先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

唄「赤とんぼ」と砂川闘争 - 1953 & 1956

2013年01月13日 09時24分30秒 | 闘いの歌・唄など

内灘闘争 & 砂川闘争 - 1953 & 1956


赤とんぼ / 都城少年少女合唱団

 小学生の時、母に連れられた屋代町の映画館で、ある青年死刑囚の映画を観た。青年死刑囚が幼き頃を回顧する場面で流れる歌がこの赤とんぼであった。母が大泣きしていたことを昨日のように覚えている。その母をみて私も哀しくなって泣いたと思う。以来、この歌を聞く度に思いだす。死刑の是非問題も頭をよぎる。題名も覚えていないあの映画をもう一度みてみたい、また涙するだろうか。母はもういない。

砂川闘争と唄「赤とんぼ」の話も有名です。
(朝日新聞記者の伊藤千尋さんの記事から)
《「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実さん(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。警官隊は突撃して来なかった。私たちは人道主義で戦った。警官にも純粋な気持ちがあった」
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」(畑谷淳二)》



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