蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『音楽倶楽部』創刊号 東京演芸通信社(1923.3)

2018年09月24日 | 楽器目録 昭和 日本楽器、楽器製作者

 

 音楽倶楽部 創刊号 学生音楽号

   東京演芸通信社発行   大正十二年三月一日発行

 表紙(奏で終りて)
 口絵(静)
 楽譜(最新流行歌アラブの首長)  デッド・シニイダー作曲

 記事
 ◇音楽趣味の振興策 渡辺鉄蔵
 ◇学生が音楽に親しむ利と害と 大塚淳
 ◇美的情操涵養と女学校の音楽教授 永井郁子
 ◇音楽を実生活に結び附ける独逸の楽聖 岸辺福雄
 ◇楽聖音楽団と其指導者へ 小松平五郎
 ◇学生の横断的音楽連盟の建設 田尻英彦
 ◇楽界風聞録 楽阿彌
 ◇お前の頭は何故禿げた 逆蛍生
 ◇女流音楽家出世の秘訣(漫画) 山田みのる
 ◇唯だ一つの音 門馬直衛
 ◇近代音楽と恋愛 ローレンス・ギルマン
 ◇歌劇私見 曽野功
 ◇王と音楽
 ◇簡易作曲法(単音曲の作り方) 紫陽花人
 ◇歓びに満てる三月の楽壇 松野信太郎
 ◇学生音楽欄

