ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

つい、偏った思いが・・・?

2019-03-08 05:52:35 | 雑感
 私が老けて見られるのは今に始まったことではありません。亡くなった父親も若い頃から老けて見られていたので、これも遺伝なのかもしれません。今回は、そんな私の老け顔についての話です。

 またまた週に1回巡回しているゴミ拾いコースでのことです。公園近くのコープの店頭で偶然、公園でよく見かける老人に出会いました。コープには再生資源ゴミの回収箱が設置されているので、巡回途中で必ず立ち寄る場所になっています。

 老人はベンチに座って一服していました。私の方はゴミで一杯になった大きなレジ袋を3つぶら下げていました。ペットボトルや缶コーヒーの空き缶が入ったものが2つ、菓子袋などの可燃ゴミが入ったものが1つ、これもほぼいつも通りでした。

「ようけ拾って、またあの公園で?」老人の方から声をかけてきました。
「あの公園では皆さん、お行儀がイイですから・・・」と私。
「毎週やってもらっているようだけど、もう何年になる?」
「あと少しで4年です。なに、飲んだくれていた頃の罪滅ぼしですよ。」かつての私の姿を思い出してもらおうと、こんなふうに匂わしてみました。
「ほぉ、もう4年、そんなになるか?! ・・・ところで歳はいくつ?」
「68(歳)になったばかりです。」
「エッ、そんなに若いの? もっと(歳が)いっているかと思った。私は80(歳)、昭和14年生まれ。」
「丁度、一回り違うんですねぇ! しかし、おじさんはまだ70(歳)そこそこにしか見えませんよ。・・・ どうも私は他人から老けて見られるようで。」
「まぁ、貫禄がありそうに見えていいんじゃないの?!」

 これがなぜか真逆の意味の皮肉に聞こえたので、思わず苦笑いしてしまいました。このことが心に引っかかり、帰宅してからもしばらくモヤモヤしていました。

 件の老人と公園で顔見知りになってから、もうかれこれ15年ぐらいになります。いつも午前10時ぐらいからお昼前まで、公園に三々五々集まって来る数人の仲間と談笑するのが日課のようで、今もそれが続いています。

 彼は主に聞き役なのでゴミ拾いをしている私としばしば目が合い、それで会釈を交すという関係になりました。そんな間柄ながら、まともに話をしたのは今回が初めてでしょうか。

 仲間は元の会社の同僚らしく、昔話に夢中なのか辺りにゴミが散らかっていようが誰も気にしません。もちろん、私が近くでゴミ拾いをしていても黙って見ているだけです。そのことを私は内心忌々しく思っていました。

 どうやらこの思いが屈折して潜んでいたようです。「元気そうに見える」と言われて気分を害する人はいません。それと同じ悪気のない言葉を皮肉と聞こえてしまうのは “思い込み” の所為です。やはり “思い込み” とは厄介なもの、改めて考えさせられました。

 私は誰からも老けて見えるらしく、実年齢を言うと皆が皆ビックリします。「白い髭を生やしているせいだろう」と、ついこの間もAAの仲間に慰められた(?)ばかりです。

 冷静になってみれば「貫禄がありそうに見えて・・・」はさすがに年の功と思いました。咄嗟にしては、よく玉虫色の表現が出たものだと感心しました。



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