第81番札所の白峯寺のすぐ近くに展望台があり、瀬戸大橋を見渡すことができます。
雄大な景色を堪能できるのもお遍路の醍醐味です。
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山門前に大師像があります。
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こちらが山門です。
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境内のお堂ごとに干支(えと)の守り本尊がそれぞれに祀られていて、本堂、大師堂をお参りした後に自身の干支の守り本尊が祀られているお堂をお参りする参拝者が多いようです。
因みに私は全てお詣りさせて頂きました。
未申は大日如来様です。
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子年は千手観音菩薩様です。
寺伝によれば、空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)この地に訪れ、白峯山頂(標高357m)に如意宝珠を埋めて、仏に供える水を汲む閼伽井を掘り、衆生救済の請願をした。
また、円珍(智証大師)が貞観2年(860年)、山頂に輝く瑞光を見て登頂、そのとき地主神である白髪の老翁よりご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に輝き、芳香薫ずる可思議な光を放つ霊木で千手観世音菩薩を刻み、当寺本尊として安置し、仏堂を創建したと伝えられている。
以上Wikipediaより
御本尊 千手観音菩薩
本尊真言 おん ばさら たらま きりく
ご詠歌 霜さむく露白妙(つゆしろたえ)の寺のうち 御名(みな)をとなうる法(のり)のこえごえ
本堂です。
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大師堂です。
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大師堂です。
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本堂と大師堂が並びます。
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こちらは阿弥陀堂になります。
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階段を降りると、重要文化財である、頓証寺殿の拝殿と奥殿3棟があります。
こちらは、延宝8年(1680年)建立されたようです。
崇徳天皇の廟所である頓証寺殿の奥殿には、三つの社があり、中央に崇徳天皇が祀られ、向って左に鎮守白峯大権現相模坊、同右に念持仏十一面観世音菩薩が祀られています。
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保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇は、都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられ、御遺詔によって当山稚児嶽上に荼毘し、御陵が営まれました。
しかし都では異変が相次いだため、代々の天皇、公卿、武将も恐れ崇め奉り、御府荘園を寄せて菩提を弔い、或は法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して慰霊の誠を尽し、特に第100代の後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し尊崇の意を表しました。
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日本八天狗の一狗であり讃岐三天狗の一狗である白峯大権現相模坊です。
相模国の大山から来た大行者で当山の山伏を率いて大権現と崇拝され当山の鎮守となり崇徳上皇の守護神となっているようです。
この天狗さんにはこんな伝説があります。
白峯山には日本八天狗の一狗である心優しい相模坊という天狗が住んでいると伝えられています。突然の来客があり和尚の命により、小僧さんが豆腐を買いに出かけたところ、突然、何者かに背中を押され、空を飛ぶような感覚になりました。そして次の瞬間、田舎では見ることない上等の絹豆腐を受け取り元の場所に立っていました。これは、突然の買い物に走る小僧さんを気の毒に思い相模坊天狗が助けてあげたと今なお語り継がれています。
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拝殿の左側に御神木があります。
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崇徳天皇白峯陵遥拝所が拝殿の向かって左奥にあります。
上皇「濱千鳥あとは都にかよへども身は松山に音をのみぞなく」の歌碑が正面の柵の中にあり、左脇に頓証寺型石燈籠があります。
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西行が崇徳天皇を詣でた際に腰掛けたと云われる石に安置されています。
傍らに西行「よしや君むかし乃玉のゆかとても かゝらんのちはなにかハせん」がサヌカイトに刻まれた歌碑があります。
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こちらが遥拝所です。
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高松藩主松平頼重公が造営した勅額門と頓証寺殿は装飾、構造共に非常に手が込んでおり、和様を基調とした端正な形式と意匠でまとめられ、傑出した特色を持つ極めて貴重な建物であり、天皇、神、仏の三者を一堂で祀る形式は全国的にも他に類を見ないものであるようです。
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お詣りさせて頂きありがとうございました。