  学生音楽団評判記
  慶応義塾ワグネルソサイエテイの歴史


 慶應義塾
  ワグネルソサイエテイーの歴史
                  小松平五郎
 
 ワグネルソサイエテイーの創立は明治三十五年の五月十四日であります。創設前は、只今三越の楽器部の主任をしてゐられる秋葉純一郎氏であります。
 当時の日本洋楽界は、恐らく、今から比べて見たら随分滑稽な程幼稚なものであったに違ひありません。然かし其の時代に於て、学生の最初の音楽団として我がワグネルソサイエティーの生れた事は、さすが、明治の大偉人、福沢諭吉先生の門に学ぶ、自覚せる我が慶應義塾の学生にして初めてなし得た事と思ひます。我田引水の様でありますけれども、我々は実際其の事を深く感じてゐます。
 恐らく当時の学生は、故意に、破れた袴、汚ない帽子、それに太いステッキに高足駄と云ふ様なものをうがち、市中を悠々と横行闊歩するのが自分達の本分と思ってゐた時代だったに違ありません。そういふ学生間の気風だった時代に、音楽、然かも所謂毛唐味タップリの西洋音楽の団体が学生間に生れたと云ふ事は随分と破天荒な事だったと思はれます。
 会名は、秋葉氏の同志十数名が協議の結果楽聖リシヤルトワグネルの名を取ってワグネルソサイエテーとする事にしました。そして独立自尊の我が三田山上の学生生活に此の新声を鼓吹して学生間に一新生命を開拓しやうと云ふ堅い決心の下に創立されたのでした。
 最初の年に声楽部を設け、鈴木米次郎(現東洋音楽学校長)に就きて声楽の練習をし、後石垣六三郎氏に就きて勉強の余暇驚くべき熱心を以って練習しました。創立当時は僅か十数名の会員でありましたが翌年にはこれに倍し、翌三十六年正月に、初めて、金須嘉之進氏を聘して器楽部を設け先づヴァイオリンを練習することにしました。
 第一回の演奏会は、三十六年三緣亭に大学倶楽部の会合が開かれた時、初めて演奏会なるものが開かれました。が恐らく余興的の初めての試みであったにもかゝわらず、意外にも非常な歡迎を受けました。これに力を得た会員は、財政上非常の困窮に出会したにもかゝわらず、福沢先生も非常に援助されて福沢家のピアノを貸して下すったりしたので練習を怠らず続けました。当時塾の外人教師ヴィッカース氏夫人なども大へん同情して下さり無報酬で指導をして下いました。三十六年五月には、初めて公開の演奏会を今の旧演説館で開きました。其の時のプログラムは、会員の演奏としては単唱音歌二曲で、他は楽友倶楽部の演奏が主でした。
 第二回の演奏会から器楽部も活動し三回目からは、曲目を一部二部に分って、一部を会員二部を専門家と云ふ風に、それに其の頃上野の音楽学校以外では聞く事の出来なかった四重唱のコーラスなども演奏したのであります。
 やがて器楽部も益々整頓して来て、セロ、ヴィオラなどを買入れましたが、此処に特筆大書すべき事は、其の時買ひ入れたセロは、我が日本で作られた(鈴木製)最初の二ツの中の一ツである事で実に貴重なる記念品であります。今もまた此のセロを会員が使ってゐます。
 第四回の演奏会からはプログラムを稍今日に等きものとなり、宮内省雅楽部のオーケストラなども演奏しました。又二部の終りには、伊十郎の長唄などをも取り入れました。これは基本金を演奏会に依って得ん為の新しい試みでした。それ程当時に於ては西洋音楽は一般的ではなかったのです。元来から云へば此の種の学生の会に入場料を徴集する事は好ましい事ではありませんが、然かし学校から何等援助を受けていない独立会計のもとにある此の会は、さうした事で基本金を得なければならない事は止むを得ない事だと思ひます。
 明治四十四年は丁度慶應義塾創立五十年祭がりまして、我がワグネルでも、両部の大活動に依って始めて、ワグネル作の、タンノイザアとローエングリンとを演奏するに至りました。
 そしてこれを一転期として、ワグネルソサエテイーの面目は一新し、学生音楽団の随一として春秋ニ季の大会は凡ての好期家より期待さるゝの有様となりました。
 大正四年には現在の大ホールも出来上るし、演奏会も此処で開催する様になってからは、会員の増へ、聴衆も演奏会毎に増加し、従って今迄窮迫してゐた財政上の困難も追々と順調になり翌六年には初めてピアノを買ひ入れる事が出来ました。それから管楽器も一と通り揃ひまして今では、全然会員のみにて不完全ながらもオーケストラを演奏する事が出来る様になりました。これ迄になりますには随分と先輩諸兄の苦しい奮闘振があります。従って現在に於ては其の基礎の確実な事に於て確固たるものがあります。
 現在の会員は約百五十名程居ります。そして声楽、器楽の二ツに分れ、声楽の講師は、大塚淳氏、器楽の方のヴァイオリンは田中英太郎氏、セロに高勇吉氏、ピアノにゼームスダン氏、以上三氏は目下独逸に遊学中でありますが、何れ帰朝の暁には、再び我がワグネルソサエテイーの為に御尽力して下さる事になってゐます。
 目下ヴァイオリンは、栗原大治氏、杉山長谷夫氏に、声楽は、大塚淳氏につき毎週二回の練習をしてゐます。其の他有志は船橋栄吉氏、柴田知常氏の下に其の指導を仰いでゐます。又管楽器は、陸軍戸山学校の好意に依り毎週其の教を受けてゐます。
 我がワグネルソサイエテイーの生んだ音楽的知名な人々には、かなりたくさん居ります。中にも加藤武ニ氏早川義郎氏の如きには、其のヴァイオリンに於て、下手な上野出よりは数等の確実さがります。加藤氏は昨年推選されて東京シインフォニイのセカンドヴァイオリンを弾きました。尚セロには出雲商会主の川崎甲子男氏、声等に堀江満氏が居ります。
 堀江氏は、選抜されて混声合唱団の一員となり、バスの少ない我が楽壇に偉才を放って居ります。
 現今の会員にも偉才が少くありません。バリトンの有馬大五郎氏、バスの猪飼正一氏等で、殊に猪飼氏は船橋栄吉氏の高弟であす。
 以上、ワグネルソサイエテイの起原及現在の大体であります。
 最後に、当会の会長は、文学部教授田中貞一氏の死後、経済学部教授にして塾内随一の音楽通、小泉信三氏をお願いしてゐます。(終)

  立教大学音楽部の此頃 川上忠男
  法政大学音楽部の創立より今日まで 丁生
  帝大音楽部の過去と現在

 ◇楽界消息

  □久野久子女史(洋琴家) 五月独逸に留学する為め二月二十四日、五日の両日午後二時より東京音楽学校に送別演奏会を催す、曲はベートーベンの後期作品を選ぶといふ尚三月一日名古屋、三日京都、四日大阪、五日神戸と各地演奏旅行を企だつる由
  □小倉久子女史(洋琴家) 赤坂区榎坂町五番地に移転せり。



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