先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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紡績工場争議 1922年主要な労働争議① (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)

2021年10月27日 07時00分00秒 | 1922年の労働運動

写真・横浜船渠争議ビラ1922年

紡績工場争議 1922年主要な労働争議① (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)

第三編 労働争議の<概説>
 <・・・・次に労働争議の結果、労働組合が破壊されもしくは解散を与儀なくした例は、本年度においてことさらに著しく感ぜられる。・・・その最も顕著な例は大阪の電業員組合、伸銅工組合の崩壊、横浜船渠会社の争議における横浜造船工組合の被った打撃、尾小屋鉱山における三度の引き続ける争議による全日本鉱夫総聯合会能美連合会の衰運等を数えることができる・・・・・。

 最後に、・・官憲の態度は前年に比して著しく取締を過敏にしてきたことは争うを得ないであろう。多くの争議、特に労働者側が有力に対抗したる場合、警官と労働者との衝突が文字通りに演ぜられた事例が度々であった。・・なお特筆しておかなければならぬのは国粋会が争議の渦中に入り来て暴行を働くことが著しく目立ってきたことである。京都における澤田合金会社の争議、北九州の炭坑運動における乱闘のごとき其である。>

1922年主要な労働争議①

紡績工場争議

1、大阪毛織株式会社争議
 7月7日、梳毛部の男性労働者が賃上げ要求を拒否されストライキに入った。これに同情した織物部の男女工120名も8日に呼応して立ち上がり、同情ストに突入した。その夜、スト労働者は夜勤出勤のスト破り軟派労働者への説得行動を行い、その場で3名が検束された。10日朝からは梳毛部の女性労働者約100名もストに立ち上がり、防毛部女工約100名、織物部女工約300名はサボタージュ状態となり、新たな賃上要求もだされた。会社側は梳毛部を休業とし、女工に「浪花節」などを聞かせるなどの懐柔策を謀ってきた。また、スト女性労働者には食事を配らないなどの威圧もしてきた。会社は女工たちに外部との接触や連絡接触を禁止したが、10日夜には、寄宿舎の数十名の女性たちは外に出ようと通用門に殺到した。が、会社側に阻止された。女工たちは手紙を工場塀の場外に投げ、日本労働総同盟豊崎支部、罷業団本部との連絡を取った。11日、会社は3名の女工リーダーを解雇してきた。11日夜には寄宿舎を脱け出した18名の女工が、二階の窓から柳の木を伝い板塀を飛び越えて、罷業団本部へ駆け込んだ。

 この女工のストを応援しようと、合同紡績天満支店、三河屋菓子会社支店その他多くの会社の女工たちがカンパを届けてきた。

 13日夜、会社糾弾演説会、14日、脱出してきた女工たちは郷里の父兄に伴なわれ、会社との交渉一切を男工に委託して帰郷した。
 14日夜、男工16名は平田専務の自宅に行き面会を要求したが拒絶されたため、玄関口に座り込み動かず、遂に3名が検束された。
 16日、会社糾弾演説会開催し、3名が検束される。
 17日、争議団代表4名に対し、平田専務は「争議団員は復職を望まないだろう。この際あっさり退職してもらおう。そうすれば相当の退職手当を包金として支給しよう」と言い、かくして18日に至り、男工15名に日給40日分の包金と寄宿舎を脱出した女工には帰国旅費をだすことで争議は解決した。同夜、市民館において演説会を開き、賀川豊彦などの演説があり、会社と官憲を糾弾して争議の幕を閉じた。

2、全国の紡績、織布、染織工場の労働争議
紡績工場
1月 近江紡績株式会社(滋賀県)
2月 徳山紡績工場(兵庫県)
3月 西大寺製糸会社(岡山県)
4月 相模紡績会社(神奈川県)
4月 日出紡績株式会社(和歌山県)
6月 旭紡績株式会社(仙台市)
7月 今治紡績会社(愛媛県)
7月 合同紡績株式会社天満支店(大阪市)
8月 大阪製麻会社(尼ヶ崎)
8月 岸和田紡績(大阪府)
9月 横浜紡績株式会社(横浜市)
10月 富士撚糸株式会社(甲府市)
11月 片倉組仙台製糸工場(仙台市)

織布工場
5月 岡田織布会社(愛媛県)
5月 東亜製網会社(奈良県)
6月 別珍会社高松分工場毛切部(高松市)
7月 大阪毛織会社梳毛部(大阪市外)
7月 山陽フェルト会社(姫路市)
8月 富士毛織会社沼津工場(静岡県)
8月 八木福メリヤス工場(大阪府)

染工場
8月 林染工場(大阪市外)



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