今日、職場の近くにある保育園の運動会に招かれた。
0歳児から5歳児まで、約120人の園児たちが、それぞれの発達段階に応じた演技を披露してくれた。
自らも裸足で会場を駆け回り演技の補助をしたり、マイクを片手に解説をしたりするとてもアクティブな園長のR先生がこう言われた。
「今日見ていただいている姿は、9月になってから練習をして身に付けたのではなく、毎日繰り返し取り組んでいる小さな活動の積み重ねです」
「歩くことを重視しています。幼児期にしっかり歩いていないと年をとってから歩けなくなります」
この言葉に納得した。確かにそうした日々の活動に裏打ちされた付け焼刃ではない園児の勇姿を目の当たりにしたからである。
また、R先生同様、裸足で駆け回る保育士の皆さんの姿を見ていてもこの保育園の本気度が伝わってきた。
いただいたプログラムの冊子に次のような保護者に宛てた文章が掲載されていた。
《開かれた家族》
人間は、感謝と尊敬という感情ぬきには、健康に生きられないものだと思います。
この感謝とか尊敬とかいう感情は、親自らが誰かに感謝したり、誰かを尊敬したりしている機会を日常生活の中で見せておかなければ、子どもの中には育つはずがないのです。ですから、今日の子ども達にそういう感情が希薄になっているのは、子どもを取り巻く家族の人間関係の乏しさによるものと言えるのです。
自分の家族がいかに地域社会に開かれた家族であるかということも、子どもが健全に育つ上で、特に社会人として育つ上で重要な意味を持つのです。(精神科医 佐々木正美「子育ての基礎知識」より)
学ぶことが多い運動会だった。
追伸
佐々木先生著書「子どもへのまなざし」
人間は人間関係のなかで生きてこそ人間である。
■ 子どもと青年と家族の心の健康を考える。
■ 自閉症や発達障害の人と家族の問題を考える。
■ 人間は孤独には耐えられるが、孤立したら生きられない。
■ 人間は自分の幸せを願うだけでは、自分一人の幸せにも出会えない。
■ 人間は自分が家族や他者を幸せにしていることを、ひそかに実感しな
がら生きて、はじめて自分も幸せになれる。
■ あなたは自分の生きかたが、だれかを幸せにしていることを知っていま
すか。そんな生きかたを探し当てるために、集い合い、学び合い、活動
し合いたい。
早速ネットで注文した。
もう一つ、先生のコラムから引用。
人間は人間同士が交わることを喜びに感じ合っていなければ、健康に幸福に生きていくことはできないのです。人間は他者と喜びを十分に共有し合った後でなければ、他者と悲しみを分かち合うことはできないのです。他者と喜びや悲しみを分かち合うことができなければ、私たちは社会的な存在にはなれないのです。非社会的とか、反社会的という状態とはそういうことを意味しているのです。わが国では、子ども、若者、大人も喜びを感じ合って生きることができる場や機会を見失ってしまいました。そういう空間や時間を共有し合うための、勉強や活動をめざそうと思います。
まだまだ学ぶことがたくさんあるなあと改めて思った。
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