍側を抑制せられ度旨懇請し次で兩名は同日午後五時頃首相官邸に占據しある栗原安秀より同人等蹶起部隊の情勢に付電話報告を受けたる際同人に對し外部の一般的情勢は漸次蹶起部隊の爲有利に進展しつゝあり殊に海軍側は一致して支援しあるのみならず全國各地よりは數千の激勵電報到着しる情勢なるを以て飽く迄目的を貫徹すべしと激勵し更に同日午後八時頃突如村中孝次が夜陰に乗じて包圍線を脱出し爾後の處置に關し指令を仰ぐべく來訪するや偶爾後の對策協議の爲來合せ居たる龜川哲也も同席の上同人より蹶起後の内部情勢に付詳細なる報告に接したる後同人に對し國民は蹶起部隊に同情しあり殊に海軍側は擧つて支援しある情勢なるに付前示懇請に對する軍事參議官側の囘答あり次第其の内容を速に北、西田に連絡せられ度其れ迄は現在の占據を持續するを可とする旨を指令し〔以下省略〕

      (4)龜川哲也 
      (5)滿井佐吉
      (6)眞崎甚三郎

 眞崎大將は二月二十六日午前四時三十分頃自宅に於て豫て二、三囘本人を訪ね靑年將校の不穏情勢を傳へ居たる龜川哲也の來訪を受け同人より今朝靑年將校等が部隊を率ゐて蹶起し内閣總理大臣内大臣等を襲撃するに付靑年將校等の爲善處せられ度く又同人等は大將が時局を収拾せらるゝ樣希望し居れば自重せられ度き旨懇請せられ茲に皇軍未曾有の不祥事態發生したることを諒知し之に對する處置に付熟慮し居たる折柄陸軍大臣よりの電話招致に依り同日午前八時頃陸軍大臣官邸に到り同官邸に於て 
 (イ)磯部淺一より蹶起の趣旨及行動の概要に付報告を受け蹶起趣旨の貫徹方を懇請せらるゝや「君達の精神は能く判つて居る」と答へ 
 (ロ)陸軍大臣川島義之と村中孝次、磯部浅一、香田淸貞等叛亂幹部との會見席上に於て蹶起趣意書、要望事項及蹶起者の氏名表等を閲讀し香田淸貞より襲撃目標及行動の概要等に付報告を受けたる後同人等に對し「諸君の精神は能く判つて居る自分は之より其の善後處置に出掛る」と告げて官邸を出で
 同日午前十時頃參内してる際侍從武官長室に於て陸軍大臣川島義之に對し蹶起部隊は到底解散せざるべし此の上は詔勅の煥發を仰ぐの外なしと進言し又其の席に居合はせたる他の者に對し同一趣旨の意見を強調し、
 同日夜陸軍大臣官邸に於て前記滿井中佐に對し宮中に參内し種々努力せしも中々思ふ樣に行かざるを以て彼等を宥めよと告げ 
 翌二十七日叛亂將校等が北輝次郎、西田税より「人無し勇將眞崎あり正義軍一任せよ」との靈告ありとの電話指示に依り時局収拾を眞崎大將一任に決し軍事參議官に會見を求むるや本人は同日午後四時頃陸軍大臣官邸に於て軍事參議官阿部信行、同西義一立會の上叛亂將校十七、八名と共に會見の際同將校より事態収拾を本人に一任する旨申出で且之に伴ふ要望を提出したるに對し無條件にて一切一任せよ誠心誠意努力する云々の旨の答へを爲したり。

      (7)菅波三郎 
      (8)大藏榮一 
      (9)末松太平、志村隆城 
      (10)志岐孝人
      (11)齊藤劉 
      (12)中橋照夫 
      (13)宮本正之、越村捨次郎 
      (14)福井孝、加藤春海、佐藤正三、宮本誠三、杉田省吾 
      (15)町田專藏
  四、鎭定の狀況
    (一)叛亂鎭定の經過
      (1)叛亂當日の状況
      (2)戒嚴令公布(二十七日)
      (3)奉勅命令(二十八日)
      (4)鎭定(二十九日)
    (二)民間團體の策動
  五、審理狀況
    (一)叛亂部隊關係者
    (二)部隊關係以外の者

 第六、不穏事件の審理状況
  一、概況
  二、永田中將暗殺事件
  三、統天塾同人の不穏事件
  四、朝鮮統治改革神風隊事件
  五、神兵隊事件
 第七、不穏事件檢挙狀況
  一、概況
  二、美濃部博士狙撃事件
  三、故渡邊教育總監暗殺豫備事件
  四、寺内陸相暗殺豫備事件
  五、廣田首相暗殺豫備事件
  六、秘密結社巴團事件

 附表
  一、主なる社会運動団体一覧表 (昭和十一年十二月末現在)
  二、各種特別要視察人現在一覧表 (昭和十一年十二月末現在) 〔庁府県別で、人数のみ〕



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