AAではさまざまなテーマを立ててミーティングを持ちます。先日のテーマは「 “争う” ことを止める」でした。ときに、“闘う” というテーマもあるのですが、“争う” としたことになぜかシックリするものがありました。
生物が背負う最大の宿命は “生き残る” ことで、すべての生物の遺伝子にこの命題が刷り込まれています。上を目指して張り合うのはその現れで、他者を蹴落としてまでも “争う” 闘争なのか、自分自身を磨くことで他者と “競う” 競争なのか、そのどちらも駆使しての生き残りなのだと思います。人の生き様は、この “争う” と “競う” のどちらに比重を置くかによって決まるもののようです。
思えば上昇志向に駆られていた頃の私は、例に漏れず他人との競争 / 闘争に明け暮れていたようなものでした。
生まれ育った岩手の田舎では、なまじっか勉強がよくできた方だったので、小学生の頃から教師はもちろん近所の大人にも一目置かれていました。それが内心得意でなりませんでした。
中学で不登校になったとき、校長がわざわざ家庭訪問にやって来て、旧帝大にも入れるぐらいの実力とおだててくれました。登校を促すためとは薄々気づいていましたが、このように直に褒められてはその気にならないわけにいきません。
丁度その頃、夏休みを利用して次姉のいる東京に遊びに行ったのですが、次姉の勤務先は最高学府とも言われている一流大学の目の前にあり、初めて見る大学の偉容に心を鷲掴みにされました。これが直接の動機となり、“豚もおだてりゃ木に登る” 物語が始まりました。
成績順にクラス分けしていた高校では、実力試験の度に学年順位が壁に張り出され、2年のときに常時2番をキープするまでになりました。これで一層馬車馬のような勉強三昧に拍車がかかりました。自分の身の丈を弁えずに勉強での成績を実力と勘違いし、愈々彼の一流大学を目指すことになったのです。この頃までが私の人生で純粋に “競う” 競争時代だったと思います。
2年の浪人生活を経て、どうにか志望大学に入ったのですが、上には上がいるものだと否応なしに思い知らされました。生まれ育った文化的素地の格差にすっかり自信をなくし、大学時代は劣等感から大人しくしていました。ところが新卒で入った会社では、同期の学歴をみるにつけ自分が上で当たり前という傲りに目覚めてしまったのです。たったこれだけの理由で再び競争 / 闘争心に火が付き、今度は明らかに “争う” 闘争モードに入っていました。
楽な生活には高い給料、高い給料には昇進するしかありません。業務知識の習得にはそこそこ努めたつもりでしたが、そんな勉強だけでは昇進させてはくれません。なかなか結果が伴わず、これはという業績を出せないことに焦りが募りました。それでもしばらくして小さなプロジェクトで小さな成功を収めることができました。そんな時です、とんとん拍子に昇進する先輩社員を見て、どうにもならない嫉妬心を覚えるようになったのです。
本来 “争う” のはほぼ同じレベルの者同士がするのであって、レベルのはっきり違う相手にするものではありません。先輩とは業績の格が違っていたのですが、嫉妬心はそんな違いなどお構いなしなのです。仕事のしんどさにも加勢され、そんな心のざわめきをうまく抑え切れませんでした。
そんなわけで、唯々好きな酒に縋るばかりになりました。その挙げ句の果てがアルコール依存症となった無残な自分の姿だったのです。まさに “生き残る” という命題に裏打ちされた上昇志向のなせる業でした。
一旦上昇志向に駆られると、次から次へと新たな競争 / 闘争相手が現われ、どこまで行っても終わりはありません。それでも “生き残る” という宿命を背負っているからには死ぬまで競争 / 闘争から逃れられないのです。
他者と張り合うことは進歩を促すプラスの働きもしますが、下手をすれば相手を蹴落としてでも・・・という “争う” 闘争になりがちです。それならば、他者に学びひたすら自分自身を磨き高めて “競う” 競争の方が、同じ張り合うのでも自分の努力次第という含意があり遙かに道理に適っています。
我欲だらけのゴツゴツした心で “争う” 闘争を止め、自分自身を磨き高めて “競う” 競争だけにしよう。これが断酒を通して心底気づかされたことでした。
