植物学者・牧野富太郎の研究の場でもあり、1300種類もの植物がみられる植物の宝庫。
来年は牧野富太郎博士がNHKの朝ドラで取り上げられるようで、横倉山も注目されるのではないかなと高知県民の一人として期待しています。
安徳天皇が隠れ住んだといわれる平家伝説から宮内庁管轄となっている同天皇の陵墓参考地があり、伝説が残る山が高知県越知町にある横倉山です。
市内から車で約一時間。
自然溢れる神社好きの私としては、訪れなければとずっと思ってました。
昨年、違う道から上がろうとしたのですが、土砂崩れのため通行止めになっており、それが現在も続いてて、諦めていたのですが、調べると別ルートがあるとの事。
道が狭いのでジムニーで出発しました。
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少し上がると八坂神社がありました。
自然の中にひっそりと建っていて美しいです。
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御祭神は天児屋根命であります。
天岩戸神話で祝詞を奏上した神様です。
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駐車場に到着しました。
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横倉山は800年以上の昔から土佐の国唯一の修験道の霊場として、大変神聖な地とされてきました。
また、下関の壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇にまつわる伝説が残っています。
安徳天皇は高倉天皇の第1皇子で、母は平清盛の娘・徳子(建礼門院)。弱冠3歳で即位しました。
越知に語り継がれる伝承によると、屋島の檀ノ浦の戦いで難を逃れ横倉山に越知のび生活されいましたが、病により23歳で亡くなられたといわれています。
天皇が蹴鞠をして遊ばれたという思い出の地に葬られ、「安徳天皇陵墓参考地」として国の指定を受けています。
ここが県内で唯一の宮内庁所轄地となっています。
先ずは杉原神社に向かう607段の石段を上がります。
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こちらの原生林や植物、牧野富太郎博士は何時間もこの地にて植物を観察したとか。
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途中な夫婦杉があります。
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そして御手洗にて手を清めます。
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そして御手洗にて手を清めます。
なかなかの階段でした。
後ろを振り返ると夫が来ていません。
どうやら近道を通ったようです😂
ここで手を清めていたら、着いた!とLINEが来ました。
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本来の石段を登り、夫に遅れる事10分くらいで杉原神社に到着です。
平家の守護神熊野権現を祀りとあります。
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境内には樹齢500~600年の巨杉をはじめ多くの杉がうっそうと茂り独特の雰囲気。
本殿周囲の彫刻は素晴らしく見どころの1つであります。
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杉原神社の説明書きによると、
横倉山修験の中ノ宮として創建され、社は金峯山[きんぷせん]三所蔵王権現と称されていたが、明治4年(1871)杉原神社と改称された。
本殿は明治8年(1875年)改築、本殿周囲の彫刻は門井宗吉作。
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大きな杉が沢山あるから、杉原神社という名前に改称されたようです。
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彫刻は本当に素晴らしいです。
長州の宮大工さんの作らしいです。
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本殿の横に寄附の石碑発見。
昔の人も神様を大切に守ってきたのですね。
大正4年100年くらい昔です。お金の価値が全然違う😂
一番上に書かれてあるのが35円だなんて。今のお賽銭より少ない。。。
そんなこと考えると、確かにお金は大切ですが、あの世に一銭も持っていけないお金に執着したり奪ったり、争ったりするのは違いますね。
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境内より少し高いところに平家之宮が建っていました。
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文治3年8月、安徳天皇に随勤し横倉山へ来られた平家一門88名中の氏名判明せる者(此の社に合祀する)
・・・氏名・・・
以上78名の古墳又は社は横倉山中に現在ある
と書かれた看板が建っていました。
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文治3年(1187年)、壇ノ浦の戦いの2年後に、壇ノ浦で祖母に抱かれて入水したとされる安徳天皇が、実は壇ノ浦ではなく屋島の戦いの後四国を2年間転々と潜行してここに来たことになります。
そして、お供の平家を引き連れ、こちらで隠れるように生活されていたのかもしれない。
こんな国内で闘いがある時代に生まれた安徳天皇は可哀想です。
仮にこの土佐に流れ着いて生き延びたとしても、母とも別れ、身を隠し、ひっそりと。
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この杉原神社の近くに、その平家の落人が安徳天皇を守り住居を構えていたという地もありました。。。
続く