後半は、観光地としての沖縄を紹介する。
沖縄といえば「海」
これまでの人生で最も美しいと思った海は、渡嘉敷(とかしき)島の海である。
渡嘉敷島は、那覇から約32㎞、慶良間(けらま)諸島の中では、一番大きな島である。
現在ではダイビングの名所であり観光地として賑わっているが、前編で紹介した沖縄戦の激戦地でもある。
1945年3月27日の米軍上陸後、チビチリガマ同様「捕まれば男は戦車でひき殺され、女は辱めに遭う」という中国戦線帰りの兵士の言葉に動揺した住民の約半数にあたる368名が集団自決した。
当時の国際法では、抵抗せずに投降する者を攻撃してないけないという決まりがあり基本的に米軍はそれを守っていた。しかし、中国戦線で略奪と殺戮をくり返した日本軍関係者は、同じことをされると思ったのだろう。何の罪もなく、しかも抵抗する術もない住民はそれを信じるしかなかった・・・。
観光地を紹介したつもりが、戦争の歴史になってしまった。沖縄とはそんな場所である。
こうした沖縄に想いを寄せた作家がいる。児童文学者の灰谷健次郎氏(故人)である。灰谷氏については、少年にも特別な想いがあるのでいずれ紹介したい。
実は、関西を拠点に活動をしていた灰谷氏は、1990年にこの渡嘉敷島に居を移して作家活動に専念することになる。当時、灰谷氏が住んでいた家が現在も綺麗なまま残されている。
あくまでも想像だが、西側の海に面したリビングからこんな夕日を見ることができたのだろう。
(イメージ写真)
後半の前半は、渡加敷島だけで終わってしまった。後半の後半では、美ら海水族館を紹介したい。
沖縄といえば「海」
これまでの人生で最も美しいと思った海は、渡嘉敷(とかしき)島の海である。
渡嘉敷島は、那覇から約32㎞、慶良間(けらま)諸島の中では、一番大きな島である。
現在ではダイビングの名所であり観光地として賑わっているが、前編で紹介した沖縄戦の激戦地でもある。
1945年3月27日の米軍上陸後、チビチリガマ同様「捕まれば男は戦車でひき殺され、女は辱めに遭う」という中国戦線帰りの兵士の言葉に動揺した住民の約半数にあたる368名が集団自決した。
当時の国際法では、抵抗せずに投降する者を攻撃してないけないという決まりがあり基本的に米軍はそれを守っていた。しかし、中国戦線で略奪と殺戮をくり返した日本軍関係者は、同じことをされると思ったのだろう。何の罪もなく、しかも抵抗する術もない住民はそれを信じるしかなかった・・・。
観光地を紹介したつもりが、戦争の歴史になってしまった。沖縄とはそんな場所である。
こうした沖縄に想いを寄せた作家がいる。児童文学者の灰谷健次郎氏(故人)である。灰谷氏については、少年にも特別な想いがあるのでいずれ紹介したい。
実は、関西を拠点に活動をしていた灰谷氏は、1990年にこの渡嘉敷島に居を移して作家活動に専念することになる。当時、灰谷氏が住んでいた家が現在も綺麗なまま残されている。
あくまでも想像だが、西側の海に面したリビングからこんな夕日を見ることができたのだろう。
(イメージ写真)
後半の前半は、渡加敷島だけで終わってしまった。後半の後半では、美ら海水族館を紹介したい。