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生物が背負う最大の宿命は “生き残る” ことで、すべての生物の遺伝子にこの命題が刷り込まれています。上を目指して張り合うのはその現れで、他者を蹴落としてまでも “争う” 闘争なのか、自分自身を磨くことで他者と “競う” 競争なのか、そのどちらも駆使しての生き残りなのだと思います。人の生き様は、この “争う” と “競う” のどちらに比重を置くかによって決まるもののようです。
思えば上昇志向に駆られていた頃の私は、例に漏れず他人との競争 / 闘争に明け暮れていたようなものでした。
生まれ育った岩手の田舎では、なまじっか勉強がよくできた方だったので、小学生の頃から教師はもちろん近所の大人にも一目置かれていました。それが内心得意でなりませんでした。
中学で不登校になったとき、校長がわざわざ家庭訪問にやって来て、旧帝大にも入れるぐらいの実力とおだててくれました。登校を促すためとは薄々気づいていましたが、このように直に褒められてはその気にならないわけにいきません。
丁度その頃、夏休みを利用して次姉のいる東京に遊びに行ったのですが、次姉の勤務先は最高学府とも言われている一流大学の目の前にあり、初めて見る大学の偉容に心を鷲掴みにされました。これが直接の動機となり、“豚もおだてりゃ木に登る” 物語が始まりました。
成績順にクラス分けしていた高校では、実力試験の度に学年順位が壁に張り出され、2年のときに常時2番をキープするまでになりました。これで一層馬車馬のような勉強三昧に拍車がかかりました。自分の身の丈を弁えずに勉強での成績を実力と勘違いし、愈々彼の一流大学を目指すことになったのです。この頃までが私の人生で純粋に “競う” 競争時代だったと思います。
2年の浪人生活を経て、どうにか志望大学に入ったのですが、上には上がいるものだと否応なしに思い知らされました。生まれ育った文化的素地の格差にすっかり自信をなくし、大学時代は劣等感から大人しくしていました。ところが新卒で入った会社では、同期の学歴をみるにつけ自分が上で当たり前という傲りに目覚めてしまったのです。たったこれだけの理由で再び競争 / 闘争心に火が付き、今度は明らかに “争う” 闘争モードに入っていました。
楽な生活には高い給料、高い給料には昇進するしかありません。業務知識の習得にはそこそこ努めたつもりでしたが、そんな勉強だけでは昇進させてはくれません。なかなか結果が伴わず、これはという業績を出せないことに焦りが募りました。それでもしばらくして小さなプロジェクトで小さな成功を収めることができました。そんな時です、とんとん拍子に昇進する先輩社員を見て、どうにもならない嫉妬心を覚えるようになったのです。
本来 “争う” のはほぼ同じレベルの者同士がするのであって、レベルのはっきり違う相手にするものではありません。先輩とは業績の格が違っていたのですが、嫉妬心はそんな違いなどお構いなしなのです。仕事のしんどさにも加勢され、そんな心のざわめきをうまく抑え切れませんでした。
そんなわけで、唯々好きな酒に縋るばかりになりました。その挙げ句の果てがアルコール依存症となった無残な自分の姿だったのです。まさに “生き残る” という命題に裏打ちされた上昇志向のなせる業でした。
一旦上昇志向に駆られると、次から次へと新たな競争 / 闘争相手が現われ、どこまで行っても終わりはありません。それでも “生き残る” という宿命を背負っているからには死ぬまで競争 / 闘争から逃れられないのです。
他者と張り合うことは進歩を促すプラスの働きもしますが、下手をすれば相手を蹴落としてでも・・・という “争う” 闘争になりがちです。それならば、他者に学びひたすら自分自身を磨き高めて “競う” 競争の方が、同じ張り合うのでも自分の努力次第という含意があり遙かに道理に適っています。
我欲だらけのゴツゴツした心で “争う” 闘争を止め、自分自身を磨き高めて “競う” 競争だけにしよう。これが断酒を通して心底気づかされたことでした。
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