悠翠徒然

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『書の心』

2019-11-05 06:28:42 | Weblog
『書の心』とは何でしょうか?

そう問われたらなんと答えるかな?

『自身を深く見つめ、他者を敬う心と姿勢』

そう答えるかもしれません。


私はそれを知らず知らずのうちに、書と社会のやりとりの中で学んできたように思います。

私は書道家と呼ばれる事を好まないし、そうだととも思いません。

個展を開かない書道家なんて居る?
ま、SNSで発信しているだけで満足です。

人格者として高いところを目指さない書道家なんて居る?
そんな事、少し思っていたとしても、言えないですよね〰(笑)

私は『能書家』でありたいのです。


もう何十年も、書と実業の間を毎日毎日、一日中何万回も往復してきました。

振り返れば気が遠くなるけれど、習性なので問題無しです。

そこにある理想と現実の矛盾に折り合いをつけるのは簡単です。
全て棚に上げて、無かったことにすれば良いのですから。

しかし私はそれをよしとしません。

平行線ならほんの一部でもくっつける。
ずれているのなら、重なり合うようにしたい。

浮世離れは性に合わないのです。


故に、私の書はその美や精神性に逃げ込むことろではなく、書で学んだ事を実業で実践して、功罪成否の中で反省し、書に戻って学び、また実践する事の繰り返しの中で、それぞれの実態に触れる事ができるものなのです。

その事を、生前の高橋先生にお話ししたら、大変喜んでくださったことを忘れません。

とても嬉しかった記憶です。


私が起業した会社が三十年以上継続しているのは、とても奇跡的な事です。

1年後:40%
5年後:15%
10年後:6%
20年後:0.4%

中傷零細企業まで入れると、こんな数字になるそうです。
30年以上だと、、、やっぱり奇跡的ですよね。

常々、関わってくれた全ての人々と、幸運に恵まれた事に感謝するばかりです。
そこにプラスアルファがあるとすれば、それは高橋先生が喜んでくださった所にあるのだろうと思うのです。

私の書は持てる書技だけで書いているわけではありません。
0.1%の奇跡を実践中のそこそこ幸運なおっさんが(笑)、その幸運力で書いているのです。

私の書いたものを塾生に差し上げる事があります。
それは、私のいただいてきた幸運のお裾分けの気持ちで書いたものです。

マーケット的には価値の無いものですが、良く効く御守りみたいなものとしての価値は、きっと絶大ですよ(^∇^)

お部屋に飾っておけば、ゆっくりと開運していくこと間違い無し!と言うわけです。

『能書家』であると言うことは、書で学んだ事を活かすところがあり、書に活かす事を学べるところがある事になります。

私にとって、書と実業は両輪なのであります。





















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