偏った思考回路から自動的に短絡的な反応に導くのが “認知のゆがみ”、これが私流の解釈です。今回は、“認知のゆがみ” が意外なところにも関わっているのではないかと考えるに至った話をします。人の話をうわの空で聞く “心ここにあらず” の心境もその一つではないかという話です。
人の話を聞いているとき、自分自身を引き合いに聞いているとつい感情的になってしまうことがあります。そうならないための方便が、「嫌な話なら意識的に聞き流せばよい」ではないでしょうか。
「うまく聞き流す」は方便です。無理に自分を抑えなくとも感情を動揺させずに済ますための方策です。
意識的にするから方便なのですが、無意識の内に聞き流しモードに入っている場合があることに気づきました。“心ここにあらず” のうわの空状態のことです。
本来なら何を置いても話に集中すべきときなのに、ふっと意識が飛んで「今はこんなことをしている場合ではない。他にやるべき事があったはず」などと、なぜか気持ちがうわの空になるときがあります。気がかりな事が他にあるなら当然のことですが、別に心配事があるわけでもないのに集中できないのです。これが、私が言わんとする “心ここにあらず” の心境です。「無意識の内に」というところが気になって仕方ありません。
なぜ無意識に拘るのか? 得体の知れない潜在意識下の行動が怖いのです。潜在意識下の行動は生活習慣によるものか本能的なものだからです。
酒にまつわるブラックアウトも、傍から見れば潜在意識が露呈した状態です。かつては深酒をしてブラックアウトになったことが何遍もあります。記憶がプッツリ途切れているので、その間何をやらかしたのか全く覚えていません。恐らく潜在意識下で自動的に行動していたものと思われます。やらかした不始末の痕跡しか残っていないので、恥ずかしいやら後ろめたいやら何とも後味の悪いものでした。
断酒を始めて3ヵ月ぐらい経った頃から記憶障害が顕在化しますが、この時期は無意識のままにする自動的な行動が多くなります。視野に映る場面が変わる度、新しい場面に釣られるまま自動的に行動することを私は自動的行動と呼んでいます。
丁度この頃、専門クリニックで極端な話がありました。処置室で点滴が済めば次は会計というのが普通です。ところが、点滴を終えて出口が視野に入るや否や、出口の方に向かってそのまま帰宅してしまうなどしょっちゅうでした。点滴中、次は会計とずっと念じていたにもかかわらず、視野が変わった途端、直前に決めたことでもすっかり忘れていたのです。まるで認知症の老人そのものでした。
日頃している行動の7割は習慣的行動と言われています。日常生活において脊髄反射的に無意識で行う習慣的行動のなんと多いことか、私などは9割方が習慣的行動ではないかと考えています。これらの習慣的行動は、ほとんどすべてが潜在意識下でする自動的行動と思えてなりません。
もちろん、潜在意識下の自動的行動すべてが得体の知れない行動とは思いませんが、中には良からぬ生活習慣や本能によるものもあると思います。再飲酒した人の体験談では、無意識の内にSLIP(再飲酒)していたという話がどんなに多いことか。それだけ飲酒習慣の根は深いのです。人の話を聞きながら “心ここにあらず” のうわの空も、同じように自制の効かない潜在意識下の状態ではないかと恐れています。
この状態では、行動はすべて短絡的な自動的行動になるはずですが、このことは “認知のゆがみ” から自動的にマイナス感情に走っていたことと同じではないかと考えたのです。よぉーく思い起こしてみれば、内心おもしろくないと感じていたのも両者に共通しています。
マイナス感情は、察知さえできれば後は無難にやり過ごせます。“心ここにあらず” のうわの空も、それがリアルタイムで意識に上りさえすれば、無闇に怯えなくても済む話なのかもしれません。もしそうなれれば、“聞き流す” から一段高い “受け流す” ことになれるのでしょうか。
何のことはない、“心ここにあらず” のうわの空は隙アリの状態のことです。心に魔が差すとも言います。危ない目に遭う確率が最も高いことは常識です。普通ならば、単に用心せよで済んでしまう話なのです。それなのに、理屈好きの私としては、役にも立たない屁理屈を捏ねたくなった次第です。脳のリハビリのためとは言え、これは “どうにもならない” 私の習性なのでした。
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