ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

最近は新手の “妄想” が?

2018-11-23 07:33:34 | 病状
 まだちょっと引っかかるところがあるのですが、私の回復は着実に進んでいると実感しています。

 散々悩まされてきた物忘れですが、直近の記憶ならしっかり覚えていられますし、意図した言葉も大分速く思い出せるようになりました。

 感情の揺れ巾も小さくなってきたようなので、精神面での回復もそれなりに進んでいるのでは、と勝手に思ったりしています。だからでしょうか、最近は “心の落ち着き” など余り考えなくなっていました。

 先日、自助会AAのミーティングでこの  “心の落ち着き” がテーマに出ました。恐らく大部分のアルコール依存症(アル症)者にとって、感情をうまくコントロールできていることこそが “心の落ち着き” であって、先ずは感情のコントロールが第一、となるのだと思います。

 私にとっても、“心の落ち着き” はまさに回復のイメージで、いざ事が起こったときにも平常心でいられることが回復だと考えています。複眼的な見方を持って冷静に事態に対処できる心の持ち様のことであって、感情のコントロールが大前提というのに異論はありません。

 久々に考えをまとめようとしていたら、ある “妄想” が浮かんで来ました。感情とは感覚に対して脳が咄嗟に下した解釈ではないか、という考えです。“怒り”、“恐れ”、“不安” などの言葉は、経験的に後から意味付けしたものというわけです。

 断酒して3ヵ月が過ぎた頃、私は明鏡止水とでも言うべき感覚やその真逆の胸の空回り・ザワザワ感を経験しています。

 改めて当時を振り返って見ると、明鏡止水のときは妙に静かで不思議な感覚と捉えていましたし、胸の空回りやザワザワ感のときも遣り場のない不思議な閉塞感と捉えていました。“心の落ち着き” とか “不穏で不吉” とかは、謂わば経験的に後から取って付けた表現だったようです。

 この経験から、感覚には巾があることを改めて知りました。感覚に座標軸を想定すると、明鏡止水と言うべき感覚やその真逆の胸の空回り・ザワザワ感は、同じ座標軸上の対極に位置付けされる感覚です。両者の間には強弱様々な感覚があり得るわけで、感情とは感覚に下した解釈であるとすれば、感情にも強弱様々な形態があることになります。

 そして恐らくは、経験を繰り返すことによって感覚が馴染んで円やかなものになり、感情もそれに釣られて暴走しなくなるのでは、と考えるに至りました。感覚が馴染んで円やかになるとは、兆しとして早めに感知できることではないかと、これも勝手に考えています。

 少なくとも今では、“怒り” の感情なら、その兆しが感知できるようになりました。3年半以上続けているゴミ拾い体験と、黙って人の話を聞くAAミーティングを続けたお陰だと思っています。

 少し飛躍しますが、アル症からの回復は、先ず身体的な体調の回復に始まり、次いで感覚の回復の順に現われ、その先に “心の落ち着き” が訪れるのではないか、というのが私の “妄想” の全体像です。その感覚の回復も、先ず五感(視・聴・臭・触・味)の回復に始まり、次いで身体の内部から湧き出る体感(勘も含む第六感のこと?)の回復の順のようです。

 ですから、私の場合は感覚の回復が第一なのです。これらの過程で、たとえばポイ捨てゴミで道が散らかっていることや人の酒臭さなど、飲酒時代には気付けなかったことに気付けるようになりました。

 そして、今は時間の流れ方がまともになり、体感が身の危険や忘れ物を教えてくれるようにもなっています。そのうち追々 “心の落ち着き” にも繋がるだろう。これは新手の “妄想” なのでしょうか?



ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする