悠翠徒然

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9.11の記憶

2017-09-12 22:41:36 | Weblog
鮮明に残っています。

その年の春、ニューヨークにレコーディングスタジオを造ろうとしていたのです。

物件もほぼ決まり、ユダヤ人の大家さんから分厚い契約書が送られてきた矢先に飛び込んできたあの映像、、、

ひどい飛行機事故があるものだ、と思っていました。

そこへ二機目の旅客機が突っ込んできたのです。

そこで初めて、これは人為的なものであることを認識したのです。

その後、ビルから全員が避難しきれていない時に、ビルが一気に崩れました。

誰も想像しなかった突然の崩壊に、あっと声が出たまま映像に、瞬きもする事もなく釘付けになっていたように思います。


あの日の記憶はテレビ中継の映像と、これでニューヨークのレコーディングスタジオ計画は中止になるだろうなという予想、、、

数日後大家さんから断りの連絡がきて、予想通りの展開となりました。

9.11のテロでお亡くなりになった方々のご冥福を祈ります。






明智光秀の密書の原本が発見される

2017-09-12 07:14:51 | Weblog
明智光秀が反信長勢力とともに、足利義昭をたて室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったようです。

光秀自筆との事です。



日付は本能寺の変から十日後の6月12日

秀吉軍がすでにそばまで迫ってきている事を知っているであろう時の返信ですが、筆の表情からはそのような緊張感は伝わってきません。

逆に、落ち着き払っている感じがするほどです。

腹をくくった武士の精神が、筆にあらわれているようですね。

この手紙の翌日、山崎の戦いで秀吉に敗れた光秀は、敗走する途中で命を落とすのですから、、、


光秀の歴史上の評価が変わるのかもしれませんね。

でも謀反って、トップの号令一下、全軍が躊躇することなく動けるのでしょうか?

会社で言えば課長クラスまでは、遅くとも出陣の時には知らされていたのではないでしょうか。

そしてその可能性を事前に密偵からの報告で察知していた秀吉は、万が一の時の為に策を講じていたとは考えられないでしょうか。

なのに、なぜ信長は光秀の謀反を察知できず、家康も謀反が起きるような危険な場所の近くに、ほぼ丸腰状態でいたのかは不思議なことです。

秀吉の情報収集能力が高かったとすれば、それは優秀な忍者集団を配下に抱え、集まった情報解析能力の高い家来たちを持っていたことになります。

天下人になる才は、そこにあったのかもしれませんね。